大里暮色

1994年5月2日(星期一)


銅鑼へ

5月2日、月曜日。台北。雨。今日は、銅鑼[tong2 luo2]と大湖[da4 hu2]に行く予定だ。共に苗栗縣にあり、『冬冬の夏休み』と『童年往事 時の流れ』が撮影された町である。

銅鑼は、台北から南に100kmくらい、苗栗の南に位置する町で、西部幹線の山線が通っている。前述したように、台灣は島の周囲を一周するように鉄道が通っているのだが、西側を通る西部幹線は、竹南から彰化まで、海側を走る海線と内陸側を走る山線の2つに分かれる。銅鑼は、山線の真ん中より少し北寄りである。


台北車站

『冬冬の夏休み』 『恋恋風塵』

途中のお店で油條などを買い、台北車站へ行く。台北車站は、改築されて間もない、広くて近代的な駅だ。

改装される前の台北車站は、『冬冬の夏休み』や『恋恋風塵』に登場する。『冬冬の夏休み』は、小学校を卒業したばかりの少年、冬冬と妹の婷婷が、銅鑼にある母方のおじいさんの家で過ごすひと夏の物語。台北に住む冬冬は、台北車站で銅鑼行きの列車を待っていて、隣のホームにいたクラスメートに声をかけられる。『恋恋風塵』では、台北で働いている阿遠が、中学を卒業して上京してきた阿雲を台北車站まで迎えに来る。いずれも古びた雰囲気で、特に『恋恋風塵』では、60年代くらいの設定が全く無理のない、のどかな佇まいを見せていた。ホームの時計も印象に残っている。新しくなった台北車站には、もはや映画の面影はない。


鉄道について

台灣の鉄道には、料金の高い急行列車と普通列車がある。急行には、自強號、莒光號、復興號の3種類があり、この順に速く(すなわち停車駅が少なく)、高い。列車のランクごとに駅間の運賃が決まっており、日本のように運賃+急行料金という体系にはなっていないようだ。なんとなく不透明でわかりにくい。列車のランクによってどの程度値段が違うかといえば、台北-新竹間では、自強、莒光、復興、普通の順に、NT$150、NT$121、NT$101、NT$78である。

銅鑼に停まる急行は本数が少ないので、7:55台北発の急行(自強號1001次)で新竹まで行き、そこから普通に乗り換えて銅鑼まで行くことにした。いつものようにポスト・イットに目的地、乗換え駅、列車名を書いて窓口に出したが、なぜか新竹までの自強號の切符しか買えなかった(NT$150/人)。急行は全席指定だが、すでに満席で、切符には‘無座’と書かれている。‘無座’でも同じ値段なのは解せない。


西部幹線

『冬冬の夏休み』

自強號1001次は本当に満席だったので、立ったまま朝食を食べる。しかし、通勤客なのかすぐに降りる人が多く、途中からは座ることができた。急行の切符は3日前から買えるので、座るためには前もって買った方がいいかもしれない。

『冬冬の夏休み』では銅鑼まで直通の列車で行くのだが、銅鑼に停まる急行は、台北発が6:10の復興101次、13:30発の復興113次、15:20発の復興117次、22:30発の復興123次、23:30発の莒光31次の5本しかない。映画では、日本でいうところの一学期の最後の日、冬冬の卒業式[注1]のあと銅鑼へ出発する。当時(1984年)とは多少ダイヤが変わっているだろうが、おそらく13:30発に相当する列車を使ったのだろう。映画では、台北で列車に乗ってから銅鑼に着くまでが、いろいろなエピソードを交えて描かれているので、次回はぜひ午後の直通で行ってみたいと思う。

8:59に新竹に到着。待ち時間もあるし、清算の仕方もわからないので、いったん改札を出る。またしても筆談で銅鑼までの切符を買い(NT$46)、9:25発の普通列車で銅鑼へ向かう。南へ行くにつれ、雨は止み、天気が良くなっていく。銅鑼に近づくと、窓の外には水田が広がり、檳榔の木が目につくようになった。南国だ。台北の雨が嘘のように、すっかり晴れている。


