流浪到風櫃

1997年4月26日(星期六)


朝から鍋貼

4月26日、土曜日。台北。くもり。

朝食を買いに出かける。今日は少し西の通りの屋台で、葱餅と鍋貼を買う。葱餅というのは、お好み焼とクレープの中間のようなもので、これもポピュラーな朝食メニューだ。鍋貼は日本で言う焼餃子である。前述したように餃子は蒸餃か水餃が一般的だが、台灣では鍋貼もよく見かける。屋台で売っていることが多く、主食というよりスナック的な位置づけかもしれない。

葱餅がNT$15(¥71)、鍋貼が3個でNT$10(¥47)。両方とも豆板醤をぬって辛くしてもらう。豆板醤をぬると何でもおいしくなるが、鍋貼にもとてもよく合う。日本の餃子屋さんも常備してくれると嬉しい。


南港のアイスクリーム売り

今日は、“南國再見、南國”の舞台のひとつである平溪[Ping2 Xi1](台北縣平溪郷)へ行く予定だ。平溪は、平溪線の終点のひとつ手前の駅である。平溪線には何度か乗っているが、途中の十分までしか行ったことがない。

台北車站へ行く。窓口は急行券用のみなので、自動券売機で切符を買う。自動券売機は、行き先の駅名のボタンを押すようになっているが、平溪線の駅名はなかった。迷った末、券売機で平溪線の始点、侯硐まで買い(NT$43=¥203)、10:05の普通車に乗る。

土曜日のせいか、車内は大学生くらいの若者たちで混み合っている。台北から2つめの駅、南港に着くと、ちりんちりんという鐘の音がした。乗り込んできたアイスクリーム売りのおじいさんだ。若者たちが何重にもおじいさんを取り巻き、なかなか商売繁盛のようだ。ひなびた鈍行とレトロなスタイルとおじいさんという組み合わせは、商魂のたくましさや働く老人の気の毒さを感じさせず、のどかで微笑ましい雰囲気を醸し出している。


阿遠と阿雲が抜けるトンネル

“戀戀風塵”

トンネル

侯硐のひとつ手前の瑞芳[Rui4 Fang1]に到着し、11:05発の平溪線に乗り換える。平溪線の始点は侯硐だが、半数くらいは瑞芳始発である。平溪線もかなり混み合っている。

“戀戀風塵(恋恋風塵)”[C1987-71]の後半、台北から一緒に列車に乗ってきた阿遠(王晶文)と阿雲(辛樹芬)は、侯硐のプラットフォームで別れる。阿雲はここで列車を降りて帰省し、阿遠はそのまま東海岸方面まで乗って行く。侯硐に着く前、ふたりを乗せた列車はトンネルを抜ける。

設定からすればこのトンネルは瑞芳-侯硐間にあるはずだ。実際にこの区間にはトンネルが多い。映画では、線路の隣にもう一本、現在は使われていない線路があり、この線路も実際にあった。一番後ろに乗っているふたりの後ろには、窓越しに抜けてきたトンネルが見えるが、使われていないほうの線路にも小さいトンネルがある。このような場所も何箇所かあった。しかし、どうもトンネルの形が違うように思われる。


小高たちが抜けるトンネル

“南國再見、南國”

三貂嶺を出ると、列車は長いトンネルに入る。次の大華までは、“戀戀風塵”の冒頭でもおなじみの、トンネルの多いところだ。

“南國再見、南國”は、小高(高捷)、阿扁(林強)、小麻花(伊能靜)の3人が、平溪線で平溪へ向かうシーンで始まる。ノーカットで約1分40秒続くこのシーンでは、車内が明るくなったり暗くなったりする。これは列車がトンネルを出たり入ったりしているためだ。冒頭では列車はちょうどトンネルに入っている。ここは、“戀戀風塵”の冒頭に出てくる長いトンネルだと思われる。

平溪のシーンのあとでは、“戀戀風塵”の冒頭と同じように、列車がトンネルを出たり入ったりするシーンがある。これは、彼らが台北に帰ることを表すシーンだが、実際は平溪へ向かう列車から撮ったものだと思う。というのは、1996年のお正月、十分へ向かう平溪線の中で、侯孝賢監督が撮影をしているのを見かけたからだ。監督たちは先頭の窓の前にいて、ずっと外の風景を撮影していた。あとで知った情報では、これは全部撮り終えた後の追加撮影だったということである。


