爺爺不見了


2003年12月16日。火曜日。
晴れ。温暖。

台北市中正區→(捷運)→台北縣永和市→中和市→(捷運)→台北市大安區→(バス)
信義區→(捷運)→大安區→(捷運)→中正區

二二八和平公園 福和大戲院 福和大戲院 福和大戲院
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二二八和平公園と國立台灣博物館と新光人壽保険摩天大樓。 福和大戲院のあるビル。 二樓へ上がると永聖宮、三樓まで上がると福和大戲院。 閉館した福和大戲院。『さらば、龍門客棧』ロケ地。
中和公園 中和公園の厠所 中和公園の八二三台海戰役勝利紀念碑 鼎泰豐の小籠包
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まだ造成中の中和公園。『不見』ロケ地。 中和公園の厠所。ここも『不見』ロケ地。 中和公園の八二三台海戰役勝利紀念碑。 4年ぶりの鼎泰豐本店の小籠包。
鼎泰豐の豆沙小包 冰館の新鮮草苺牛奶 TAIPEI 101 同領廣場
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絶対はずせない豆沙小包。 冰館の新鮮草苺牛奶。120元。 建設中のTAIPEI 101。世界一高いビル。 同領廣場。『青春のつぶやき』ロケ地。
度小月の担仔米粉 東區粉圓 小豆湯 熱豆花
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度小月の担仔米粉。 東區粉圓。ここを紹介したメディアの名前が看板に並ぶ。 小豆湯。トッピングを3つ選んで45元。 熱豆花。同じく45元。

出がけに丹堤をのぞくがやはりおじいさんはいない。二度目の朝にして初めていつもの蛋餅屋注1。ちゃんと行列ができていて安心。定番の蛋餅と熱豆漿を食べる(70元=233円)。ここのテーブルには豆板醤と腐乳と蠔油オイスター・ソースがある。私はもちろん豆板醤派だが、台灣人は蠔油派が多いことを発見した。あんな黒いものをべったりかけたら、全然おいしそうじゃないけれど。

今日のテーマは‘不見不散’。すなわち、『さらば、龍門客棧(不散)』C2003-03と『不見(不見)』C2003-04のロケ地探しである。‘不見不散’とは、待ち合わせなどで「来るまで帰らずに待っている」という意味で、今日はロケ地を見つけるまで帰らない覚悟だ。といっても目星はついているのだが。

二二八和平公園を通って台大醫院站へ向かう。ドームを持つルネサンス様式の國立台灣博物館建築と、公園の中華風の亭と、少し前まで台北一高いビルだった新光人壽保険摩天大樓とが並んで見える風景は、あまり絵にならない写真1。公園には修学旅行らしい男子高生がたくさんいて、カメラを構えた私の前でふざけている。

捷運に少し乗るともう永和市(台北縣永和市)。永安市場で下りて福和大戯院があるはずの場所へ向かう。福和大戯院は、『さらば、龍門客棧』の舞台であり、ロケ地でもあるが、その前に『ふたつの時、ふたりの時間(你那邊幾點)』C2001-04にも登場している。小康(李康生)が映画館の時計を盗み、尾けてきた太った男にそれを盗られてしまう。そのロケ地が福和大戯院だということは前回の訪台時にもわかっていたが、時間がなくて行けなかった。『さらば、龍門客棧』を観て彼女(私である)が感じた悔しさは、察するに余りある。

『さらば、龍門客棧』の終わりに、この映画館の休業が知らされる。蔡明亮がこの映画を撮ろうと思ったのは、現実のこの映画館の閉館があったのではないか。そのように想像される一方で、休業が映画の中だけの話であることを、あるいは休業はしたが現在は営業していることを、私はひそかに期待した。しかしまた一方では、その建物さえすでにないという可能性も、覚悟しないわけにはいかなかった。もしも営業していたら、どんなにくだらない映画がかかっていようとも、お金を払って入るつもりだ。

