西門町で逢いましょう

1996年1月4日(星期四)


内灣へ

“在那河畔青草青”

新竹

1月4日、木曜日。台北。晴れ。今日は内灣に行く予定だ。内灣は“在那河畔青草青”の舞台であり、ほとんどのシーンがここで撮影されている。

“在那河畔青草青”は、侯孝賢の監督第3作である。田舎の小学校を舞台にした学園ドラマであり、青春映画であり、子供映画であり、アイドル映画でもある。香港のスター、鍾鎭濤(阿B)と、台灣のアイドル、江玲が、小学校の教師に扮して共演している。ふたりのロマンスは物足りないし、魚と川の保護運動を中心に道徳的になっていく後半は面白味に欠けるが、生き生きとした子供たちの描写はのちの侯孝賢の片鱗を見せている。子供映画としてはなかなか優れており、“冬冬的假期(冬冬の夏休み)”[C1984-35]の原型ともいえる映画だ。

台北車站で切符を買う。内灣は新竹縣横山郷にあり、西部幹線の新竹から内灣線に乗り換えて終点の駅である。8時半の莒光41次で新竹まで行く予定で、窓口でメモを見ながら切符を買おうとしたが、無愛想な駅員がメモを奪い取ってさっさと発券してしまった(NT$139=¥550)。


盧大年が乗ってくる列車

“在那河畔青草青”

内灣線車内

新竹で9時55分の内灣線に乗り換える。莒光號が遅れたため時間がなく、切符も買わずに向かいのホームにいた列車に飛び乗る。日本びいきの車掌さんは親切で愛想がよい。内灣までの切符を買う(NT$30=¥119)と、新竹までの切符を記念にくれた。

“在那河畔青草青”の冒頭近く、盧大年(鍾鎭濤)は、内灣線の列車で内灣にやってくる。台北の大学を卒業した彼は、退職する姉の代用教員として、内灣國小へ赴任するのだ。若くてハンサムで正義感が強いが、ちょっとぬけていて憎めない二枚目半というのが彼の役どころである。小林旭のようにギターを持って登場する。

内灣線は、ローカル線らしく乗客もまばらだ。車内の雰囲気は映画の中とほとんど変わっていない。


内灣車站

“在那河畔青草青”

内灣車站

内灣に到着。映画では、眠っていた盧大年が慌てて列車から降りるところを見ると、内灣が終点ではないようだが、実際はここが終点である。

タイトルバックでちらっと映る駅舎も、最後に子供たちが列車を追いかけて駆け下りる階段も、ほとんど変わっていない。道路に向かって扇状に広がる階段には、青菜が綺麗に並べて干されている。


下宿先の映画館

“在那河畔青草青”

内灣戲院

内灣は快晴。少し南に来たせいだろうか、ずいぶん暖かく、陽射しが強い。セーターを着ていると汗ばむほどである。

素朴な田舎町だった“在那河畔青草青”の内灣が、15年の歳月を経てどの程度その面影を留めているのか、いささか不安でもあった。しかし、駅前に立って眺める午前中の町は、静かで落ち着いたたたずまいを見せ、映画の中とあまり変わっていないように見える。ここでは時間がゆったりと流れているようだ。

メイン・ストリートの中正路を歩く。盧大年が内灣に来た日、大年の姉、同僚の音楽教師・陳素雲(江玲)と一緒に、学校から下宿先へと向かう道だ。ところどころに当時と変わらない家も見える。通りを進むと、盧大年が下宿する映画館、内灣戲院にたどり着いた。瓦屋根が印象的な映画館の建物は、使われていないようではあるが健在だ。いろいろな場所で撮ったシーンをつないだのちの作品とは異なり、“在那河畔青草青”は、ほとんどこの町をそのまま使って撮られている。映画の中と同じように歩けば、その舞台をたどることができる。ここには映画の中の世界がそのままにある。

近くには、下宿の娘である陳素雲と家族が住んでいたも見つかった。この家は当時とは少し変わっている。


子供たちが列車を追いかける道

“在那河畔青草青”

中正路

映画は、代用教員を終えた盧大年が内灣を去るところで終わる。子供たちは、駅のホームで彼を見送った後、列車を追いかけて走る。普通ならホームを走って終わりだが、この映画では両者がもう一度出会うところがいい。子供たちは、中正路をずっと行って線路沿いに出て、線路沿いの道を新竹方面に走る。トンネルまで来たところにちょうど列車がやってきて、お互いに手を振り合う中、列車はトンネルへと入っていく。幸福感溢れるエンディングだ。

実際にこの道を歩いてみると、駅からトンネルまではかなりの距離があることがわかった。パワフルな小学生でも、全速力で走り続けるのはかなり大変そうだ。ローカル線の遅い列車とはいえ、実際に両者が再び会えるかどうかは疑問である。

線路沿いの風景もまた、映画の中とあまり変わっていない。人通りのない、強い陽射しの下を歩いていると、散歩しているおじいさんに出会う。にこにこと話しかけられたが、残念ながら台灣語でわからなかった。

トンネル

“在那河畔青草青”

トンネル

“在那河畔青草青”は、トンネルから列車が出てくるシーンで始まり、トンネルに列車が入っていくシーンで終わる。まだ小学生の子供たちにとって、内灣の外は未知の世界だ。実際の境界がどこであるかはともかく、多くの子供たちにとっては、このトンネルから内灣が始まり、このトンネルで内灣が終わるのではないだろうか。人は列車に乗ってやってきて、また列車に乗って去っていく。それを追いかけて行けるのもこのトンネルまで。その先は外の知らない世界なのだ。

このトンネルなどを見ると、侯孝賢の特徴ともいえるロケ地選びの素晴らしさが、すでにこの頃から発揮されていることに、あらためて気づかされる。


盧大年が赴任する小学校

“在那河畔青草青”