平溪車站での清算 -なまり体験その1-

平溪車站

十分で多くの乗客が降りてしまうと、小さな駅が2つ続き、その次が平溪だ。路線名になっていることからも、ある程度大きな町だと予想されるが、駅の手前には商店街も住宅街もない。

プラットフォームで切符を集めているのは、いかにも田舎のおじさんといった風情の、オレンジのジャージ姿の駅員さんだ。侯硐までの切符を見せて清算する。清算額はNT$15(¥71)。これは台北-平溪間の料金との差額ではなく、侯硐から平溪までの運賃らしい。運賃の仕組みが日本とは違うので、目的地まで買わないと損するのかもしれない。

駅員さんは領収書を書きながらいろいろと話しかける。最初は何を言っているのか全くわからず、もしかしたら台灣語ではないかとも思った。だんだん慣れてくるとやはり北京語だということがわかり、少しずつ話が始まった。

「ひとりで来たの?」「遊びに来たの?」「台灣には何日くらいいるの?」といったありきたりな質問に何とか答える。台灣の北京語は、私が少し勉強した北京式のものとは発音や表現が多少異なるので、簡単な会話でもなかなか難しい。ここは外国人観光客がひとりで来るようなところではなく、おじさんは少し怪訝そうで、十分の近くにある観光地、十分瀑布を勧めてくれたりした。来た目的を話せば、協力してもらえるかもしれないとも思う。しかし、「できるだけ自分の力で探し、見れる範囲で見る」というのが私の方針だ。だから少し話して駅を後にした。


賭博が行われる家

“南國再見、南國”

鉄橋

小さい平溪車站の駅舎を出るとすぐに、見覚えのある小さな鉄橋が見えた。“南國再見、南國”で、青い列車が走り去った、その向こうに見える景色だ。

小高、阿扁、小麻花の目的地は、鉄橋の手前にある線路ぎわの家である。小高はここで行われる賭博を仕切りに来たのだ。この家もすぐに見つかる。小高の兄貴分、喜哥(金介文)が顔を出す、2階の石造りのヴェランダに見覚えがある。そのシーンの前に映る隣の小さな雑貨屋も営業中だ。

映画の中では、2両編成の列車がこの家の前に停まる。しかし実際は、駅にはちゃんとプラットフォームがあり、近いとはいえ、ここまではかなり距離がある。


平溪の陽春麺

平溪

平溪車站の菁桐側には、商店街が広がっている。両側に小さな食堂や果物屋、雑貨屋、仕立て屋などが並ぶ路地を抜けると、基隆河に出た。河の向こう側にも町が広がっている。橋を渡り、ちょうどお昼なので、1軒の食堂に入って陽春麺と炒青菜を頼む(NT$55=¥260)。初めて十分へ行ったときに陽春麺を食べたせいか、このあたりに来ると陽春麺を注文してしまう。

店内のテレビでは、白冰冰の涙の記者会見を放送していた。彼女の娘が誘拐されたためである。今朝はほとんどの新聞の一面がこのニュースだったが、私が買った民生報だけは間に合わなかったらしく、レジで號外をくれた。事件発生から少し経っているようだが、昨夜、警察が犯人のアジトに突入し、主犯のふたりを取り逃がしたということで、公開捜査になったらしい。

台灣で誘拐事件といえば、少し前に日本でも公開された“熱帯魚(熱帯魚)”[C1995-63]が思い出される。誘拐されたのが高校受験を目前に控えた中学生だったために、犯人が同情して勉強させたり、メディアが大騒ぎしたりするコメディである。今度の事件もあのように脳天気だったらいいのだが、実際の事件はもっとシリアスだ。


芋圓ふたたび

平溪

小雨が降り始める。

果物屋の店先に、‘芋圓’という貼り紙を見つける。芋圓は懸案の食べ物だが、今回は九份に行かないので食べられないと思っていた。意外な出会いである。満腹だったが、後で後悔しないために入る。お店の奥に席があり、そこで食べられるようになっている。予想した通り、お芋で作った白玉団子のようなものだった。ゆでた芋圓にゆでた豆を入れ、ぜんざいのようにして食べる。NT$25(¥118)/杯。

お店のおばちゃんは台灣語の時代劇に夢中だ。私が邪魔をしてしまったようで、ちょっと申し訳ない。芋圓を作り終えると私の存在など忘れ、再びテレヴィの前に座り込んだ。やがて台灣語のエンディング・テーマ曲が流れ始め、今日の分は終わり。ところが、おばちゃんがさっとチャンネルを変えると、また同じような時代劇が現れた。これほどチャンネル数が多いと、見るテレヴィ番組のパターンも人によって随分違うんだろうと思う。


