爺爺不見了
2003年12月15日。月曜日。
晴れ。温暖。台北市中正區→(捷運)→中山區→(捷運)→中山區→(捷運)→士林區→(捷運)→
士林區→北投區→士林區→(捷運)→中山區→大同區→中正區
1 2 3 4 總統府(旧・台灣總督府)。長野宇平治・森山松之助設計、1919年竣工。 捷運の携帯禁止車両。 圓山公園。『ジュディのラッキー・ジャケット』のロケ地? 丸林台菜餐廳の魯肉飯。 5 6 7 8 劍潭捷運站附近。『きらめきの季節/美麗時光』ロケ地。 小偉が吐く、通称「ゲロ花壇」。 雙溪にかかる橋。『きらめきの季節/美麗時光』ロケ地。 雙溪にかかる橋の全貌。 9 10 11 12 雙溪と、上流側にある雙溪橋。 洲美街の屈原宮にあったドラゴン・ボート。 洲美街の福徳正神が祀られた廟。 桃源街牛肉麺の牛肉麺。130元。
5月4日の朝、華華大飯店1階の丹堤咖啡に、常連のおじいさんはいなかった。翌朝早く台北を発った私たちは、彼がその後ここに現れたのかどうか知らない。だが、おじいさんはあのまま消えてしまい、私たちは二度と彼に会うことはないだろう。そんな予感を抱いて、私たちは再び丹堤咖啡へやってきた[注1]。予感は的中し、おじいさんの姿はない。明日も明後日も、彼がここに来ることはないだろう。私はそう確信した。指定席だった隅の席は、ソファのある広い席に変わってしまい、おじいさんの復活を拒んでいる。
今日の前座は總統府の見学だ[写真1]。總統府は現在、平日の午前中に開放されており、1階の展示スペースを見学することができる。見学者入口の前に立っただけで日本人と見破られ、係のおじいさんに日本語で声をかけれらた。「台灣は初めてですか?」の問いに「8回目」と答え、熱烈歓迎される。しかしおじいさんはにこにこしながら「私は反日です」と言う。一瞬驚くが、「反日」ではなく「哈日」[注2]と言ったのだった。
かつて台灣總督府【建築】だったここは、やはり日本人の見学者が多いのか、日本語ガイドがいる。ほぼ同時にやってきた日本人男性2人組を合わせた計4名の見学者に、ガイドのおじいさんがついてまわることになった[注3]。台灣總督府に米軍の爆弾が落ちるのを目撃したという、日本語教育を受けた本省人である。パスポート・チェック、体温チェック、鞄の検査を経て中へ。
展示は、台灣の歴史に関する常設展示と、人権に関する特別展示があった[注4]。ひととおりまわるのに2時間近くもかかったが、ほとんど知っている内容で、私もガイドになれそうだ。台灣を訪れる人は最低限知っておくべき内容なので、何も知らずに来た人は是非見学してほしいと思う。ただ、抗日運動などの紹介が少ないのが気になるところだ。白色テロ時代について、ガイドのおじいさんはしきりに「言論の自由なし、集会の自由なし、報道の自由なし」と言っていた。それを聞きながら、「この人はその時代をどのようにして過ごしてきたのだろう」と私は思っていた。
ここに来た目的は、実は展示ではなく建築で、「台灣總督府の内部が見たい」というものだ。しかし、公開されている範囲には見どころはなかった。2ヵ月に一度の全面公開に行かないといけないようだ。見学コースの最後は売店である。有名観光建造物のミニチュア・コレクターであるJ先生は、目を輝かせて店内を見回したが、總統府のミニチュアはなかった。私は、見学の最後に日本語ガイドが急に生き生きとして朝鮮人参を勧めはじめた、長春の旧・満洲国国務院(現・白求恩醫科大學基礎醫學院)[注5]を思い出した。しかしここではあっさりと、「興味がなければ出ましょう」と言われて終わる。