内灣國小

映画の主な舞台である内灣國民小學へ向かう。小学校は、駅の向こう側、すなわち新竹とは反対方向にある。映画では、踏切を渡ったところに小学校の入口があった。タイトルバックでは、遮断機の下りた踏切の前で待っている子供たちの前を、列車が通り過ぎる。現在は線路をくぐる地下道ができて、踏切はなくなっていた。

小学校の建物や校庭も改装されている。校庭の赤や黄色のポップな色合いや真っ白い校舎は、周囲の山がちな風景とはあまりマッチしていない。町はほとんど変わっていないのに、ここだけが大きく変わっている。最近ではほとんど撤去されたといわれる蒋介石の像が、なぜかここにはまだあった。


プラットフォーム -見送りと出迎えの場所-

“在那河畔青草青”

プラットフォーム

新竹までの切符を買い、プラットフォームへ出る。この映画では、様々な出会いと別れのシーンが、このプラットフォームで繰り広げられる。内灣國小に赴任する盧大年、内灣國小を退職して去っていく盧大年の姉、転校してくる林文欽の従妹、洪佩瑜、素雲の両親に挨拶に来る大年の父親と妹、そして代用教員を終えて台北に帰る盧大年。繰り返し出てくるせいか、このプラットフォームの風景はすっかりなじみ深いものになっている。

12時2分の列車で新竹へ。新竹の駅前を少し散策して、1時42分の復興106次で台北へ戻る(NT$116=¥459)。


迪化街

台北もずいぶん暖かく、すっかり春の陽気だ。迪化街へ干龍眼を買いに行く。迪化街は、漢方薬屋や乾物屋が建ち並ぶ通りで、今世紀はじめの古い街並みが残っているらしい。龍眼は前回の旅行で初めて食べて以来、気に入っているものである。

思ったほど古い街並みという感じではなかったが、乾物屋がずらりと並んでいて壮観だ。香港にはこういう同業者の集まった街がたくさんあるが、台灣ではあまり見かけない気がする[注1]。香港の方が昔ながらの街の構造が保たれているのだろうか。


老人たちが語り合う植物園

“飛侠阿達”

植物園

南海學園の植物園へ行く。ここは、“飛侠阿達”の中で、よく老人たちが集まって昔話をしている公園である。主人公の阿達(尹昭徳)は、ここで老人たちから紅蓮會の話を聞く。この植物園は、前回も訪れたのだが、そのときは“牯嶺街少年殺人事件”にちらっと出てくる公園ということで見に来たのだった。

“飛侠阿達”は、“暗戀桃花源(暗戀桃花源)”[C1992-72]に続く頼聲川監督の第2作である。賞は獲れなかったが、1994年の東京国際映画祭(京都大会)のインターナショナル・コンペティションに出品されていた。残念ながらまだ正式公開されておらず、公開が待たれる映画のひとつである。

老人たちが昔話に花を咲かせる場所はよくわからなかったが、この植物園はなかなかいいところである。今まで見た台北の公園の中で一番好きだ。大きな池があるせいか、落ち着きと風情が感じられる。前回は雨降りだったし、今回は日が暮れてしまって、いつもゆっくりまわることができないが、次は天気のいい昼間に来て、ぼんやりと過ごしてみたい。


楊家洛が通う高校

“第一次約會”

建國中學

向かいにある台北市立建國高級中學へ行く。ここは、“第一次約會(ファースト・デート 夏草の少女)”[C1989-47]の主人公、楊家洛(張世)たちが通う高校であり、この映画の主な舞台のひとつだ。ここも前回訪れた場所で、そのときは、“牯嶺街少年殺人事件”の舞台としてだった。

王正方監督の“第一次約會”は、50年代末の台北を舞台にした青春映画で、自伝的色彩が濃いと思われる。“牯嶺街少年殺人事件”と“第一次約會”は、共に50年代末~60年代初めの建國中學の生徒たちを主人公にしている。彼らが外省人の子供である点、アメリカ文化の影響を受けた当時の風俗が描かれ、明るいアメリカン・ポップスが流れる点など類似点も多い。しかし、両者は全く異なる色彩をもっている。“牯嶺街少年殺人事件”は夜間部が、“第一次約會”は昼間部が舞台なのだが、それをそのまま反映するかのように、それぞれの印象は「夜」と「昼」、あるいは「陰」と「陽」である。“牯嶺街少年殺人事件”は、大陸反攻の可能性も消えた白色テロの暗い時代が大きく影を落とし、暗く湿った空気が感じられる。それに対して“第一次約會”では、場所的、時代的背景はほとんど感じられず、陽光が明るく降り注いでいる。舞台が同じなのが不思議な気もするが、どんな時代、どんな場所にも、いろいろな人がいて、いろいろな人生があるということなのだろう。

“第一次約會”は、普通の高校生の友情、進路、恋愛などが描かれた普遍的な青春映画である。想像シーンなど、観ていて恥ずかしいところが随所にあり、全体としては完成度が高いとはいえない。けれでも青春映画特有の切なさや爽やかさがあって、私はけっこう好きな作品だ。

建國中學はまず、正門と正面から見た校舎が出てくる。学校のシーンはかなり多いが、今日は平日で中に入れなかったので、内部もここで撮られているのかどうかはわからなかった[注2]。映画の中では、庭なども広く感じられ、前回見た内部の様子とは少し違うように思える。



[1] 同業者の集まった街
この旅行の時点ではあまりないと思っていたが、実は台灣でもあちこちにたくさんあることがあとでわかった
[2] “第一次約會”の建國中學内部
内部は淡江中學で撮られていることがあとでわかった。

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作成日:1998年3月1日(日)
更新日:2004年5月29日(土)