屏東の夏休み

基隆山の灼熱地獄

1998年7月19日(星期)


7月19日、日曜日。基隆。晴れ。

バスで九份注1へ移動。
九份の観光産業はますます繁栄している。
かつての面影は消え、醜悪さが増大するばかりだ。

[崙頂路の広場]

“戀戀風塵”C1987-71の阿雲の家映画がある崙頂路の広場映画へ。
かつて阿遠の家映画だったところは、三階建ての立派な家になっていた。

広場の端から基隆山映画を仰ぎ、展望台からラストシーンの海映画を望む。
九份の変貌ぶりをよそに、変わらない美しさを見せている。

『我が人生最悪の時』C1993-23の兄弟の故郷も九份。
天公廟映画近くにあったはずの彼らの家は、建替え中で跡形もない。

[阿妹茶酒館]

阿妹茶酒館の窓辺の席に座る。涼風に吹かれて台灣啤酒を飲む。至福の時間。

[基隆山の山道]

昼下がりの炎天下、“悲情城市”C1989-13で寛美が金瓜石へやってくる山道映画へ向かう。
わずかな日陰さえなく、風はたまにしか吹かない。
水はすぐにお湯になり、それさえも底をつく。
九份の町から一時間あまり、たどり着いた場所は舗装されて雰囲気が変わっていた。

金瓜石への道を遠回りして、バス通りの雑貨屋に駆け込む。
こんなときでさえ、‘黒松’は不味い。

[トロッコの線路]

金瓜石注2も観光地化が進み、本山五坑のあたりは観光客でいっぱいだ。

[元床屋]

喧騒を離れ、石段を下りて行く。
時が止まったようなひっそりとした金瓜石は、まだ残っている。
鉱山病院跡映画は空き地のままで、
“悲情城市”で文清の写真館映画として使われた建物も、荒れ果てたまま放置されている。

“牯嶺街少年殺人事件”C1991-16の小四の家は、取り壊されてしまったのか、見つからない。

[深澳灣]

九份に戻り、町を散策。
ラムネを買うと、四年前にも会ったおじいさんに訊ねられる。
「日本にもまだラムネはあるの?」

九份に泊まるのは初めてだ。九重町休閒渡假中心は快適な宿とはいえない。
フローリングにマットレスを敷いた部屋が、なぜか「和室」と呼ばれていた。



[1] 九份[Jiu3 Fen4]
台北縣瑞芳鎭。
[2] 金瓜石[Jin1 Gua1 Shi2]
台北縣瑞芳鎭。

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作成日:1999年4月6日(火)
更新日:2004年5月29日(土)