大連 (3)
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モスコフスキー大街→山県通→斯大林路→人民路
大連港第二埠頭と大広場を結ぶ大連一の幹線道路。ダーリニー時代に他より幅の広いモスコフスキー大街として建設された。1910年代から、公的機関、日本企業の支店、地元企業の本店が並ぶ大連一のオフィス街となる。現在は高層ビル軒を連ねている。
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[2000年8月] |
[2000年8月] |
人民路 |
人民路 |
◆大連汽船本社は満鉄出資の海運会社。安東、天津、煙台、青島、上海、新潟、敦賀などへの航路をもっていた。 |
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[2000年8月] |
[2000年8月] |
中山區人民路110號
竣工:1914年
設計:岡田時太郎 |
中山區人民路139號
竣工:1923年
設計:石原厳(関東都督府民政部土木課) |
◆チューダー・ゴシック様式。 |
◆大連取引所は、大豆、豆粕、豆油などの重要物産品と、金票、銀票を扱う取引所。1913年の設立。 |
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大連港
海路でのアクセスが一般的だった戦前は大連の玄関であり、自由港として発展。帝政ロシアが一部建設し、日露戦争後は満鉄がその建設を担った。
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[2000年8月15日] |
[2000年8月15日] |
中山區疏港街
竣工:1924年
設計:湯本三郎(満鉄建築課) |
中山區疏港街1號
竣工:1926年
設計:満鉄建築課 |
◆埠頭待合所は、一階にプラットホームが設けられ、船を降りた人はそのまま満鉄線に乗り換えることができた。二階には5000人収容の待合室が設けられ、ブリッジを渡って直接乗船できた。 |
◆大連埠頭事務所は、竣工時には大連一の高層建築だった。 |
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