爺爺不見了
2003年12月17日。水曜日。
くもり。温暖。台北市中正區→(捷運)→文山區→台北縣新店市→(捷運)→新店市→(バス)→台北市大安區→
中正區→(捷運)→萬華區→(捷運)→大安區→(捷運)→大安區→(捷運)→中正區
1 2 3 4 景美醫院。『きらめきの季節/美麗時光』ロケ地。 新店にあるビル。『きらめきの季節/美麗時光』ロケ地。 力行路11巷。『きらめきの季節/美麗時光』ロケ地。 左手の路地を入ると小偉の家がある…ことになっている。 5 6 7 8 どぶ川に張り出した力行路11巷の家々。 國立台灣大學(旧・台北帝國大學)正門。 いろんな映画に出てくるらしい三軍總醫院。 汀州路三段230巷を入ったところ。 9 10 11 12 『小雨の歌』で陳湘琪が住んでいたのはこのあたり。 調景嶺みたいなところ。全体が芸術作品らしい。 古い建物を改築したカフェ・穀鳥軒。 2001年には改修中だった龍山寺は鮮やかに変身。 13 14 15 16 中華バロックの旧・朝北醫院。現在は日本料理屋。 麒麟大飯店。『ダブル・ビジョン』ロケ地。 紅樓劇場(旧・西門市場)。『恋恋風塵』ロケ地。 長白小館の酸菜火鍋。
朝食は再び丹堤咖啡。やはりおじいさんはいない。ここでの定番はトースト、ゆで卵、ラテのセット。今日はなぜか「トーストはまだできない」と言われたので、サンドイッチを選んでみる。締まりのない味で、やはりトーストのほうがいい。おじいさんは最後まで現れなかった。
今日のメイン・テーマは再び『きらめきの季節/美麗時光』。最初の目的地は、ヤクザに撃たれた阿傑が運び込まれる病院である。捷運で景美へ移動し、ロケ地の景美医院を見る。何の変哲もない病院[写真1]。映画に出てくる急診室入口【映画】は、向かって右側面にあった。その前には、SARS対応のための‘發燒檢疫站’が設置されている。
景美溪を渡ると新店(台北縣新店市)だ。ぶらぶら歩いていると、見おぼえのある景色が突然目の前に飛び込んできた。阿傑がヤクザを撃ってしまい、小偉と阿傑が逃げて行く立体交差の通りだ【映画】。ふと横を見ると、ヤクザの事務所があったビル[写真2]【映画】。ロケ地のそばにはロケ地ありだ。ついでに、『恋人たちの食卓(飲食男女)』[C1994-36]で長女・家珍(楊貴媚)が勤めている学校、開明高級工商職業學校を確認しに行く。
次の目的地は、小偉の家のまわりが撮られた力行街11巷[写真5]である。前回は、このあたりがロケ地であることは確認できたが、出てくる場所をきちんと把握できたわけではない。DVD発売後、画面と写真と記憶とをひたすら比較検討したうえで、だいたいの位置関係を理解した。それを確認するのが今日の仕事だ。
どぶ川に張り出したヴェランダのようなところ【映画】の先に棚橋【映画】がある。その前の路地[注1]を入ると、そこが繰り返し登場する、蛍光灯のある路地[写真3]【映画】だ。実際には出口に蛍光灯はない。代わりに籐椅子が3つほど並んでいて、なかなか絵になっている。この路地を出ると鴿橋【映画】があり、家を2軒ほど通り過ぎるとまた路地の入口がある[写真4]【映画】。その路地の先に小偉の家や阿傑の家があることになっているが、前述したように、ここは洲美街で撮られているらしい。
小偉や阿傑が住むところは眷村だと思われ、このあたりは実際に眷村らしい。眷村というと純粋な外省人家庭のようだが、小偉や阿傑の家庭はそうではない。姉妹だと思われる母親たちはおそらく本省人だし、小偉の父親は外省人ではあるが、客家人というちょっと特殊な存在である。彼らの家庭は、北京語、台灣語、客家語など多言語が飛び交う。モノローグか会話か、あるいは誰と話すかによって言語を切り替えるのは、ごく当然のことである。その有りようは、台灣社会の縮図でもある。