噴水のある駅前広場

『冬冬の夏休み』

噴水

10:32、銅鑼到着。田舎の小さな駅で、あまり降りる人もいない。それほど南にあるわけではないのだが、明らかに台北とは違う、南国の空気に満たされている。

銅鑼は、『冬冬の夏休み』の主な舞台であり、実際に多くのシーンが撮影されている。冬冬が出てくる改札駅舎駅前広場などは、ほとんど映画のままの雰囲気だ。冬冬たちは、途中で乗り遅れた叔父さんを駅前広場の噴水の近くで待っていて、銅鑼の子供たちと知り合いになる。この噴水は、池のまわりに柵ができてしまっていたが、映画と同じように魚の口から水を吹いている。

駅前を線路に平行して走る通りが、この町のメイン・ストリートだ。この通りと、駅からまっすぐ延びる通りが商店街になっている。駅から延びる通りは、映画の中でも駅前広場の向こうに見えており、ほとんど同じ雰囲気だ。


おじいさんの家

『冬冬の夏休み』

重光診所

『冬冬の夏休み』の原作者であり脚本家でもある、朱天文さんの母方のおじいさんの家に向かう。駅前広場から、駅に向かって右側の細い道を少し行くと、その突き当たりにあり、道の入口から見えるのですぐにわかる。

ここは、冬冬のおじいさんの家として使われたところだ。映画の中のおじいさんはお医者さんで、ここが病院も兼ねていたが、実際のおじいさんもここで開業しているお医者さんらしい。名前も映画の中と同じく劉先生で、“劉”という表札がかかっている。ちなみに、原作の『安安の夏休み』 [B85]では楊先生だった。

正面から見ると、映画で観た通り、門の緑の葉をつけたアーチ状の木の枝と、その向こうの丸い植え込みが印象的な、かなり大きな家だ。畳の部屋が出てきたので日據時代の家かと思っていたのだが、戦後間もない頃に建てられたそうだ。まわりを背の高い木に囲まれていて、家はあまりよく見えないのだが、窓がたくさんあり、どの窓にも同じデザインの格子がある。そのため、全体に統一感があってシンプルで感じがよい。映画の中でも、2階の応接間や畳の部屋のバックに、この格子のある窓が映っていた。どれがどの部屋だろうかと想像しながら、家のまわりを眺める。


阿正國が眠った橋

『冬冬の夏休み』

木橋

劉先生の家は線路のすぐ横にあり、線路の向こう側には水田が広がっている。映画の中で、子供たちは線路を自由に渡って行き来しているが、今は柵ができて渡れなくなってしまっていた。歩行者用のトンネルから、線路をくぐって水田地帯に行く。

水田地帯は一面の緑が鮮やかで、もう夏の風情だ。しかし、映画の中のような、真夏のぎらぎらした感じにはまだ程遠い。『冬冬の夏休み』を満たしている、灼熱とさわやかさと幸福感と倦怠が入りまじったような空気は、真夏のというより、夏休み独特のものだ。「侯孝賢の映画は懐かしい感じがする」とよく言われる。『冬冬の夏休み』が懐かしさを呼び起こすとしたら、それは、畳とか水田とか田舎町の佇まいとか、そんな日本と似た風景のためではなくて、この夏休みの空気の肌触りや匂いのためだと思う。

冬冬が銅鑼の子供たちと遊ぶ川を探しに行く。しかし、場所も行き方もわからないので、田んぼの中の道を適当に歩く。さっきからずっと、向こうの山の方から賑やかな音楽が聞こえている。おそらくお葬式なのだろう。しばらく歩いて川にたどり着いたが、映画に出てくる場所はわからなかった。

川沿いを歩いて、銅鑼の少年、阿正國が、逃げ出した水牛を探しに行って眠ってしまった橋を探す。かなり歩いて、そろそろ諦めようかと思ったとき、やっと見つかった。欄干のない木製の橋だ。あたりは一面の田んぼなのだが、ほとんど働いている人もなく静かだ。


広場

『童年往事 時の流れ 『冬冬の夏休み』

広場

『童年往事 時の流れ』は、阿孝という少年の、幼年時代から高校を卒業するまでの成長の物語であり、侯監督の自伝的映画と言われている。舞台は、台灣南部、高雄の東に位置する鳳山である。しかし、実際にはほとんど鳳山では撮られておらず、嘉義、大湖、銅鑼、淡水などで撮影されたらしい。