「どこでも携帯電話が使える」、これが中華圏の定義である。今までそう思っていたが、捷運に携帯禁止車両ができていた[写真2]。圓山で捷運を下り、圓山公園[写真3]の前を歩いていると、向こうに圓山大飯店が見える。『ジュディのラッキー・ジャケット』[C1972-21]に出てきた公園はここだろうか。現在の14階建て中国宮殿式の圓山大飯店が完成したのは1973年。『ジュディのラッキー・ジャケット』では、たしか建設中の建物が見えていた。『バンコックの夜』には、この建物ができる前の圓山大飯店が出てくる。
こんなところにわざわざ来たのは、丸林台菜餐廳で魯肉飯を食べるためだ。魯肉飯なんて、近所のこぎたない店や通りすがりの屋台で食べるもので、わざわざ電車に乗って食べに行くものじゃない。私は本当はそう思っている。しかし魯肉飯に目がない私としては、「ここがおいしい」と言われれば行かずにはいられない。魯肉飯[写真4]、魯蛋、炒青菜、苦瓜湯、香菇排骨湯で154元(=513円)。おかずは自分で取りに行く半自助餐だが、お店はかなり立派で、2階の隅では宴会をしている。おかずの種類が多いのでいろいろ試したいし、魯肉飯もおいしい。しかしそのためにまたわざわざ来るかというと、たぶん来ないだろう。いつか圓山大飯店に泊まることがあったら通おうと思う。
さて、今日のメイン・テーマは『きらめきの季節/美麗時光(美麗時光)』[C2001-13]である。最初の目的地は、捷運の劍潭站附近。小偉(范植偉)と阿傑(高盟傑)が拳銃か何かの鞄を受け取る場所だ[写真5]【映画】。捷運を乗り越したため走ってきた小偉が吐いていた「ゲロの木」の写真を撮る[注6]。母親を癌で亡くし、双子の姉・小敏(呉雨致)も末期癌である小偉は、時々吐き気を催し、一見「彼も癌なのか」と思わされる。しかし、おそらく彼は小敏の苦しみを共感していたのだと思う。小敏の死と時を同じくして我慢できないほどの体調不良を訴えるが、小敏の死後は吐き気を催すシーンはない。
次の目的地は、最後に小偉と阿傑が川に飛び込む橋。前回は景美溪のあたりを探して挫折したが、実はこの川は雙溪である。雙溪は基隆河に流れ込む川で、橋は合流地点のすぐ近くにある。雙溪を境に北側が北投區、南側が士林區だ[注7]。『きらめきの季節/美麗時光』では、緑が多いがどこか荒涼としてうらぶれた雰囲気が、同じ張作驥監督の『チュンと家族(忠仔)』[C1995-69]を思わせもするが、たしかにこの映画の舞台である關渡にも近い。捷運で芝山まで行き、雙溪沿いに出て土手の道を歩く。暖かいが汗をかくほどではなく、散歩にはちょうどいい。しばらく歩くと目的の橋が見えた[写真7]。川原には流浪犬がたくさんいてちょっと怖い。ヤクザに追われて逃げてきた小偉が渡る【映画】のと同じ方向に橋を渡る。
小偉の家の近くという設定のこの橋[写真8]は、映画に何度か登場する。なかでも車椅子の小敏が川を見ているショットが印象深い【映画】。小偉はこの川を「ドブ川」と言うが、画面では水面がきらきらして美しく見えた。実際も一見きれいに見える[写真9]のだけれど、まず臭いが気になり、近づいて見るとかなり汚い。阿基(何煌基)がこの橋の上で飛び込みを目撃する、ふたりの最後を予見するかのようなシーンがある。そのとき阿基は、この川はそんなに汚くないと言うが、彼はこの川の中が海だということを知っていたのだろうか。橋を渡ると、映画の中で阿傑が下りたり、小偉が上ったりした、堤防を上る石段がある【映画】。向こうへ下りてみたかったが、段上に流浪犬が鎮座していて通れなかった。
3番目の目的地は、橋からすぐの洲美街。洲美街は、北投區の南端を基隆河に沿って走っているかなり長い通りである。小偉や阿傑の家のシーンは、ここで撮られているらしい。といっても洲美街という名前以外には何の手がかりもない。1997年発行の地図では、ゴルフ場と廟と小学校のほかには何もない。屈原宮[写真10]や福徳正神を祀る廟[写真11]のある集落へ行き、ほとんど私道のような狭い路地にも入ってみるが、映画の風景には出会えなかった。このあたりは家具工場が集まる地域で、しばらく行くと集落はなくなり、工場が点在するだけになった。洲美街はまだまだ続くが、手がかりがなさすぎるので諦める。
