大里暮色
1994年5月1日(星期日)
台北へ帰る
5月1日、日曜日。基隆。晴れて朝から暑い。
基隆は雨の多いところで、3日に2日は雨だと言われている。しかし2泊3日の滞在中、不思議なことに一度も雨にあわなかった。屋台で朝食に肉圓と魚丸湯を食べ、高速バスで台北に帰る。
今日は、台北南西部の、『牯嶺街少年殺人事件』の舞台を中心に回る予定だ。楊徳昌監督のこの映画は、私が初めて観た、侯孝賢以外の台灣映画(合作は除く)であり、私の興味が、侯孝賢というひとりの監督から台灣映画へと広がるきっかけになった作品である。これまでに3時間版と4時間版を合わせて5回観た。思えば、 『欲望の翼(阿飛正傳)』[C1990-36]、『牯嶺街少年殺人事件』、『愛人 ラマン(L'Amant)』[C1992-06]、『傾城の恋(傾城之恋)』[C1984-38]が公開された1992年という年は、個別の監督から台灣映画、香港映画へ、そして中国語圏映画へと興味が広がる契機となった重要な年であった。この年を境に、私の興味の中心は、日本映画から中国語圏映画へと移っていくことになった。
中華商場
台北の西側に位置する古くからの繁華街、西門町へ向かう。中華路沿いにある中華商場の近くを通るが、工事中で近づけない。中華商場は、小さな専門店が並ぶ、3階建てのアパートスタイルの商店街とのことだが、もう営業はしていないようだ。
ここは、『恋恋風塵』の中で、阿遠と阿雲が帰省のためのおみやげを買いに行くところである。阿雲が家族へのおみやげの靴を選ぶシーンの前に、ビルの壁の“中華商場”の文字が映る。しかし、私は来るのが遅すぎたようだ。
中山堂
中華商場の裏にある中山堂へ行く。中山堂というのは、国民党の集会所のことらしい。
『牯嶺街少年殺人事件』の中で、コンサートが開かれる会場が中山堂である。牯嶺街のあたりから比較的近いし、想定はここではないかと思う。しかしロケ地は別の場所らしく、映画とは違う建物だった。
メーデーの今日は、ここで民進党(民主進歩党)の大会があるらしく、あたりは騒然としている。
牯嶺街
總統府、中正紀念堂などを見ながら南下し、牯嶺街へと向かう。急に天気が怪しくなり、牯嶺街の近くでぽつぽつ雨が降り始めた。
牯嶺街は、『牯嶺街少年殺人事件』とタイトルにもあるとおり、映画の終盤で、主人公の少年、小四(張震)が小明(楊靜怡)を刺し殺してしまう通りである。これ以前にも、小四たちが通う建國中學近くの通りとして何度も出てくる。映画の中では、屋台の古本屋がたくさん並ぶ賑やかな通りだが、これはおそらくセットだろう。
和平西路から牯嶺街に入る。現在の牯嶺街は何の変哲もない通りで、映画の印象とはかなり違う。しかし、建國中學の近くまで来ると、古本屋が2、3軒残っていて、わずかに映画の面影を感じさせる。南海路に突き当たって終わるところまで牯嶺街を歩く。
建國中學
牯嶺街を引き返して臺北市立建國高級中學へ。正門を探すうち、雷が鳴り始め、雨が急に激しくなった。和平西路と南海路の交差点にある歩道橋の下で雨宿りをしていると、ちょうど事故があったらしく騒がしい。小降りになるのを待って、南海路に面した正門へ行く。日曜日なので中へは入れないだろうと諦めていたが、偶然何かの催しが行われており、誰でも自由に入ることができた。
建國中學は、『牯嶺街少年殺人事件』の主な登場人物たちが通う中学で、学校のシーンは映画のかなりの部分を占めている。全く同じ場所かどうかはわからないが、売店があった通路や、保健室から一緒に出てきた小四と小明が歩く廊下が、映画の中そのままのようにある。違うのは、そこにいるのが若い少年少女ではなく、おじさんやおばさんだということだ。
雨はあいかわらず降り続き、雷も激しく鳴り続けている。校庭に面した廊下に立っていると、ちょうど校庭に雷が落ちた。
植物園
『牯嶺街少年殺人事件』
建國中學の向かいにある南海學園という広い公園へ行く。ここには、歴史博物館、図書館、植物園などが集まっている。植物園は、『牯嶺街少年殺人事件』の最初の方で、小四と小猫王(王啓讚)が撮影所から盗んだ懐中電灯でカップルを照らして遊ぶところだ。ほとんど照明のない夜のシーンなので、大きな池を渡る橋が出てくることくらいしかわからない。
晴れた日に来たら気持ちよさそうだと思いながら軒下のベンチで休んでいるうちに、嘘のようにいい天気になった。
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