西門町で逢いましょう

1996年1月6日(星期六)


大里再訪

“悲情城市”

大里車站月台

1月6日、土曜日。台北。晴れ。あいかわらず暖かい。今日は、列車を使って台灣北東部のロケ地をまわる予定だ。

まず最初は、“悲情城市”のロケ地である大里(宜蘭縣)へ行くことにする。大里車站のプラットホームは、映画の終盤で、旅支度をした文清と寛美が子供を連れて立ちつくす場所だ。前回も訪れたが、着いたときには夜になってしまっていて、映画の雰囲気を十分感じることはできなかった。このことは前回の旅行で特に心残りだったことのひとつで、あれ以来再び訪れる機会を楽しみにしていた。したがって、今回の再訪は、1年8か月ぶりの悲願の達成となるわけである。

10時5分発の東部幹線宜蘭線の普通車で大里に向かう(NT$70=¥277/人)。列車はすいていたが、次第におじさん、おばさんが乗り込んできて混み始め、車内の会話はほとんど台灣語ばかりとなった。


文清と寛美が立ちつくすプラットフォーム

“悲情城市”

大里車站月台

11時48分、大里に到着。線路の向こうには青いが広がり、降り注ぐ明るい陽射しにきらきらと輝いている。

映画の中では、陽射しの淡い寒そうな光景が、彼らの行き場のない哀しみを表しているかのようだった。しかし、快晴で暑いくらいの今日は、のんびりしたハッピーな雰囲気が漂っていて、ここに映画の印象を見るのは難しい。


昼下がりの大里

大里

地下通路を渡って大里の町へ行く。前回見た夕暮れの町は、薄暗い通りと家々の赤い灯が、どこか現実味を欠いて強く印象に残っている。昼下がりの明るい町は、記憶の中の大里とはずいぶん違うように感じられる。人通りのない町は静かで、強い陽射しが、通りに濃い影を落としていた。

町の向こうには海が広がっている。ここにもほとんど人影は見えない。海は果てしなく青く、きらきらと輝いていた。


北京語の発音について

海

次の目的地は、“戀戀風塵”のロケ地、十分(台北縣平溪郷)である。

‘十分’の北京語の発音[shi2 fen4]は、北京式では‘しーふぇん’という感じだが、そり舌音を使わない台灣式では‘すーふぇん’となる。一般論としては、現地で普通に使われている言葉を使うべきだと考える。また、話し言葉は、美しさや正しさよりも、通じることが大事だとも思う。実際に北京式だと通じないこともある。しかし、北京語の最大の魅力はその響きの美しさであり、美しさという点では絶対に北京式の発音が勝っている。そういうわけで、なかなか台灣式発音を使うことができないでいる。

今回切符を買ったJ先生は、窓口で頑なに‘しーふぇん’と繰り返していた。最初は、「え?どこ?わからん」という感じだった駅員も、数回聞いてわかったようで、「あぁ、すーふぇんね」と言って発券してくれた(NT$33=¥131)。

12時34分の普通車で大里をあとにする。駅弁を持って乗ってくる人が多く、空腹を抱えて列車に揺られている身には辛い。平溪線に乗り換えるため、三貂嶺で降りる。平溪線の始点は侯硐だが、次の三貂嶺までは東部幹線と共通なので、ここで乗り換えたほうが近い。三貂嶺は本当に何もない小さな駅だった。


阿遠と阿雲が通学する列車

“戀戀風塵”

線路
(帰りに撮影)

遅れてやってきた1時23分の平溪線は、若者が多く、かなり混んでいる。

平溪線は、“戀戀風塵”の冒頭で、阿遠と阿雲が乗っている列車である。この映画は、三貂嶺〜大華間の長いトンネルのシーンから始まり、何度もトンネルを出たり入ったりする。前回、列車の一番前の窓からトンネルの出口の写真を撮ろうとして、綺麗に撮ることができなかったので、今回こそはという思いがある。

ところが、到着した列車の最前部には先客がいた。ここに陣取って、テレヴィか映画の撮影を行っている。わざわざ私が乗る列車を選んでやらなくてもと、非常に腹立たしい。


侯孝賢監督を見る

平溪線車内
(帰りに撮影)

“戀戀風塵”では、前の窓から見えるトンネルや線路が続いた後、カメラは車内に転じて、通路に立つ阿遠と阿雲が映し出される。そのため車内の様子も撮影したいのだが、混んでいるので人目がはばかられてできない。