棚橋の上で写真を撮っていると、前の20號の家【映画】のおばさんが出てきた。「何のために撮っているのか」と問い詰められる。「電影映画がどうのこうの…」と言ってみても反応がない。まさか隠し撮りしたわけでもないだろうが、この映画が撮影されたのは2年以上も前である。映画に出てくるからといってどぶ川やスラムを撮りたがる趣味も、おそらく理解できないだろう。デジカメの写真を見せ、おばさんの家は撮っていないことを納得してもらう。
だが、あまり釈然としたようではなかった。もしかすると私たちを観光客と考えていなかったのかもしれない。「まさかそんな」と思うが、天津でも似たような経験をしている。政府関係の建物の写真を撮ったら、警備していた武装警察だか憲兵だかに呼び止められて詰問された。噛み合わないやり取りをさんざんしたあとで、観光客とわかると急に態度が変わった。「もう行っていい。写真も撮っていい。」仕事だと思われたらしく、許可の有無を問題にしていたらしい。このときも「何のためか」「何に使うのか」ということを繰り返し聞かれたが、今日のおばさんも問い詰め方が似ている。最近、戦後まもなく建てられたバラックのような眷村の建て替えが進んでおり、映画の中でも立ち退き問題が語られていたが、そういう事情が絡んでいるのかもしれない。ロケ地めぐりに来る人があとを絶たなくて迷惑しているということは、……あるわけない。
バスで公館へ移動し、金鶏園で昼食。小籠包子、菜肉蒸餃、燙青菜、蛋花湯で140元(466円)。‘禁煙’の貼り紙に、手書きで‘禁酒’と書き添えてあった。永康街の金鶏園でも啤酒を外へ調達に行った記憶があるが、ここは持ち込みもだめということだろうか。お茶や湯スープもいいが、やはり小籠包には啤酒だろう。デザートは台灣大學[写真6]の売店で調達。農学部附設農業試験場で作っているアイスである(2種類で25元=83円)。台灣大學では以前、文學院のトイレに紙がないことを確認したが、普通大樓もやはり紙がなかった。あらためて私は問いたい。「最高学府に紙がなくていいのか?」と。
近くの三軍總醫院汀州院區[写真7]を見る。三軍總醫院は、『河(河流)』[C1996-41]や『恋愛回遊魚(起毛球了)』[C2000-33]にクレジットされている病院。内湖院區もあり、映画に出てくるのがどちらなのかはわからない。
それから汀州路三段230巷へ行く。『小雨の歌(小雨之歌)』[C2002-10]で、段釣豪が陳湘琪を送っていくとき、たしかここを入って行ったと思う。巷に入ると道は上り坂になり、映画の記憶と一致した。しばらく行くと、崖に面して廃墟のような建物が組み合わさるように建ち、青天白日旗がはためいているところがあった[写真10]。かつて香港にあった調景嶺のようなところだ[注2]。適当な道を上ってみる。曲がりくねった細い路地にバラックのような家々[写真8][写真9]。場所は特定できないけれど、陳湘琪とおじいさんが住んでいたのは、こんな雰囲気のところだった。台灣に身寄りがないらしい陳湘琪のおじいさんは、おそらく兵士として台灣へ来たのだろう。このあたりも眷村なのかもしれない。
捷運で萬華へ移動。萬華は台北で最も古い繁華街だが、古い建物はあまり残っていない。そんななかで、かつてデパートだったという建物が、穀鳥軒というカフェ[写真11]になっていた。珍珠奶茶などを飲む(128元=426円)。内部はすっかり改装され、残念ながらかつての面影はないが、2階の窓から青草巷が見えるのがポイントだ。もうひとつ、現在は日本料理屋になっている旧・朝北醫院[写真13]は、なかなか立派な中華バロックである。
