イエイエ上海 page 3

1999年7月25日(星期)


1 街角
2 北蘇州路
3 上海大厦
4 外白渡橋
5 和平飯店北樓
6 上海海關
7 小龍包
8 湖心亭
9 吐痰
10 フェリー
11 黄浦江

7月25日、日曜日。上海。晴れ。

上海といえば外灘[wai4 tan1]、ということになっている。建築は好きだが重厚、豪華なものは苦手で、それほど惹かれる場所でもない。それでもやはり、繁栄のシンボルであった上海の表玄関は、最初に訪れるのに相応しい場所であるように思われる。

ホテルを出て路地に入る。屋台や露店がごちゃごちゃと並ぶ。今朝は大通りの屋台で葱餅を買ったが、このあたりの方がいろいろな朝食の屋台が出ている。露店の頭上には洗濯物や冬物衣料が、“重慶森林”[C1994-38]のスチュワーデスの制服のようにはためいている。路地の両側に並ぶ薄汚れた西洋風アパート。遠慮なく突き出した色とりどりの洗濯物。路上に並ぶ様々な商品。そして真夏の上海の、文字どおり灼けつくような陽射し。この混沌とした光景が美しいのは、そこに人々の生活の匂いがあるからだ。

蘇州河[su1 zhou1 he2]沿い(写真2)に出る。コンクリートの堤防の向こうから、時おりどぶの臭いが漂ってくる。やがて百老匯大厦Broadway Mansion(現・上海大厦)(写真3)が見えてきた。上海アール・デコ・スカイスクレイパー[B200]。階段状のデザインがクールだ。

1時間もかけて、やっと外白渡橋Garden Bridge(写真4)までたどり着いた。ディック・ミネが、♪ガーデンブリッジ、誰と見る青い月♪[注1]と唄ったところ。かつて日本と西洋を分けたところ。『上海 支那事変後方記録[C1938-5]で、「各国の政治的、経済的抹消神経の集まりどころ」と紹介されたところ。今は化粧直しの最中で、情けない姿を晒している。外灘もあちこち工事中で、全体を一望することができない。上海一有名な沙遜大厦Sassoon House(現・和平飯店北樓)(写真5)、『上海 支那事変後方記録』の最初のショットで映っていた江海關(現・上海海關)の時計塔(写真6)などを眺める。

上海一西洋的な場所から、上海一中国的な場所へ。露店に埋めつくされた通りを豫園[yu4 yuan2]へと向かう。野菜や果物、衣類、大中で売っているようなキッチュな小物。すべての路地が商店と化し、街全体が巨大な市場だ。

豫園に来たら、南翔饅頭店で小龍包を食べ、湖心亭でお茶を飲む。そういうことになっている。南翔の2階のレストランには、バビントン・ティールーム方式の待ち行列用の椅子があった。感心していると、先頭の客が入った途端、あたりは椅子取りゲームの戦場と化す。予期せぬ出来事で、私はまったく無防備であった。状況を理解しないまま、本能的に空いた椅子を取っていたが、気がついてみると私の順位は後退していた。しかしお店の人はよく教育されており、正しい順番で入れてくれた。彼らが平然と、「自分が先だ」と抗議していたのは言うまでもない。

有名な小龍包(写真7)は、1籠6個入り20元(=295円)とけっこう高い[注2]。皮がしっかりしているので、乱暴に扱っても中のスープは安泰である。鼎泰豐のような繊細さはないが、素朴なおいしさだ。冷えた青島[口卑]酒をぐびぐび飲んで、2人で3籠を平らげると、割込みの恨みも暑さも忘れた。

入場料15元(=221円)を払って豫園に入る。中国式庭園には興味があったが、どうもちょっと広すぎる。上海に限らないが、街中の生活風景がおもしろい分、観光地は物足りない。一回りした後、湖心亭(写真8)の二階に落ち着く。西湖龍井[xi1 hu2 long2 jing3]と碧螺春[bi4 luo2 chun1]、お茶受けがちょっとついて、それぞれ50元(=738円)。大きなガラスのコップに直接茶葉が入っていて、ふうふう吹いて沈めながら飲む。私は凍頂烏龍茶が一番好きだが、緑茶も劣らずおいしく、ついもう一杯とお湯を注いでしまう。窓の下の観光客を眺めながらお茶の香りをかいでいると、ずっとここでぼーっとしていたくなる。

下町の商店街には、パジャマ姿のおじさんが多い。「昼間っから西洋の寝間着着て…」と顔をしかめる富沢さん[C1959-6]が見えるようだ。開襟半袖に長いズボンのごく普通のパジャマだが、数種類の柄しか見かけない。特に多いのは、絹のような光った白地に、アスコット・タイにあるような小紋柄のもの。3つの仮説を立てる。

  1. パジャマ=ジャージ説:日曜なので、パジャマのまま近所をうろついている微笑ましい光景。
  2. パジャマ=浴衣説:ちょっとした外出には着てよいとされている。
  3. パジャマ=外出着説:パジャマをヒントにして作ったものではあるが、寝間着という認識はない。

