爺爺不見了
2003年12月18日。木曜日。
くもり。寒い。台北市中正區→(國光客運)→基隆市→(基隆客運)→台北縣貢寮郷→(基隆客運)→
貢寮郷→(自強2039)→宜蘭縣頭城鎭→(電車2732)→台北市中正區
1 2 3 4 基隆で見かけたちょいと渋いビル。 『悲情城市』に出てくる深澳灣の一部。 金沙灣海濱公園。『藍色夏恋』ロケ地。 同じく『藍色夏恋』ロケ地。人気のない冬の海水浴場。 5 6 7 8 福隆車站月台。『海をみつめる日』ロケ地。 頭城で食べた九份招牌乾麺。 頭城老街の南門福徳祠。 亭仔脚のある頭城老街(和平街)の街並み。 9 10 11 12 煉瓦造りの古い建物。 新長興樹記。保存状態のよい商店建築。 頭城一の大商行‘十三行’を営んでいた盧纉祥の邸宅。 頭城海水浴場の展望台。 13 14 15 16 『きらめきの季節/美麗時光』に出てくる龜山島。 ネット・カフェになってしまった映画館。 頭城車站。 大里車站。『悲情城市』ロケ地。
台灣のSARS警戒レベルが引き上げられ、ニュースがSARS一色に変わった。一方、感染源が明確なこと、二次感染がないことから、感染拡大の恐怖はすでにうすれている。報道も、患者の病状や軍の危機管理の追及が中心だ。
そしてSARSよりも現実的な恐怖がやってきた。寒波である。嘉義への寒波の到来が数日来報道されていたが、とうとう北部まで来てしまったらしい。おまけに予報は雨だ。今日の予定は、東北角海岸をまわって宜蘭縣まで行くこと。今回の旅行一の遠出でもあり、初めての土地でもあり、雨と寒さは避けたい。ところが週末に向けてもっと寒くなるらしい。予定どおり行動することに決める。朝食は新定番の「丹堤でトースト」。やはりおじいさんはいない。
東北角を走るバスに乗るため、基隆(基隆市)へ移動。SARS騒動中の前回、基隆への往復に乗った電車の息のつまるような陰鬱な空気が、いまだ記憶に生々しい。今回は高速バスにする(45元=150円)。がんがんの冷気開放[注1]でかなり辛かった。車内で20元(67円)拾ったのでよしとする。
雨の街、基隆も、まだ雨は降り出していない。最初の目的地は、『藍色夏恋(藍色大門)』[C2002-03]で孟克柔(桂綸鎂)と張士豪(陳柏霖)がデートする海岸。東北角海岸國家風景區のどこからしいが、東北角海岸國家風景區はめっぽう広い。しかし、海あり山あり奇岩ありの多様性が売りなので、砂浜はそれほどないはずだ。公式サイトと航空写真[B276]とを入念に検討した結果、金沙灣海濱公園がくさいと思う。それらしい景色が見えたら降りることにし、福隆行きのバスに乗って澳底までの料金を払う(83元=276円)。
北部濱海公路を走るこのバスに乗るのは二度目。いつもは山の上から見ている基隆山や深澳灣、陰陽海を、海辺から眺めるのは新鮮だ[写真2]。深澳灣は、『悲情城市(悲情城市)』[C1989-13]に繰り返し出てくる風景である【映画】。九份や金瓜石から眺める深澳灣には、映画の記憶が分かちがたく貼りついていて、人間の運命や歴史を超えた自然といったものを感じてしまう。間近に見ると、海岸線に点在する他の漁港となんら変わるところはない。山は海岸線に迫り、斜面には金鉱の址も見える。山の上ではひどく遠く感じられる海が、実は近いことを実感した。やがてバスは鼻頭角に至り、『天幻城市(少年[口也]、安啦)』[C1992-51]のロケ地【映画】が、あまり変わりなく現存していることを確認する。
『藍色夏恋』でふたりが砂浜で話しているシーンでは、海中に特徴的な岩礁が見えていた。この岩礁らしきものが見えたところでバスを降りると、予想どおりそこは金沙灣(台北縣貢寮郷)である。砂浜が階段状になっており、映画の中でバンドが演奏していたのはここだ[写真3]【映画】。バスから見た岩礁が映画に映っていたものであることも確認したが[写真4]【映画】、砂浜に散在する石の中に、ふたりが座っていたものは見つからない[注2]。冬の海岸は閑散として人影もなく、賑やかだった映画の中とは対照的だ。
雨はまだ降らず、寒さも思ったほどではない。バスは当分来そうになく、バス代はさっき澳底まで払ってしまった。必然的に澳底まで歩くことになる。思ったよりも遠く、車窓の景色は風光明媚な海沿いの道も、歩いてみると単調である。流浪犬ばかりで人間には全く会わず、しかもバスに2台も抜かれる。澳底の町が見えるところまで来て初めて、歩いている人間に会った。澳底でバスに乗って福隆へ(23元=77円)。内陸を回るバスで、時間もお金もかかる。
いつも慌しく通過するだけだが、福隆はこれが二度目だ。駅から延びる通りの両側に食堂などが並ぶのは記憶にあるとおりだが、雰囲気はまるで違っている。すぐ近くが海水浴場であり、真夏に来た前回は、水着の家族連れが溢れていた。今は人影もまばらだ。1時25分発の自強號で頭城(宜蘭縣頭城鎭)へ向かうため(30元=100円)、福隆車站の月台プラットフォーム[写真5]へ。ここは『海をみつめる日』に出てきたはずだが、改修されたのか、記憶にある場所を探し出すことができない。
