流浪到風櫃

1997年4月27日(星期)


お掃除おばさん

4月27日、日曜日。台北。くもり時々晴れ。

部屋からエレヴェータに向かう途中、お掃除おばさんに呼び止められる。質問がよくわからないでいると、おばさんは日本語に切り替え、「何号室?」「今日チェックアウトするの?」と尋ねた。北京語で答えると、「あんた、日本人なのに日本語わからないの?」と言われ、ムッとする。しばらく北京語の中で過ごしていて、とっさに日本語が出なくなっているし、おばさんの日本語はあまり流暢そうではなかったのだ。ところが、実はおばさんはぺらぺらだった。早く掃除したいようなので、「すぐに帰ってくるからまだ掃除しないで」と言い残して出かける。

小さな屋台で売っている包子がおいしそうなので、今日の朝食はこれにする。肉入りと野菜入りの2種類を1個ずつ買う(NT$10=¥47/個)。さらに、切ったフルーツの屋台でメロンを買う(NT$20=¥95)。包子は、厚い皮に具がたっぷり入っていて、豆板醤がおいしさを引き立てている。


阿遠が住む映画館

“戀戀風塵”

延平北路二段210巷

明日から南へ下るので、まず台北車站へ切符を買いに行く。列車名も指定しなければならない急行の切符を、初めて筆談なしで買うことができた。莒光41次の台北-苗栗間でNT$198(¥937)。

“戀戀風塵”で、阿遠が友人たちと住んでいる映画館、第一戯院のあたりに行く。大同區の延平北路二段である。古い街並みが残る問屋街・迪化街や圓環にも近い、下町っぽいところだ。第一戯院は延平北路二段と延平北路二段210巷の角にあったようだが、今は取り壊されて、大安商業銀行が建っている。

阿遠を見舞った阿雲が帰宅するシーンでは、阿遠が裏口まで見送ったあと、阿雲がひとり裏通りを遠ざかっていく。この裏通りが延平北路二段210巷だ。延平北路二段210巷というのは、「延平北路二段210番地から出ている路地」という意味で、延平北路とは垂直な路地である。路地のつきあたりに見えていた‘大勇機車行’の看板は、文字が薄くなってはいるが健在だ。

“戀戀風塵”では、80年代後半の台北を使って60年代の台北が描かれていたわけだが、このような古い台北の姿は、ひとつまたひとつと消え去りつつある。


阿桂が横切る立て札

“青少年哪吒”

西門徒歩街位置圖

バスで西門町へ。午前中の西門町はずいぶん静かだが、日曜なのでそろそろ人が増え始めている。

“青少年哪吒”では、約束をすっぽかされて怒っている阿桂が、阿澤と言い争いながら西門町を歩きまわる。ここで彼女は、‘西門徒歩街位置圖’という地図が書かれた立て札の前を横切っていく。この立て札を、西寧南路武昌街二段の交差点で見つけた。このあたりはデパートが幾つもある西門町の中心である。夜のシーンだったので、こんなによく知っている場所だとは思いもよらなかった。


阿澤がサイドミラーを壊す場所

“青少年哪吒”

7-ELEVEN

バスで克難街口へ移動。先日見つけ損ねた阿澤のアパートを探す。克難街は見つかったが、同じ通りを歩いているのに、いつのまにか名前が変わっている。地図をよく見ると、克難街はかなり長く、しかも連続していないようだ。このあたりは細い道が入りくんでいるうえに、歩いていると団地の中に入ってしまったり、とにかくわかりにくい。歩きまわった末、再び諦めてしまった。

中華路二段西蔵路交差点まで歩く。ここは、バイクの後ろに阿桂を乗せた阿澤が、小康のお父さんが運転するタクシーのサイドミラーを叩き壊す場所だ。お父さんのタクシーは西蔵路を進んで来て、中華路二段との交差点の手前でサイドミラーを叩き壊され、別の車と接触する。この車の運転手とお父さんが言い争うとき、背後に7-ELEVENが見えていた。この7-ELEVENのすぐ前の中華路には信号機があり、そこに中華路二段と西蔵路を示す標識があった。7-ELEVENは健在だったが、信号機は道路の反対側に移動していた。


バス停にて

バス停と昼食を求めてさまよい歩いているうちに、龍山寺まで来てしまった。近くのバス停でバスを待っていると、子供連れの若いお母さんに話しかけられる。こういうことは初めてではなく、この3日間、信号待ちやバス停で何度となく声をかけられた。といってもナンパされたわけではない。このお母さんも、おそらく「○○へ行くバス停はここですか?」といったことを尋ねたのだろう。残念ながら、それを一度で聞き取れるだけの語学力はまだない。だからいつも、「對不起、我不會説中文(ごめんなさい、私は中国語が話せません)」と言うことになる。このフレーズはすらすら言えてしまうので、尋ねた人は「話してるじゃないか」と思うのではないかと心配だ。