映画の中に繰り返し登場する、大きなガジュマルの樹のある広場は、銅鑼にある。『童年往事 時の流れ』では、10年くらいの間に、阿孝とその家族に起こる出来事が、淡々と断片的に綴られていくのだが、それらの断片を、幾つかの繰り返し現れる風景がつないでいる。そんな風景のひとつがこの広場だ。この広場は、『冬冬の夏休み』にも一瞬登場している

『映画で歩く台湾』に載っていた写真では、近くに信号機のポールと思われるものが写っている。その情報だけを頼りに、商店街を中心に探し回る。この商店街はたいした店もないのに、檳榔の屋台だけやたらと多い。お昼どきの商店街は、道路にテーブルを出して食事をしている風景が目につく。食堂ではなく、商店の家族や従業員が昼食を食べているのだ。

広場は商店街のはずれにあった。印象的だったガジュマルの樹は、台風で倒れてしまったということで、今はもうない。コンクリートの囲いの中には、代わりに小さな樹が植えられている。月曜日の銅鑼は夜市が賑やかだということだが、昼間からすでにゲームなどの露店が出始めている。映画の中でも、駄菓子の屋台のようなものが出ていたり、ビリヤード台を置いて木陰でビリヤードをしたりしていた。現在は、樹が小さくなってしまったこともあり、たくさんの露店に埋もれてしまって広場はほとんど見えない。

樹だけではなく、広場のまわりの風景もすっかり変わってしまっている。映画の中で、広場のまわりに並んでいた、煉瓦造りの古びた感じの家は、今はほとんど鉄筋コンクリートになってしまっている。『冬冬の夏休み』や『童年往事 時の流れ』が撮影された10年前から、あまり変化していない印象を受ける銅鑼の中で、このあたりだけが大きく変わってしまったようだ。


大湖へ

小さな食堂で昼食を食べた後、銅鑼の南東に位置する大湖へ向かう。鉄道は通っていないし、銅鑼からのバスもないようなので、いったん苗栗に戻る。銅鑼を通る台中-苗栗間のバスに乗り、苗栗までNT$23。あまり混んでいなくて30分程度で苗栗に着く。苗栗は銅鑼に比べると都会で、ごみごみしていて賑やかで、駅も大きい。

駅前広場にはバスターミナルがあり、大湖へはバスが頻繁に出ているようだ。切符売場で大湖までの切符を買い(NT$43)、バスに乗る。苗栗を離れると、バスは山道をどんどん登って行く。とんでもない田舎に行くんじゃないかと心配になったが、1時間弱で到着した大湖は、一応町だった。


呉素梅が降りてくるバスターミナル

『童年往事 時の流れ

バスターミナル

到着した大湖バスターミナルは、『童年往事 時の流れ』に出てくる場所だ。呉素梅(辛樹芬)がここでバスから降りてきて、自転車に乗った阿孝が後をつけて行く。

バスターミナルのまわりは市街地で店や家が並んでいるが、のんびりした感じの田舎町だ。


ビリヤード場

『冬冬の夏休み』 『童年往事 時の流れ

ビリヤード場

民生路にあるビリヤード場を探す。ここは、『冬冬の夏休み』と『童年往事 時の流れ』の両方に出てくる場所だ。

『冬冬の夏休み』では、冬冬が叔父さんの昌民と遊ぶビリヤード場である。2人がビリヤードをしているシーンで内部が映るほか、昌民の幼なじみである2人の強盗がビリヤード場を覗いて出て行った後をつけたカメラが、前の道と一緒に外観をちょいと映す。

『童年往事 時の流れ』では、高校生の阿孝たちがたむろする、鳳山軍人之友社というビリヤード場の内部のシーンで使われている。後述するように外観は旧電信電話局の建物が使われており、ここではない。


老街の叔父さんの家

『冬冬の夏休み』

叔父さんの家

『冬冬の夏休み』で、勘当された昌民がガールフレンドの碧雲と住む家は、このビリヤード場のすぐ近くにあった。映画の中でのここの住所は‘老街復興路三號’で、おじいさんの家から簡単に行けそうなので、銅鑼の中という設定だと思われる。

道の下に家が密集している、ちょっと変わったところで、石段を降りてすぐの家が叔父さんの家だ。上の道路には、映画の中ではなかった柵ができている。白かった家は全体が青くペイントされ、趣味の悪いドアも取り付けられていた。