頭城へ行く目的はふたつある。ひとつめは『きらめきの季節/美麗時光』に出てくる龜山島を見ること。ふたつめは頭城老街を散策することだ。龜山島は、列車が大里を過ぎたあたりから見えはじめた。曇っているのでうっすらとしか見えない。1時45分ごろ頭城に到着。そんなに賑わってもいないが寂れているわけでもない、ふつうの街だ。まずは昼食。街角の適当な店で、九份招牌乾麺[写真6]、魯肉飯、燙青菜、魚丸湯を食べる(85元=283円)。
老街へ向かう。老街というのは、古い街という意味だ。かつては街の中心であり、清代や日據時代の建物や街並みが残っているところである。台灣では最近「老街ブーム」で、老街を紹介した本がいろいろ出版されている[注3]。老街のなかでは、迪化老街(台北市大同區)や三峡老街(台北縣三峡鎭)が有名どころで、頭城はかなりマイナーだと思う。三峡老街は今回行くつもりだが、SARS患者の出た研究所は三峡にあるらしく、J先生はすでに腰がひけている。
頭城老街と呼ばれているのは、和平街の南門福徳祠[写真7]と北門福徳祠というふたつの祠の間である。南門福徳祠からしばらくの間は、煉瓦造りや中華バロックが並ぶ[写真8][写真9][写真10]。道幅は、ここがかつて街の中心だったとは思えないほど狭く、建物は老朽化している。ふつうに人が住んでいるらしく、深坑などのような観光向けの再利用はなされてはいない。観光客も全くいない。この地帯を少しはずれると、頭城一の大商行‘十三行’を営んでいた盧纉祥の邸宅があった[写真11]。ここもふつうに人が住んでいる。
昼食も食べたし、老街も見たし、あとは龜山島だ。頭城鎭は海沿いに位置し、海水浴場も漁港もあるので、簡単に海岸へ出られると思っていた。しかし街の中心部は海からけっこう離れている。「海はすごく遠い。絶対歩いて行けない」とJ先生は言う。「それほどでもない」と私は思う。とりあえず海に向かって歩き出した。しばらく歩くと、海の気配がし始めた。もう少し行くと‘頭城海水浴場’の看板があった。シーズンオフだが、門は開いている。入ると林がある。林を抜けると展望台がある[写真12]。その先が砂浜である。あまり海水浴場らしくないところだ。カップルもいて、金沙灣のような季節はずれの侘しさはない。
展望台に上って龜山島を見、砂浜へ行ってまた龜山島を見る[写真13]【映画】。やはりうっすらとしか見えないが、その存在感は圧倒的だ。『きらめきの季節/美麗時光』では、海岸で目覚めて起き上がろうとした阿傑が龜山島を目にする。彼にとっても、その存在感は圧倒的だったに違いない。彼は思わず「父さんの龜山島」とつぶやく。
軍人だった阿傑の父親は、蒋介石の絵皿や青天白日旗を部屋に飾る、バリバリの外省人である。かつて駐留していた龜山島は、仕事もせずぶらぶらしている彼の心のよりどころだ。酔うときまって龜山島の話をする。余所者である阿傑の父親にとって、龜山島とは台灣に居場所があった頃の輝かしい記憶の象徴なのだ。かつて軍事の島だったこの島が、観光地として開放される[注4]ということは、平和な時代の到来を意味している。同時に、阿傑の父親のように、現在の台灣に自分の居場所を見出し得ない人々が存在することをも意味しているのではないか。
できれば大里に寄りたいが、ちょっと難しい時間になった。しかしここまで来て素通りするのももったいない。折衷案として、大里に停まる4時33分の電車に乗ることにする(122元=406円)。前の列車が遅れた影響でかなり遅れ、大里に着く頃は暗くなる寸前だった。『悲情城市』では、プラットフォームの柱と線路の向こうの木の柵とが印象的だが【映画】、柱は見当たらず、柵は風情のないコンクリートに替わっていた[写真16]。それでも、変わらずにある山なみと海が、『悲情城市』のあのやるせない家族の情景へと私をいざなう。停車時間が短く、まともな写真は撮れなかったが、8年ぶりに大里車站が見られてよかった。
7時ごろ台北に着く。夕食は、公園號の先にある種福園で斤餅を食べる。斤餅というのは、チャパティのようなものに具をはさみ、巻いて食べる料理。北京烤鴨北京ダックの中身が炒め物に変わったようなもので、なかなかうまい。斤餅、中に入れる猪肉絲と合菜代帽、京醤でワンセット。これに炒青菜、牛肉湯、台灣啤酒をつけて500元(1665円)。
歩いてホテルに帰る。今日は移動が多かったので、歩数は24455歩と少ない。民視[注5]の夜のドラマは、『昔の名前で出ています』の台灣語カヴァーが主題歌だ。朝などにやる番組の予告でも流れる。残念ながら台灣語はわからないが、思わず熱唱してしまいそうだ。
- [1]冷気開放
- 冷房が効いていること。飲食店の入口などによく貼ってある。
- [2]『藍色夏恋』で孟克柔と張士豪が座っていた石
- DVD発売後に確認したところ、これは石ではなく流木だった。撮影用に用意したものに違いない。
- [3]老街の本
- 例えば、“台灣的老街”[B599]、“台灣老街漫歩”[O55]など。
- [4]龜山島
- 1977年から軍事管制区に指定されていたが、2000年に開放され、観光できるようになった。
- [5]民視
- 民進党系のテレビ局、民間全民電視。
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