悲情城市
台金公司附屬醫院跡から見える石段
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[台金公司附屬醫院跡から見える石段]

【映画では】 醫院は金瓜石の鉱山病院。寛榮の妹・寛美(辛樹芬)が看護婦として働く病院である。精神錯乱になって復員した林家の三男・文良(高捷)はここに入院するし、終盤には寛美自身も出産のため入院する。正面の石段は、病院内部から入口方向を撮ったショットでいつも見えている。
【実際は】 撮影時には台金公司附屬醫院。映画の舞台である光復後すぐの時期の経営母体は不明。病院は撮影後に取り壊された。正面の石段の両側は‘日式宿舎區’で、日據時代には鉱山の日本人職員の宿舎であった。
【シーン】 国語(北京語)教育が行われている病院で寛美が日記をつけているシーンから、文良が入院するシーンへと続くシーン。その冒頭のショット。
同じアングルのショットは繰り返し出てくる。詳細は次のとおり。
  • 日本へ引き揚げる小川静子(中村育代)が寛美にお別れに来るシーン
  • 阿嘉(張嘉年)とヤクザが文良のお見舞いに来るシーン
  • 回復して退院した文良がお礼に来るシーン
  • 二二八事件が起き、寛榮と文清が台北へ行くことを寛美に告げに来るシーン
  • 暴動が金瓜石にも及んで怪我人が運ばれているところへ文清が戻ってくるシーン
  • 寛美が出産のため入院するシーン
いずれもシーンの冒頭のショットで、舞台の転換を示すと共に、病院へやって来る人物を見せている。
【場所】 台北縣瑞芳鎭(金瓜石→地図:ア)
【ロケ地の変化】 1994:醫院は廃業して取り壊され、瓦礫の山となっている。
1996:醫院の跡地はアスファルトで固められ、空き地になっている。
1999-2004:依然として空き地のままである。


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更新日:2006年10月11日(水)