萬華には、『ダブル・ビジョン』でKevin Richter(David Morse)が泊まっていた麒麟大飯店[写真14]【映画】もある。2002年につくられた『ダブル・ビジョン』は、SARSを予見したのかと思わせる映画である。謎の殺人ウイルスが出てくるストーリー自体もそうだが、麒麟大飯店もそのひとつだ。ここはちょうど前回の訪台時、SARS疑い例の香港人観光客が泊まったのをきっかけに、営業を一時停止した。『ダブル・ビジョン』を観たのは台灣のSARSがピークの頃で、「このフィルムが麒麟大飯店の見納めか」とも思ったものだ。しかし今は、何事もなかったかのように営業している。
西門町まで歩く。久しぶりの西門町は、私の記憶にある街とはすっかり変わっている。きれいになった中華路に愕然としたのは2001年だったが、西門ロータリーのあたりはこぎれいさがすっかり板についた。このあたりのロケ地も、かなり様変わりしているようだ。ロータリーの顔だったTower Recordsは、ビルが取り壊されるのか、閉店セールをやっている。
Tower Recordsの奥にある紅樓劇場は、劇場とカフェに生まれ変わり、すっかり華やかな雰囲気になった。紅樓劇場の改修は1999年には終わっていたが、2001年にはまだまわりに煉瓦造りの廃虚があり、近くの古い商店も残っていた【映画】。ところがそれらはすっかり取り払われ、煉瓦造りの新しい建物ができていた。もうすぐ新西門商場としてオープンするらしい。はるか昔、ここが西門市場だった頃の雰囲気に戻りつつあるのかもしれないが、かつてここが路地裏のポルノ映画館であったことを思わせるものは、もはや何もない。そしてそれは、『恋恋風塵(戀戀風塵)』[C1987-71]の雰囲気が、どこにも残っていないということでもある。
夕食は、前回すっかりファンになった酸菜火鍋を食べようと、捷運で古亭へ移動。台電勵進餐廳という店へ行く。平日の6時すぎだというのにすでに満員で、順番待ちが何組もいる。しばらく待ってみたが、誰も帰らないうえに閉店は8時。名前から想像できるように、台灣電力公司【公式】の施設であり、社員であれば予約できるらしい。コネのない人は、気合いを入れて開店前に行く必要があるのかもしれない。今日は諦めて、しかし酸菜火鍋は諦めずに、前回と同じ長白小館へ行く。酸菜火鍋[写真16]とセロリの小菜と台灣啤酒で1020元(3397円)。肉は豚と羊にしてみたが、羊は臭いがあって私には苦手だった。羊は北京に限る。
捷運でホテルに帰る。今日の歩数は35503歩。台灣に来て以来、毎日何人かはマスク姿を見かけた。風邪やインフルエンザが流行り始める季節でもあり、日本で見かけるのと同じ程度である。しかし今日は、捷運内のマスク比率が増えたような気がしていた。案の定、夜のニュースはSARS患者の発生を伝えていた。軍の研究所のSARS研究者で、ある意味では最もあってはならないことである。政府や軍としては面子が立たない。しかし感染経路が明確なぶん、安心でもある。問題は感染後にシンガポールへ出張していることで、今のところほかへの感染はないようだが、最悪の場合、再び国際問題になりかねない。ちょいと気になるのは、この患者が私たちの行動と妙に接点があることだ。中華航空を利用していること、中正機場を通っていること、新店に住んでいること、三軍總醫院に入院したこと[注3]などである。大事にならないことを祈って寝る。
- [1]路地
- すべて‘力行路11巷’という一本の通りなので、路地の入口とか出口とかいうのは本当はおかしい。しかし、両側に家がある部分と片側が川に面した部分があり、両側に家がある部分の始まりと終わりは、感覚的に「路地に入る」「路地を出る」という感じである。
- [2]調景嶺のようなところ
- 後日見た雑誌によると、ここ全体が、外国人芸術家が主催する芸術集団の作品らしい。
- [3]SARS患者が入院した病院
- 最初に入院したのは三軍總醫院らしいが、汀州院區か内湖院區かは不明。報道時点では和平醫院へ転院していた。
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