日本人@台北

台北は、日本人であることがばれにくいところである。いちいち外国人だとか日本人だとか思われないということは、住民の中に紛れ込んで過ごしたい旅行者にとっては心地よい。

中国人の顔と日本人の顔は、大まかにいえばかなり似ている。しかし、中国人は出身地によって顔が違い、例えば広東人は特徴がわかりやすく、日本人とは似ていない。一方、台灣の中国人は、日本人と似た顔が多いように思う。台灣に多いのは福建人だが、福建人の顔の特徴がそうなのかどうかはよくわからない。 顔が似ていても、よく見ると民族や国の違いがわかることは多い。これは、髪型や服装などをトータルに見て判断しているからだと思う。その点、台北の、特に若者の格好は、日本人とほとんど同じだ。これは日本の流行の影響もあるが、生活レヴェルが近いことにもよると思う。

また、台灣には先住民族もいるが、大部分は漢民族で、単一民族国家に近い。先住民族の多い地域では違うかもしれないが、台北などでは、日本と同様、外見が著しく違わない限り、相手を外国人だとは思わないようだ。日本に比べれば言語的にももっと複雑なはずなのだが、少なくとも一般人は、何のためらいもなく、北京語で、時には台灣語で話しかけてくる。

そんなわけで、話しかけられるたびに上の返事を繰り返すのも情けなく、立ち止まることに軽い恐怖を感じるようになってきた。その反面、次回はこれに答えられるようになろうと、学習意欲も高まる。


素食自助餐

バスで台北車站まで戻り、近くの自助餐で昼食(NT$63=¥298)。自助餐というのはセルフ・サーヴィスの店で、多種類あるおかずの中から好きなものを好きなだけ取り、重さで値段が決まる。おかずの中にはデザート類もあり、ご飯とスープはおかわり自由だ。台灣には自助餐がよくあるが、このあたりは予備校街に近いので特に多い。

ここは、素食、すなわちヴェジタリアン・メニューの店で、置いてある豆板醤まで素食用だ。台灣では、屋台や自助餐でも気軽に素食が食べられて、しかも香港のものよりおいしいと思う。


劉志強がラヴレターを渡そうとするバス停

“熱帯魚”

師院附小バス停

バスで“師院附小”まで行く。和平東路二段にある、台北師範專科學校(台北師院)附属小學校前のバス停である。

ここは、“熱帯魚”に出てくる場所だ。主人公の中学生・劉志強(林嘉宏)は、毎朝このバス停でバスを待っている。彼は、ここでいつも見かけるショートヘアの女の子に毎晩ラヴレターを書き、毎朝渡そうとするのだが、渡さないうちに誘拐されてしまう。私がバスを降りたその場所が、まさに映画に出てくるところだった。


紅魚たちのたまり場

“麻將”

硬石餐廳

科技大樓から終点の中山國中まで台北捷運木柵線に乗り(NT$20=¥95)、民生東路三段にある硬石餐廳(Hard Rock Cafe Taipei)[注1]へ行く。

ここは、“麻將”の主な舞台のひとつで、紅魚たち4人の少年のたまり場である。彼らがMarteと初めて会うのもここだ。ほとんどは店内のシーンだが、外観もちょっと映るので、中には入らず外から見る。


西門町の夜(第三夜)

また西門町へ行く。三晩連続、今日だけでも二度め。屋台が集まっている峨嵋街と漢中街の交差点で、串焼きの屋台に直行する。肉や野菜を串に刺したものが20種類ほど並んでおり、好きなのを選んで焼いてもらうというものだ。場所は違うが、“愛情萬歳(愛情萬歳)”[C1994-42]でも、美美(楊貴媚)がこういう屋台で串を選んでいて、阿榮(陳昭榮)と再会するシーンがある。

羊肉や内臓類は苦手だが、生肉の見分けがつかないのでかなり迷う。結局、葱を肉で巻いたものと、さつま揚げみたいなのを選ぶ。1本NT$30(¥142)。他の人が買っているのも1本NT$30だったが、一律料金なのだろうか。ピーマンだけの串もあって、これも同じ値段だったらちょっと納得できないのだけれど。‘要辣?(辛くしますか)’と聞かれ、豆板醤をたっぷり塗ってもらう。屋台のまわりには肉の焼ける匂いが漂い、もう一刻も我慢できない気分だが、立ち食いするにはつらい大きさだ。冷めないうちにさっさとホテルへ戻る。

