西門町で逢いましょう
1996年1月7日(星期日)
「送迎バスあります」
1月7日、日曜日。台北。晴れ。いよいよ今日は日本へ帰らなければならない。
泊まっているホテル、一樂園大飯店のパンフレットには、「空港への送迎バスがある」と書いてある。私の定義では、「送迎」というのはタダということだ。フロントのおばさんに聞いてみると、一人NT$1100だと言う。NT$1100といえば、約¥4400である。高速バスに10回乗れる。そんなお金を払って乗る人がいるのだろうか。
このおばさんは、すぐお金の話をする人である。日本語はあまり話せないようだが、お金の話になると日本語になる。最初3泊ほど予約していて、その後延長したいと言ったときも、まず「オカネね」と言った。今も、「ひとり1100エンね、台灣のオカネね」と嬉しそうに言う。「とても安全で、とても便利」ということだが、もちろんお断りする。
このホテルは、ロケーションは最高だが、印象は悪い。お金の話だけではない。浴室の換気扇が壊れていたので部屋を換えてくれるように頼んだところ、「修理しておく」と言って説得されたが、帰って来たらそのままだった。結局部屋を換えて貰ったが、ひどく渋った。しかし今日は「1100エン」に呆れていたら朝食券をくれた。せっかくだから初めてホテルの食堂へ行ってみたが、バイキング形式であまりおいしくはなかった。一歩外に出れば安くておいしいものが溢れているのに、いくらタダでもこんなところで食事をするのは不幸だ。今まで気づかなかったが、食堂にいると、けっこう日本人が泊まっていることがわかった。
重い荷物
ホテルをチェックアウトし、台北車站近くのバスターミナルへ向かう。来るときも香港で買ったCDやLDのせいで荷物が重かったが、さらに台北でCDや本を買ったため、私の鞄は死ぬほど重い。キャリアがついているので普通の道は問題ないが、西門町から台北車站方面へ行くのには、中華路の歩道橋を渡らなければならない。前述の「挽歌歩道橋」である。
横断歩道もあるが、地下鉄工事をしているし、荷物もあるので、歩道橋を利用する。上るときには取っ手を持ってなんとか持ち上げたが、非常に重かった。ショルダーバッグにもなるので、降りるときは肩にかけることにした。鞄を下に置き、しゃがんで紐を肩にかける。そのまま立ち上がろうとするが、鞄はびくともしない。ちょうど後ろから若いおにいさんが歩いてきて、私の様子を見ている。手伝うべきかどうか迷っているようだ。内心手伝ってくれないかなと思いながら、努力を続ける。
何度か挑戦した末に、なんとか持ち上がった。よろよろしてまっすぐ歩けないが、おにいさんは安心して行ってしまった。やっと歩道橋を渡り終えると、前を歩いていたはずのJ先生はもはやどこにも見えない。仕方なく、ひとり鞄を引きずってバスターミナルへ向かった。
帰国
バスターミナル近くでJ先生を見つけ、高速バスで中正國際機場へ。12時40分発のCX450便で東京へ向かう。
17連休というのは、就職して以来最も長い休みだったが、それも終わろうとしている。一日も休息していないのに、明日からまた働かなければならないというのは辛いことである。
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