西門町で逢いましょう

1996年1月3日(星期三)


九份へ

1月3日、水曜日。台北。晴れ。今日は、1年8か月ぶりに、九份と金瓜石(共に台北縣瑞芳鎭)を訪れる予定だ。

お昼ごろの高速バスで基隆へ向かう(NT$45=¥178)。台汽東站には自動販売機が登場している。コインしか使えないが、窓口で両替してくれた。

基隆は曇っている。金瓜石行きのバスに乗って、まず九份まで行く(NT$35=¥139)。バスの中では、おじいさんたちが日本語と台灣語のチャンポンで会話をしていた。


石段の道

“悲情城市”

豎崎路

1時半ごろ九份に着く。九份もどんよりと曇っている。

メインストリートである石段の道、豎崎路は、あいかわらず若者が多く賑やかだ。久しぶりの九份はあまり変わっていない。一時のブームではなく、観光地として定着しているようでもある。


黄金酒家

“悲情城市”

悲情城市

レストラン、悲情城市で昼食を食べる。ここは“悲情城市(悲情城市)”[C1989-13]黄金酒家という名前で出てきたところだ。

九份の店はたいていそうなのだが、ここも古い建物を利用したレストランで、インテリアもアンティークが使われている。外の賑わいのわりにはすいていて、2階の客席には家族が一組いるだけだ。台灣風中華料理で、“悲情城市”や九份にちなんだ名前の料理が多い。悲情炒飯(NT$120=¥475)、九份紅燒豆腐($120)、魚丸湯(NT$150=¥594)、九份泡菜(NT$80=¥317)を頼む。味は普通で、観光客をあてこんでかけっこう高い。

“悲情城市”の中では、文清(梁朝偉)、寛榮(呉義芳)、寛美(辛樹芬)が、大陸帰りの林老師たちを招き、菱形の桟のある窓をバックに宴会をする。窓を開けたときに映る深澳灣の景色が印象的だった。今は建物が建ってしまい、窓の向こうに深澳灣は見えない。


芋圓

石段の景色

商店街で芋圓を買う(NT$50=¥198)。芋圓というのは、芋でできた飴玉大のもので、パックに入れて売られている。九份の名物らしい。芋飴のようなものだと信じていたので、パックから一粒つまんで食べようとしたところ、お店の人やまわりにいた人に激しく止められた。しかし気づいたときにはすでに手遅れ。……不味い。「旅の恥はかきすて」とはこのことか、などと思いながら、そそくさと立ち去る。

よく見たら、パックの蓋に調理方法が書いてあった[注1]。どうやら白玉団子のようなものらしい。調理したものを食べさせる店もあったので、慌てて買わずによく見ればよかったと後悔する。


広場に建つ阿遠と阿雲の家

“戀戀風塵”

阿雲の家

中心部をはずれて、“戀戀風塵”の、阿遠と阿雲の家のある広場に向かう。静かな田舎道を歩いていると、時おりどこからかのどかな会話が聞こえてくる。すべて台灣語だ。

石段を降りていくと、広場の大きなが前と変わらずにあり、何も変わっていないかのようだ。しかし、「阿遠の家」はあとかたもなく、代わりに新しい鉄筋の家が建とうとしている。「阿雲の家」は健在だが、窓には木が打ちつけられており、すでに人の気配はない。その隣の家には洗濯物が干され、人の気配がする。前回、さびれつつあると感じたこの広場は、少しずつ活気を取り戻しつつあり、その反面、趣のある古い家は取り壊されてしまう運命のようだ。


文清の写真館

“悲情城市”

昔日的理髪廳
坂道

金瓜石へ向かう。前回は歩いて行ったが、今回は軟弱にバスを使った(NT$17=¥67)。

金瓜石のバス停から、まず、“悲情城市”の文清(梁朝偉)の写真館に向かう。元は床屋だったというこの廃屋は、前回はドアに板が打ちつけられていたが、今回はすでにドアもない。内部も取り壊されて、床屋の痕跡はなくなっている。全体が取り壊されるのも時間の問題かもしれない。

前の坂道を降りていくと、下の方にあった家も一部取り壊されている。文清と結婚した寛美(辛樹芬)が買い物をする路上の市場は、前回は少し残っていた露店の跡が、今回はほとんどなくなっていた。

次にここを訪れる時には、映画の面影を残すのは写真館の前の石段だけになっているかもしれない。映画で使われたからといって保存するわけにいかないだろうけれども、こうやってひとつずつなくなっていくのは寂しい。現実の建物はなくなってしまうからこそ、フィルムの中に存在し続けることに価値があるともいえるのだけれど。

空はますますどんよりと曇ってきている。寂れていく金瓜石がどうしても天気と重なってしまう。まるでこの町の心象風景のように感じられるのだ。


寛美の病院

“悲情城市”

病院前の石段

“悲情城市”の中で、寛美が看護婦として勤めていた病院の跡地へ行く。前回すでに取り壊されて瓦礫の山になっていたが、今回はコンクリートで固められていた。すっかり猫のすみかとなっているが、新しい建物でも建てるのだろうか。

病院の玄関から見えていた石段を上っていく。このあたりに並ぶ日本家屋も取り壊されつつある。


写真館の内部と小馬の家

“悲情城市” “牯嶺街少年殺人事件”

本山五坑

“悲情城市”の写真館の内部や、“牯嶺街少年殺人事件(牯嶺街少年殺人事件)”[C1991-16]の小馬(譚志剛)の家は、金瓜石の太子賓館が使われたらしい。前回探すのを忘れてしまったので、今回こそは行きたい。バスターミナルには、映画やテレヴィドラマが撮影された場所を示す地図があったが、これを見ても場所はわからない。

かなり遠くまで歩いてみたが、それらしき立派な建物は見当たらず、結局今回も諦めた。バスターミナルから離れると、本山五坑の跡や、トロッコの線路や、谷間にかかる橋などがあった。人影はほとんどないが、台灣人のカップルが写真を撮っている。九份や金瓜石では写真を撮っている人が多いが、記念写真や風景の写真よりも、男の子がガールフレンドを撮っているのが多い。女の子もけっこうおしゃれをしていて、ポーズをキメているのが特徴である。


基隆の夜市

バスで基隆に戻り(NT$39=¥154)、夜市で餃子を食べる。この屋台は母娘でやっていて、お母さんは愛想がよく、娘はひどく愛想が悪い。基隆の夜市は、私が初めて見た大規模な屋台街である。前回訪れたときには、どこまでも続く屋台に感激したものだ。何を見ても初めてのような気がせず、あまり驚くことのない私にとっても、ここの印象は強烈だった。その賑わいは今もまったく変わっていない。

基隆のバスターミナルで台北行きの高速バスを待っているとき、テレヴィで林青霞Brigitte Lin出産のニュースを見た。女の子で、1月2日に生まれたらしい。林青霞の旦那はESPRITの重役だということだが、見た目はしがないオヤジだ。こんなオヤジでも林青霞を妻にもてるとは、金持ちというのはまったく羨ましいものである。



[1] 芋圓の調理
ホテルの部屋で、お湯に芋圓を入れて沸騰させ、昨日、Friday'sで失敬してきたペットシュガーを入れてみたが、味がなく美味しくなかった。

←1月2日↑西門町で逢いましょう→1月4日
台灣的暇期しゃおがん旅日記ホームページ
Copyright © 1997-2004 by Oka Mamiko. All rights reserved.
作成日:1997年8月21日(木)
更新日:2004年5月29日(土)