芝山の駅前でラテを飲んだり、いろいろと寄り道をしながら円環まで行く。かつての円環の屋台街は、一度も入らないうちになくなってしまい、その後花壇になった。そこに建成圓環美食館というやはり円形の美食街ができたので、夕食を食べようと思って来てみた。しかし雰囲気もお店のラインナップもいまいちで、人の入りもまばらだ。どうも気が進まない。
代わりに牛肉麺街に行くことにする。比較的最近までその存在を知らなかったが、2年前に知ってから、牛肉麺街に行くのが夢だった。ところがそれらしき場所を歩き回っても全く見当たらない。諦めて、しかし牛肉麺は諦めずに、中山堂近くの桃源街牛肉麺へ行く。桃源街も牛肉麺街だが、看板が出ていないのが桃源街牛肉麺。辛いほうの牛肉麺[写真12]を食べる(260元=866円)。
佳佳唱片をひやかしてホテルへ帰る。今日の歩数は32253歩。一日歩き回って、台北のあちこちで、英文表記の拼音ピンイン化が進行しているのを発見した[注8]。捷運は、拼音に書き換えられたところと従来のウェード式のものとが混在している。以前は漢字のみだったバスの行き先表示には、すべて拼音が付されていた。
- [1]丹堤咖啡
- 今回の華華大飯店の宿泊は朝食込みだった。華華大飯店の朝食の場所は、1階に入っている丹堤咖啡である。朝食券用セット・メニューからひとつ選ぶシステム。
- [2]哈日[ha1 ri4]
- 「日本大好き」ということ。
- テレヴィ・ドラマ、キャラクター・グッズ、アニメなど、日本のサブ・カルチャーにはまっている人々を「哈日族」と呼ぶ。
- おじいさんは「親日」という意味で使ったのだと思う。「反日」に聞こえたのは、日本語で「はにち」と言ったため。
- [3]總統府のガイド
- 最初のおじいさんとは別の人。二二八紀念館のガイドもしているそうだ。できればガイドなしで見学したいが、可能かどうかは不明。台灣人の場合は、ひとりでまわっている人も見かけた。
- [4]總統府の見学
- 入口で、總統府のパンフレット(日本語版)と、‘2003世界人權日系列活動 - 台灣人權之旅學習護照’[O53]という小冊子をもらう。パンフレットには、「自分で建てる総統府」という、飛び出す絵本の素みたいなのがついていて楽しい。小冊子には、台灣の人権運動に関連する場所の紹介が載っていて、今後の旅行の役に立ちそうだ。
- [5]長春の旧・満洲国国務院
- 白求恩醫科大學の中に満洲国関連の展示室があり、必ずガイドが付く。もちろん私たちは、朝鮮人参も何も買わなかった。
- [6]「ゲロの木」
- ゲロを吐いていたのは写真5右側の木だと思っていたが、実は歩道の反対側にある花壇だった[写真6]。「ゲロの木」は汚名返上して、こちらを「ゲロ花壇」と命名する。
- [7]雙溪にかかる橋
- ここの場所がわかったのは、“大台北天地遊”[B276]という台北の航空写真の本のおかげである。非常感謝。
- [8]拼音化
- 拼音は、普通話(中国標準語)のアルファベットによる表音表記。
- あとで調べたところ、台北市は8月に英文表記への漢語拼音の採用を決めたらしい。台灣では、大陸式の漢語拼音と台灣式の通用拼音のどちらを採用するかで論争になっていたはずだが、それが結局どうなったのか、調べてもよくわからなかった(ご存じの方はご教示ください)。言語にはもちろん多様性があっていいが、表音表記にまで多様性がある必要はなく、すでに普及している漢語拼音を使えばいいと思う。
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