列車の窓を流れる風景

“南國再見、南國”

十分

侯[石同]でうまく急行に乗り継げるかわからないので、とりあえず侯硐までの切符を買う(NT$15=¥71)。13:58の上り列車は、少し遅れてやってきた。

“南國再見、南國”の冒頭近く、列車の窓を流れる風景として映し出されるのは、“戀戀風塵”に出てくる風景としても、実際に見た風景としても、おなじみの十分車站付近である。“戀戀風塵”に出てくる信号機十分車站のプラットフォーム線路の両側の商店街を過ぎてゆっくりと流れる風景は、ノーカットで1分5秒ほど続く。映画の中では、侯硐方面から平溪へ向かう列車の後ろの窓から見た風景だが、実際は逆向きの、平溪方面から侯硐方面へ向かう列車の後ろの窓から見たものである。

何度も見た景色でありながら、映画でのこの風景の体験は、実際とは大きく違っていた。夕方近いような光の色、ゆっくりとしたスピード、列車の音を排して流れる音楽。そこには列車に乗っているという臨場感はまるでない。この映画の中でも特に好きなシーンのひとつで、初めて観たときは思わず身を乗り出してしまったのを憶えている。

私は列車の後ろの窓にへばりついて、ただカメラのシャッターを切り続けた。


文清が襲われそうになるところ

“悲情城市”

大華車站

“悲情城市(悲情城市)”[C1989-13]の中で、二二八事件後の混乱期に、停車した列車に乗り込んできた暴民が外省人を襲うシーンがある。口のきけない文清(梁朝偉)が、外省人と間違われそうになるところだ。列車が停まっていたのは、十分のひとつ手前の大華[Da4 Hua2]車站である。列車を降りた寛榮(呉義芳)がまわりの様子を伺うところで、後ろにプラットフォームの端の石段が見えていた。プラットフォームの左側にあった線路は、現在は撤去されているようだ。

降りてみたかったが、次の列車まで1時間以上もあるので諦め、走っている列車の後ろの窓から写真を撮る。このあたりには十分瀑布などの観光地もあり、人気のハイキング・コースのようだ。列車が通り過ぎた途端、線路の両側から人がどっと出てきて、列車をバックに写真を撮ろうとする光景が何度も見られた。


阿雲と阿遠が別れる駅

“戀戀風塵”

侯硐車站

侯硐に着くと、乗ろうと思っていた莒光58次の発車時刻(2時32分)はとっくに過ぎている。これを逃がすと2時間くらいないが、待っている人がたくさんいるので、おそらくまだ来ていないのだろう。

行きのところで書いたように、“戀戀風塵”の後半で、帰省する阿雲と帰省しない阿遠は、侯硐車站で別れる。場所は、プラットフォームから改札へ上がる階段の下の、事務室か何かがあるところだ。

プラットフォームの写真を撮ってしまうと、もう何もすることがない。いつ来るともわからない列車をただ呆然と待つ。平溪では小降りだったは、ここではかなりの大降りだ。山が近いせいだろうか。気温もかなり冷え込んでいる。

莒光58次は、結局1時間ほど遅れてやって来た。台北に戻り、侯硐-台北間の清算をする(NT$80=¥378)。田舎では駅員さんが親切で愛想がいいのに比べ、台北では忙しそうで愛想が悪いという経験を何度かしてきた。しかし、今日の精算所のおじさんは、後ろに行列ができているにもかかわらず、とても愛想がよかった。


阿澤、阿彬、阿桂、小康の西門町

“青少年哪吒”

“青少年哪吒”に出てくる場所を探しに西門町へ行く。西門町が主な舞台であるこの映画には、ここのビルが2つ出てくる。獅子林商業大樓萬年商業大樓だ。

獅子林商業大樓は、映画館やレストランが入ったビルで、西門町の中心ともいえる場所である。映画では、この中にあるゲームセンターで、阿澤と阿彬(任長彬)が基板を盗む。萬年商業大樓は、ショッピングセンター、ローラースケート場、レストランなどのあるビルで、阿桂(王渝文)はここのローラースケート場・金萬年冰宮で働いている。小康は、これらのビルで阿澤や阿彬や阿桂とすれ違い、彼らに接近していく。