高雄縣政府宿舎小上海酒家

『童年往事 時の流れ 『悲情城市』

旧電信電話局
旧電信電話局

日據時代に電信電話局だった日本家屋を探す。ここは、『童年往事 時の流れ』と『悲情城市』で使われた建物である。『童年往事 時の流れ』では、外観は、鳳山軍人之友社(ビリヤード場)として使われており、内部や庭は阿孝の一家が暮らす高雄縣政府宿舎として使われている。『悲情城市』では、基隆・田寮港にある小上海酒家として使われている。冒頭近くの子供の誕生祝いの宴会のシーンで、店の前で家族や近所の人が揃って記念撮影するシーンで外観が映る。

場所がわからないので、しらみつぶしに歩いて探す。日本家屋で、正面の庇がアーチ型で特徴的だという以外、手がかりもない。ところどころ日本家屋がかたまっている場所があるのだが、なかなか見つからない。30分くらい歩き回ってやっと見つけた。

廃屋になっているばかりか、工事用の鉄板の塀で囲まれており、今にも取り壊されそうになっている。玄関の上のアーチ型の庇が、かろうじて塀の上に見えていて、この家だと確認できる。『悲情城市』では、“小上海酒家”のネオンなどで装飾されていたり、店の前に並んだ大勢の人のおかげで、かなり大きく立派に見えていたのだが、こうして見ると、かなり化けさせたなという感じだ。

『童年往事 時の流れ』では、庭に向かって開放された部屋のショットが多数出てくる。畳の部屋の向こうに縁側というより広い板の間があって、そこにおとうさんの机がある部屋だ。成瀬巳喜男の映画のようなこういったショットは侯孝賢の映画には多い。『悲情城市』の鉱山病院もそうだし、『戯夢人生(戲夢人生)』[C1993-14]にもあった。映画の中には、「大陸に帰るときに捨ててもいいように、安い竹の家具を買った」というお父さんの言葉の引用があるが、畳と籐の家具との組み合わせはとても涼しげで、向こうに見える明るい庭の風景も合わせて非常に魅力的だ。しかしながら、現在では内部の様子を窺うことはできない。


大湖と架空の鳳山

『童年往事 時の流れ

大湖の町並み

侯孝賢のもう少しあとの映画、『恋恋風塵』や『悲情城市』では、ロケ地そのものが非常に魅力的だ。例えば、古びた石段の町、向こうに海の見えるプラットホームなどである。それに比べると、『童年往事 時の流れ』の中の風景はもっとずっと平凡だ。しかしながら、実際には幾つもの町で撮影されているにもかかわらず、ひとつの町の空気というものが、確かな存在感をもって映画の中にある。この空気は、その肌触りや匂いまでもが伝わってくるようなリアリティと、それと同時にリアリティを欠いた浮遊感がある。この浮遊感は、記憶の中の町が再現されたものであるためだろうか。

『童年往事 時の流れ』は、阿孝の成長の物語であるが、別の見方をすれば、家族が次々に死んでいく物語である。そして、おばあちゃんの死、大学受験の失敗、好きな女の子の引越し……何もいいことのなかった夏に映画は終わる。しかし、暗いエピソードが多いわりにあまり暗い印象がないのは、このような町の空気のためではないだろうか。そして大湖は、そんな架空の鳳山の空気と非常に近い空気が感じられる町だった。


ドラえもんのいる風景

再びバスで苗栗に戻る。ちょうど学校が終わる時間で、バスターミナルは中学生だか高校生だかで溢れている。バス停に着いたバスにはすでに学生が大勢乗りこんでいて、座ることができない。学生たちは、台北では見かけない赤いジャージ姿だ。

大湖の町を離れると田園風景となる。ところどころ集落があるのだが、そのひとつに、すべての建物の前にドラえもんがあるところがあった。どの建物も正面の入口の前の方に、かなり大きいドラえもんがどーんと立っているのだ。何のためのものかはわからない。田園風景の中に突然現れるドラえもんの群れは、異様だけれども心和む風景でもあった。

苗栗からは、17:36発の復興號114次で台北に戻る(NT$144)。19:28に雨の台北に到着する。もしかして朝からずっと降っているのだろうか。南国の空気を思いっきりすったあとのじめじめした雨の夜は、少し気分を重くさせる。



[1] 卒業式
台灣では、欧米と同じく夏休み前に学年が終わり、9月に新学期が始まる。

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作成日:1997年4月6日(日)
更新日:2004年5月29日(土)