old manchuria
ロシア、日本、中国がつくった建築
|
大連 [da4 lian2]
三山浦→青泥窪→Дальний(ダーリニー)→大連→旅大→大連
◆1898年、帝政ロシアが清国から遼東半島南部を租借。青泥窪という寒村をダーリニーと命名し、都市建設を開始。
◆1904年5月、日露戦争で日本軍が占領。1905年2月に大連と改名。日露講和条約(9月)と満洲に関する日清条約(12月)により、大連を含む関東州が日本の租借地となる。以後日本は、満洲の玄関、大連に多大な資本を投下して都市建設を行う。
◆日本の無条件降伏(1945年8月)によりソ連軍が占領。11月、中国人による大連市政府設立。国民党の支配を受けることなく、中華人民共和国成立(1949年)を迎える。
◆1950年、旅順、金州と合併して旅大市となる。1981年、再び大連市に改名。
◆現在、多くの外国企業が投資を行い、「北方の香港」として発展を続けている。
|
|
|
瀋陽 [shen3 yang2]
瀋陽→盛京→奉天→奉天/瀋陽→瀋陽
◆金代から瀋陽と呼ばれる。
◆1625年、ヌルハチが盛京を後金(清)の都に定め、都市の建設を始める。
◆北京遷都(1644年)に伴って奉天府が置かれ、以後、満洲の中心都市となる。
◆1898年、帝政ロシアが清国から東清鉄道南部支線(哈爾濱〜旅順)の敷設権を獲得。
◆日露戦争後の日露講和条約(1905年9月)と満洲に関する日清条約(12月)により、長春以南の東清鉄道が日本に譲渡される。
◆1905年、清国が商埠地を設定。1908年、満鉄最大の鉄道付属地が設定され、市街地の建設が始まる。
◆中華民国成立後、1929年に瀋陽と改名される(日本での名称は1945年まで奉天)。
◆1916年、張作霖が奉天の実権を握り、奉天城内の都市改造を始める。
◆1931年9月、満洲事変で関東軍が占領。1932年、満洲国成立。
◆1945年8月、満洲国崩壊。ソ連軍の占領、国共内戦後、1948年11月に解放。1949年、中華人民共和国成立。
◆現在、遼寧省の省都で、東北地方の中心都市である。
|
|
|
長春 [chang2 chun1]
長春→新京→長春
◆1898年、帝政ロシアが清国から東清鉄道南部支線(哈爾濱〜旅順)の敷設権を獲得。長春城の北西に寛城子駅を設ける。
◆日露戦争後の日露講和条約(1905年9月)と満洲に関する日清条約(12月)により、寛城子以南の東清鉄道が日本に譲渡される。満鉄は寛城子駅と長春城の間に鉄道付属地を設定し、長春駅を建設する。以後長春は、東清鉄道と満鉄の接続地として、日露の接点となる。
◆1908年、鉄道付属地の市街地建設が始まる。
◆満洲事変(1931年)で関東軍が占領。1932年、満州国成立。新京と名を変えて首都となり、首都建設が始まる。
◆1945年8月、満洲国が崩壊し、長春に戻る。ソ連軍による占領、八路軍による占領後、1946年5月から国民党軍が占領。1948年10月に解放。1949年、中華人民共和国成立。
◆現在、吉林省の省都。
|
|
|
哈爾濱 [ha1 er3 bin1]
哈爾濱/Харбин(Harbin)
◆1896年、帝政ロシアが清国から東清鉄道(のちに東支鉄道/北満鉄路)(滿洲里〜綏芬河)の敷設権を獲得。松花江河畔の寒村ハルビンを拠点に定め、1898年から鉄道付属地の都市建設を始める。
◆1907年、清国は傅家甸(鉄道付属地外)に濱江廳(行政機関)を設置。
◆ロシア革命(1917年)後、東支鉄道は中国とソ連の共同経営となり、鉄道付属地の利権が中国側に回収され始める。
◆1920年代後半から国際商業都市として発展。
◆1932年2月、満洲事変で関東軍が占領。3月、満洲国成立。1935年、北満鉄路をソ連から買収。
◆1945年、満洲国崩壊、ソ連軍が占領。1949年、中華人民共和国成立。
◆現在、黒龍江省の省都。
|
|
|
■ 各建築物の名称において、「A→B」はAとBの順序関係を示すもので、Aの次にBになったことを示すものではない。
■ 現在の名称に括弧が付されているのは、本などに書かれている情報であり、訪問時(2000年8月)に確認を行っていないものを示す。
■ 主要参考文献
- 張在元・編著:「中国 都市と建築の歴史 都市の史記」[B395]
- 西澤泰彦:「図説「満州」都市物語 ハルビン・大連・瀋陽・長春」[B234]
- 藤森照信, 汪坦・監修「全調査 東アジア近代の都市と建築」[B436]
- 西澤泰彦:「図説 大連都市物語」[B251]
- 西澤泰彦:「図説 満鉄 「満洲」の巨人」[B311]
|
|