しばらく歩くと、『さらば、龍門客棧』の最後の、陳湘琪が去るショットと同じ景色が見えた写真2。建物がまだあったので小躍りする。ひそかな期待を抱きながら、‘福和大戯院’の看板のある、建物の入口まで行ってみる写真3。入口横の番組表には何も書かれておらず、ポスターも貼られていない映画。映画館は3階にあるらしい。おそるおそる階段を上り、廟が入っている2階を通り過ぎる。3階まで上ると、『さらば、龍門客棧』に映っていた手書きの‘福和大戯院’の文字が、通路の向こうに見えた映画。青いシャッターを閉ざしていて、中は窺うすべもない写真4

この映画館は、3階にあるというより2階の屋上に建っているというのが正しい。ビルは通りから見ると4階建てだが、3階と4階があるのは通りに面した部分だけだ。内側部分は2階建てで、福和大戯院はその屋上に建っている。3階はアパートのようだが、その玄関も屋上に面している。映画館があり、それを取り囲むようにアパートの部屋が並び、その間に細い路地がある。地上と同じ光景が屋上で繰り広げられている、奇妙なビルである。

ラスト・ショットの場所に再び戻る。向こうに見える映画館の建物と‘福和大戯院’の黄色い看板、陳湘琪がスクリーンから消え、雨が降りしきる無人の街角、静かに流れ出す姚莉の“留恋”注2。この映画のラスト・ショットは本当に忘れがたい映画。天気のよい今日は、映画を覆っていた雨の日の陰鬱さは微塵も感じられないけれど、映画館が閉館してしまう哀しみは、今もこの場所に漂っている。この建物を見ることができただけで、熱帯を諦めた甲斐があった。

中和市(台北縣中和市)へ移動し、中和公園へ。『不見』で子供がいなくなった公園である。金門島から遠く離れたこの公園の端に、‘八二三台海戰役勝利紀念碑’写真7というけったいなものがあった注3。『不見』の監督である李康生は、実際にこの近くに住んでおり、彼の父親は軍人だったそうだが、このあたりは眷村注4なのだろうか。

映画の中で造成中だった公園は、半年あまり経ってもまだ完成していない写真5。おばあさん(陸奕靜)が入っていた厠所トイレ写真6映画、子供の捜索を頼みに行く管理事務所映画や安平派出所映画を見つける。子供がいなくなった遊び場や、ホームレスが座っていた亭は、似たようなところがいくつもあって、はっきりとは特定できない。映画の中では、現実のものと思われるカラオケの、日本の演歌が聞こえていたが、今日は歌声は聞こえない。紀念碑のところの社交ダンスのほかは圧倒的に子供が多く、西洋人教師に連れられた英語幼稚園の子供たちも見かけた。

古亭まで捷運に乗り、永康街へ移動。食べ物屋天国なのは昔からだが、いつのまにかカフェやブティックが増え、通りも拡幅されてこぎれいになった。最近では女性誌に必ず紹介される「お洒落な通り」である。4年ぶりに行く鼎泰豐本店も、赤い看板の軽そうな雰囲気に変わり、店員は若い小姐に替わっていた。足の太いおばさんたちの大声が響いていた、以前の鼎泰豐が懐かしい。小籠包写真8、炒空芯菜、台灣啤酒、豆沙小包写真9の、「定番腹八分目セット」を食べる(490元=1632円)。

残りの2分目はもちろん冰館で埋める。冬にはないという噂の芒果マンゴーもあったが、やはり冬は草苺イチゴである。‘草苺冰’と注文すると、「5番?6番?」と聞くおじさん。カウンターの上には、お薦めメニューの写真が番号付きで貼ってある。アイスクリームなどの載った豪華なものばかりで、5番、6番とも150元もする。憤慨をおさえて、写真メニューにはない‘新鮮草苺牛奶’写真10を注文(120元=400円)。今日は暖かくて刨冰かき氷日和。芒果も美味いが、草苺も美味い。