仕方なく通路に立って外の景色を眺めていると、J先生が「横を見ろ」というジェスチャーをした。すぐ横に座っている人を見ると、なんとそれは俳優の高捷氏である。“悲情城市”では頭がおかしくなってしまう三男を、“好男好女(好男好女)”[C1995-11]では伊能靜の昔の恋人を演じている侯孝賢映画の常連だ。緑色のチェックのシャツ[注1]を着て、連れらしい同席の人たちと大声で話をしている。まわりの目を気にしている様子はなかったが、やはり彼はスターである。華がある。

平溪線での撮影+高捷とくれば、ある期待を抱かないわけにはいかない。撮影クルーをよく見ると、期待どおり侯孝賢監督がいた。“戀戀風塵”の冒頭と同じように、前の窓から外の風景を撮っているのだが、新作の撮影だろうか[注2]。写真を撮るわけにもいかないし、仕事中の監督に声をかけるわけにもいかない。内心は非常に興奮しているのだが、冷静を装う。J先生は大胆にも撮影風景をヴィデオ撮影[注3]していたが、私は侯孝賢監督と高捷氏を観察して過ごす。最初に思ったのとは反対に、わざわざ私が乗る列車を選んで撮影してくれて、本当にラッキーだと思う。


阿遠と阿雲が降りる駅

“戀戀風塵”

信号機

十分に到着。侯孝賢監督と高捷氏も降りるのではと期待したが、残念ながらそのまま乗って行ってしまった。プラットフォームの写真を撮りながら、彼らを乗せた列車を見送る。

前回訪れたときは、よそ者など見かけない、のんびりした田舎町だった。ところが今日は、列車に乗っていた若者たちの大半がここで降りた。駅のまわりの風景はほとんど変わっていないが、観光客で溢れている十分はなんだかイメージが違う。

“戀戀風塵”では、主人公、阿遠の帰宅や帰郷を知らせるショットとして、十分車站の腕木式信号機、プラットフォーム、基隆山が使われている。信号機は今回初めて見たが、映画の中と変わらない雰囲気で立っていた。侯孝賢の映画では、この信号機のような何でもない風景が深く印象に残る。列車の到来を知らせて、信号機の角度が変わるショットが好きだ。今回もホームから直接線路に降り、両側に商店が並ぶ線路の上を歩く。その中の一軒、十分切仔麺という店で、陽春麺などを食べた。


退院したおとうさんと渡る吊り橋

“戀戀風塵”

吊り橋

線路に沿って流れる基隆河には、吊り橋がかかっている。“戀戀風塵”では、阿遠とおじいさん(李天祿)が退院したお父さんを駅まで迎えに行くシーンで、プラットフォームの後ろに見えている。

彼らはこの橋を渡って家に帰るのだが、このとき出てくるアングルを探して、河沿いを歩く。このショットは、吊り橋より向こうから、駅の方に向かって撮られていた。


スクリーンがはためく場所

“戀戀風塵”

侯硐

3時26分の平溪線で侯硐へ向かう(NT$11=¥44)。3時48分侯硐着。乗り換える列車が来るまで少し時間があるので、駅のまわりを散策する。“戀戀風塵”の最初の方で、中学生の阿遠と阿雲が帰宅する途中、野外にスクリーンがはためいているシーンがある。この場所は侯硐で撮られているらしいので探してみたのだが、それらしきところは見つからなかった。

4時13分の快車で台北へ(NT$43=¥170)。台灣では、急行以外の列車はドアを開けたまま走ることが多い。かなり混んでいたので、開け放たれたドア近くに立って帰る。今日もとても暑いので、強い風が心地よかった。



[1] 高捷のシャツ
“南國再見、南國(憂鬱な楽園)”[C1996-11]の冒頭の平溪線のシーンで着ているもの。
[2] 撮影していた映画
この時点での最新作、“南國再見、南國”の追加撮影だったようだ。高捷のシャツから考えて、彼らはこのあと平溪へ行って撮影をしたのではないかと思う。
[3] ヴィデオの中の侯孝賢
あとで見たら、「こいつ俺のこと撮ってるな」という顔で、ヴィデオを睨んでいた。

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作成日:1998年3月9日(月)
更新日:2004年5月29日(土)