さっそくお茶をいれて食べ始めたが、やはりこれには啤酒ビールである。今まで気づかないとは、空腹で思考が麻痺しているらしい。さっそく向かいの7-ELEVENに文字どおり走る。台灣啤酒(NT$27=¥128)を差し出すと、レジのおねえさんに何か聞かれる。聞き返して、‘要袋子嗎?(袋要りますか)’と聞かれていることがわかった。これはよく聞く表現で、知っていると便利だ。なぜか旅行会話の本にはどこにも書いてない。

串焼きは期待どおりおいしかった。やはり決め手は豆板醤で、ただのバーベキューも台灣風美味に変身してしまう。初めて食べたさつま揚げ風のものは、日本のさつま揚げより弾力があり、豆板醤との相性も抜群で本当においしかった。部屋で食べるのはわびしいけれど、啤酒が飲めて、テレヴィが見られて、おいしいものが食べられるのなら、これはこれで悪くない。


中文top20と最近の流行音楽

Channel [V]の中文top20を観る。北京語のヒットチャートをMTV[注2]で紹介する番組で、VJは呉大維David Wu。彼は、“烈火戰車(烈火戦車)”[C1995-13]などに出演しているし、CDも出しているが、本職はVJなのだろうか。Channel [V]に一日中出ている気がする。俳優としては大根っぽいから、こっちの方がいいかもしれない。

チャートに入っている曲は、ほとんどが音楽チャンネルで毎日がんがん流れている曲である。現在は、残念ながら、好きな歌手は彭羚Cass Phang梁詠琪Gigi Leungくらいしか入っていない。 流行っているのは、男性歌手では、張信哲、熊天平、林志炫など。3人ともかなりのハイトーン・ヴォイスでバラードを唄っていて、はっきりいってあまり区別がつかない。女性歌手では、鄭秀文、張惠妹、彭佳慧など。鄭秀文はおばさん顔なのに、よくおしゃれだとか最先端だとか紹介されるのが不思議だ。唄もパンチが効いていて好きではない。張惠妹と彭佳慧は最近かなり売れているらしい新人だが、全然いいとは思えない。パワフルなヴォーカルが嫌いな私にとって、最近の傾向は不満だ。

Top20の中でふだんあまり見かけないのは、關徳輝と黄磊である。關徳輝はマレイシア出身のアイドル歌手。昨年シンガポールで前作の“愛到灰心”を買い、素直な唄い方がけっこう気に入っていた。しかし、新しい曲はよくないし、唄にもかなり力が入っていてがっかりする。動くところを見たのは初めてだが、郭富城系の濃い顔も好みではない。黄磊は“邊走邊唱(人生は琴の弦のように)”[C1991-37]に出ていた中国の俳優で、香港映画“夜半歌聲(夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて)”[C1995-26]にも出ていた。今度は台灣でCDを出したらしい。可もなく不可もなくといった感じだ。

もともと台灣では、日本の音楽がかなり聴かれており、影響も大きいようだが、最近、その傾向がますます強くなっているようにみえる。どの音楽チャンネルも、日本語曲を流す時間が増えてしまった。小室系などが台灣に進出してもてはやされ、つまらないダンス・ミュージックやパンチのあるヴォーカルが増え、非常によくない傾向にある。日本の音楽が台灣の音楽を堕落させている。


人目をひくLibretto

10時半ごろフロントに行き、今夜やってくる予定のJ先生を待つ。Librettoで日記を書いていると、フロントのおにいさんに声をかけられる。

「ソレ、コンピュータデスカ?」「Windows95ハダイジョブ?ウゴキマスカ?」「イクラデスカ?」
YMCAというと英語が通じると思いがちだが、この夜勤のおにいさんは、片言の日本語が話せる反面、英語はほとんど駄目なようだ。興味津々な様子で画面を覗き込もうとするおにいさんに、日記を見せまいとしながら、北京語と日本語と英語の混じった会話をする。結局、日記はほとんど書けなかった。

J先生は11時すぎに到着。誘拐事件のニュースは、日本のワイドショウでもがんがん流れていると聞いて驚く。



[1] 硬石餐廳
その後移転し、現在はこの場所にはない。
[2] MTV
中華文化圏などでは、ヴィデオ・クリップをMTVと呼ぶ。

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作成日:1998年3月22日(日)
更新日:2004年5月27日(木)