外灘に戻る。黄浦江[huang2 pu3 jiang1]沿いの遊歩道にはいろいろな屋台が並ぶが、即席写真屋が多いのが中国だ。珍珠[女乃]茶を見つけたので注文してみた。カウンターの上のガラス瓶には、砂糖をまぶした色とりどりのゼリーが入っている。それらが私の[女乃]茶に投入される。そしてふつうの細いストローが、紙コップに挿入される。‘這不是珍珠[女乃]茶’と叫ぶべきかもしれなかった。しかし狼狽のあまり、5元(=74円)を渡し、ニセ珍珠[女乃]茶を受け取ってしまう。珍珠[女乃]茶の魅力は、甘い[女乃]茶と味のない粉圓とのコンビネーション、粉圓の適度な歯ごたえ、太いストローで粉圓を吸い上げる愉しみの3つである。これらの要件はひとつも満たされていなかった。中国においては、珍珠[女乃]茶さえもニセモノである。

外灘を歩く観光客にもパジャマ姿が見られる。パジャマに革靴、首には立派なカメラ。これは外出着としか言いようがない。男性ほどではないものの女性にも流行っていて、こちらはちょうちん袖にフリルのついた膝丈パンツ。女の子っぽいデザインだが、着ているのはおばさん。

パジャマ以上に流行っているのがストッキング素材のソックスだ。日本ではおばさん専用で、ストッキングを履いているように見せかけるためのものだと思う。しかしここでは純粋にソックスとして、ミニスカートやショートパンツの人も履いている。また、中年層が中心とはいえ、老若男女に広く浸透している。渋谷にもいそうなファッションの姑娘や、小学生の男の子も例外ではない。道行く人のパジャマやソックスを観察していると、全く飽きることがない。

フェリー(写真10)で対岸の浦東[pu3 dong1]へ渡る。片道4角(=6円)のフェリーは、人も自転車もバイクも一緒に詰め込まれる。乗客の中にも光るパジャマのおじさんがいた。連れの家族は「きちんとしたカジュアル」といった格好だが、おじさんの服に格別不満を感じている様子はない。奇異に思う方がおそらく間違っているのだ。西洋では寝間着でも、ここは中国なのだから。

金子光晴が「陰湿な工場地帯にある日本のさる大資本の綿糸工場」や「立ち並んだ倉庫の壁の大長城香煙の広告の大文字」を描写した浦東は、今は亞州一高いテレビ塔、東方明珠塔[dong1 fang1 ming2 zhu1 ta3]がそびえ立つ観光名所だ。途中の道端には、西瓜やサテを売る屋台が出ている。コオロギが一匹ずつ入った虫籠をたくさん担ぎ、同じフェリーに乗ってきた母子も、彼らの一員となった。

東方明珠塔は、二つの展望台と展望レストランの組合せでいろいろなチケットがあり、263m上球体のチケットを買う(50元)。エレヴェータ小姐がこの塔の説明を、エレヴェータの所要時間ぴったりに詰め込むのを眺めていると展望台に着く。眼下を流れる黄浦江(写真11)に、旗艦『出雲』係留地や、匯山碼頭[hui4 shan1 ma3 tou]を探す。1階のホールに下りると、壁のところどころに世界の観光名所の大きなパネルがある。凱旋門の前で写真を撮っている人を見つけ、「まさか、『パリに行ってきました』とか言うつもりじゃないよね」などと言いながら見回すと、どのパネルの前でも、当然のように写真撮影が行われていた。大陸人だか香港人だか新加坡人だか知らないが、華人であることは間違いない。コオロギは売れたのか、帰り道にもう母子はいなかった。

虹口にある三大美食街のひとつ、乍浦路へ夕食を食べに行く。行こうと思っていた四川料理店が見つからなかったので、代わりに川香樓という火鍋店に入った。ごく庶民的なお店で、地元の家族連れなどでかなり混んでいる。絶対に海鮮が入ってなさそうな排骨のスープと、鶏肉、冬瓜、緑色の麺を選ぶ。味的にも量的にも選択は成功で、青島の大瓶を2本空けた(合計109元=1609円)。真夏の火鍋もいいものである。

兆安酒店は、地鐵を利用するには便利だが、繁華街から遠く、バスの便も悪い。虹口、外灘方面からは特に不便で、ほとんど歩くしかない。街燈もない路地には、人が溢れている。椅子を持ち出して涼んでいる人、井戸端会議をしている人、ベッドを持ち出して寝ている人…。ところどころ、西瓜などの売り物が並べられたままになっている。彼らは貧しく、夏を過ごすには快適とはいえない古いアパートに住んでいる。夜のひとときを楽しんでいるのか、暑くて仕方なく外にいるのか、単に暇をつぶしているだけなのか、それは暗すぎてわからない。

今日は、外灘、豫園、東方明珠塔と、観光名所めぐりのようになってしまったが、フェリーの往復以外ひたすら歩いた。歩くことで上海のいろいろな顔を見て、この街がかなり身近になったように感じる。


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[1] ♪ガーデンブリッジ、誰と見る青い月♪
『上海ブルース』作詞・島田磬也、作曲・大久保徳二郎、唄・ディック・ミネ。
[2] 小龍包の値段
私たちが入ったのは、高級小龍包を食べさせるところだったらしい。2階には、階段の両側にレストランがあったのだが、立っていた店のおねえさんに強引に右の方へ行かされたのだ。左の方だと、もう少し小ぶりのものが16個で15元ということだ。


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作成日:1999年10月30日(土)
更新日:2001年4月4日(水)