浦東 [pu3 dong1]

■金子光晴:『どくろ杯』[B42]

 秋田義一とつれ立って私が、黄浦江のむかい側、東京ならば城東区にあたる浦東プウトンの陰湿な工場地帯にある日本のさる大資本の綿糸工場へ、その当時はやりの略奪りゃくにのり込むというので、上海のくずれアナルシスト連中が声援し、自働車会社の中尾がくるまをさしむけて、拍手の見送りをしてくれた。秋田が、上海アナの古顔の三浦をよく知っていたことからそんないちらつになったものらしい。りゃくなどとは滅相もない話で、例の秋田の一夜漬けの油絵の行商の音頭取りに出かけるのであった。
 日足は早く、河岸から[舟山][舟反]サンパンを雇って、対岸に着いたときには、もううす闇があたりいちめんに這って、立ち並んだ倉庫の壁の大長城香煙スリーキャッスルシャンイエンの広告の大文字も、瓦斯燈のあかりの届くところだけしかよみとれなくなっていた。支配人の社宅に人力車をのりつけたときは、すっかり夜だった。……(《胡桃割り》pp155-156)
 ……かえりの[舟山][舟反]のなかでも、ふたりは無言だった。黄浦江の水は、瘧おこりがついたように戦慄え、停泊している貨物船の燈あかり一つないとてつもない大きなピアノのふたのような汽船の舵部の絶壁の下を漕いで[舟山][舟反]は、逃れるようにひっそりと、うすあかりの水面に出たり、[舟山][舟反]同士で声をかけあったりして、せいぜい舟子たちが押しのけるぐらいで、それ以上の関心をもたれそうもないことに就いては、この水のうえをおいて地球上のどこにもないとおもわれるほど、私たちがいま、あいそ尽かしな立点にあるのを感じた。(《胡桃割り》p157)
 ……おそ春のくらい夜は、毒でふくれた蝮の咬みあとのように血ぶくれて、愛情とまぎらわしい殺意が快くうずいた。黄浦江は鱗片にとざされて、なまあたたかく見通しのきかない対岸の浦東プウトンに大長城香煙スリーキャッスルシャンイエンの広告の燈が化膿し坐取っているように眼にうつった。じぶんやひとの死のにおいが水のおもてを甘悲しく這って親密にひろがっていた。彼女がすう煙草のけぶりにも、新しい死のたのもしさがただよっていた。……(《火焔オパールの巻》pp197-198)

イエイエ上海ホームページ
更新日:2001年3月31日(土)