若者で賑わうこれらのビルやそのまわりをぶらぶらする。人が多すぎて、ひとりで写真を撮る勇気は出なかった。


西門町の夜(第二夜) -偉大なる香菜-

昨日、北平一條龍餃子店へ行ったとき、すぐ近くに阿宗麺線という小さな店があり、ものすごく繁盛していた。今日はここへ行ってみる。店内には飲食スペースはなく、店の前に椅子が3列くらいぎっしりと並べられている。ひとつ買い(NT$35=¥166)、なんとか空いている椅子を見つける。とろみのついた汁に麺線が入ったもので、それ自体は特別おいしいわけではないが、これに豆板醤と香菜を入れるとなかなかいける味になる。

台灣のおいしさの秘訣として、忘れてはならないのが香菜である。香菜は、パクチー、コリアンダーなどとも呼ばれ、台灣料理だけでなく、タイ料理にも欠かせないが、日本人にはこれが苦手な人が多いらしい。不思議である。香草のない人生なんて、クリープを入れたコーヒーのようだ。

麺1杯では少ないので、峨嵋街と漢中街の交差点あたりに並ぶ屋台を物色する。獅子林の裏にも、夕方から夜にかけてたくさんの屋台が並び、そちらは許可を受けた屋台のようだが、こちらには無許可と思われる移動式の屋台がたくさん集まっている。普段はほぼ決まった位置にいるが、時々別の通りにいたりいなくなっていたりする。

迷った末、ライスペーパーに野菜や腸詰めを巻いて鉄板であぶった生春巻もどき[注1]を買う。ひとつNT$40(¥189)。‘すーすー(四十[Si4 Shi2])’というおじさんの言葉に思わずNT$14出してしまい、‘それは“すーすー[Shi2 Si4]”でしょ’とたしなめられる。日本語で正確には表せないが、北京式発音では、‘四’は‘すー’、‘十’は‘しー’となり、聞き分けは難しくない。ところが台灣では、‘Shi’が‘Si’と同じに発音されることが多いため、‘四十’と‘十四’はどちらも‘すーすー’となってしまう。声調が異なっており、‘四十’は下がって上がる調子、‘十四’は逆に上がって下がる調子である。勉強しているときには聞き分けられるが、日常生活でのとっさの判断は難しいということを実感する。

台灣では、屋台が多いせいか食べながら歩いている人をよく見かける。とてもおいしそうに見えるので、私もビニール袋に入った生春巻もどきをかじりながら帰る。交通量の多い通りを信号無視して車の間を縫いながら、さらにものを食べながら早足で歩くのはなかなか大変だ。だからといって味がわからないようでは駄目で、味わいながらおいしく食べなければならない。具の上にふりかけられているピーナッツ粉が多くて甘すぎるが、それを除けば香草が効いていてうまい。


誘拐報道

誘拐事件のことが知りたいので、今日は音楽チャンネルをやめてニュース番組を見る。今夜はニュースの時間を延長したり、特別番組を放送したりしているテレヴィ局が多い。TVBSのニュース・チャンネルの特別番組を見る。

「治安の悪化は政府の責任」という世論のためか、三党(國民党、民進党、新党)からひとりずつ代表者が出演して討論している。内容はわからないながら、各党の代表者にはこの機会に党の印象をよくしなければという雰囲気がある。番組は途中から、電話による視聴者の声を流し始めた。かけてくるのは、被害者と同年代の女子高生や、同じ年頃の子供をもつ中年の人が多い。延々としゃべり続けようとする視聴者に対して、キャスターは話の切れ目にすかさず電話を切ろうと必死だ。中には泣き出すおばさんもいて、キャスターは切るわけにもいかず困惑を隠しきれない様子だが、各党代表者は大きく頷いたり一緒に涙ぐんだりして、芝居がかって見える。

台灣のテレヴィ番組は、北京語がわからない年配の人などのために中文字幕が付くことが多いが、生放送のニュースには付かないし、日本のニュース番組のように文字や図を多用した番組構成がとられていないために、私の北京語力では内容がほとんどわからない。‘希望’という言葉が頻繁に聞かれ、おそらく「被害者の生存はまだ希望がある」というようなことを言っているのだろう。



[1] 生春巻もどき
これは潤餅というものであることがあとでわかった。

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作成日:1998年2月22日(日)
更新日:2004年5月29日(土)