台北では現在、世界一高いビル、TAIPEI 101写真11が建設中だ。J先生は、このビルに特別な関心を寄せているらしい。前回から「行こう、行こう」とうるさかったが、私はあまり興味がなかった。今回は、隣接するショッピング・モール、TAIPEI 101 Mallもすでにオープンしており、行ってみる気になった。先月のオープニングには阿扁注5までやって来て、たいへんな騒ぎだったらしい。しかしこれといって目を惹くような店は見当たらない。話題のビルとショッピング・モールをひと目見ようという客で、かなり混んでいる。なかでも目立つのは老人の団体だ。彼らの居場所はほとんどなく、ブティックの前をうろうろしているおじいさんやおばあさんが気の毒である。Caffe Chicco D'oroでラテなどを飲んでひと休み(175元=583円)。

『青春のつぶやき(美麗在唱歌)』C1997-07のロケ地である忠孝東路のデパート街へ移動する。前回もロケ地を探しに来たが、ほとんど成果を上げられなかった。帰国後、VCDと写真と記憶とをひたすら比較検討したうえでの再チャレンジである。映画の中で、映画館の切符売り場があったのは同領廣場の入口写真12映画で、聖瑪莉サンメリーはFLYING EAGLEという店に替わっていた映画。建物や街並みは変わっていないのに、テナントや細部がどんどん変化し、ロケ地を特定できるような手がかりはかなり失われている。

通称「挽歌ロータリー」まで歩いて誠品書店へ。‘油彩・熱情・陳澄波’B676という画集を購入する(600元=1998円)。陳澄波は、グレゴリ青山さんの「グ印亞細亞商會」B615で紹介されていた画家である。日據時代に活躍し、二二八事件の犠牲になった。故郷の嘉義の街並みなどを描いた絵は、建物や木や、そしてグレゴリさんも指摘しているように電信柱までが丁寧に描き込まれている。日常の空間を、空気ごと一瞬切り取ったようなその雰囲気は、『童年往事 時の流れ(童年往事)』C1985-34を思い出させた。嘉義は二度ほど訪れているが、画集を見て再び訪ねてみたい。

度小月担仔麺で夕食。担仔米粉写真13、担仔麺、燙青菜、台灣啤酒で、腹八分目まで食べる(210元=699円)。前回の旅行でちょっと米粉にはまったので、私は担仔米粉を食べてみたが、やはり度小月は担仔麺のほうがおいしい。残りの二分は東區粉圓写真14で埋める。正面の看板(写真右上)に、この店を紹介したメディアの名前が並んでいて、FIGARO japonやcafe sweetsなど、日本の雑誌もある。雑誌の切抜きを貼っている店は多々あるが、わざわざ看板を作ってしまう気合の入れようはどうだ。そんなにしなくても十分有名な店なのに。小豆湯写真15と熱豆花写真16を食べる。それぞれ芋圓や花生ピーナッツなど、トッピングを3つずつ選んで45元(150円)。

捷運で台北車站に戻り、大衆唱片をチェックしに行く。ここのCD売り場は、あいかわらず赤いシールと緑のシール注6をやっていて買う気がしない。王小帥の『北京の自転車(十七歳的單車)』のDVDを購入して(368元=1225円)帰る。今日の歩数は31899歩だった。


1]いつもの蛋餅屋
原則として最初の朝はここと決めているが、昨日はおじいさんがいるかどうかが気になったので丹堤へ行ったのである。
2]“留恋”
原曲は、服部良一が1939年に作曲した『チャイナ・タンゴ』。歌は中野忠晴。アレンジは“留恋”のほうがスローでしっとりした感じだと思う。
3]中和公園
ここを‘八二三紀念公園’と記載している地図もある。
4]眷村
戦後台灣に渡った軍人とその家族のための住宅が建設された地域。
5]阿扁
陳水扁総統の愛称。
6]赤いシールと緑のシール
赤いシールのCDと緑のシールのCDを組み合わせると安く買えるシステム。ほしいCDはほとんど赤いシールで、緑のシールは全然売れないようなものが多い。単体で買うと他店よりも割高になりやすい。

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作成日:2004年3月14日(日)
更新日:2004年5月30日(日)