イエイエ上海 page 2
1999年7月24日、土曜日。鎌倉。快晴。
パパテオで、当分食べられないかもしれないタイ料理を食べ、昼過ぎのエアポート成田に乗る。ユナイテッド航空837便[注1]は満席。準備が不十分なため、北京語の勉強もせず『上海 歴史ガイドマップ』[B239]に目を通す。これは、租界時代から現在までの建物や道路名の変遷を同じ地図の上にまとめた、ものすごい労作である。ふつうのガイドブックなら必要最小限を切り取ってくる私も、まるごと持って来ざるを得ない。これといった出来事もなく、午後8時過ぎに虹橋[hong2 qiao2]國際機場に到着。短いフライトで、ピーナッツ・タイム[注2]がなかったのが残念でした[C1938-7]。
今回の旅行では、懸念事項がふたつある。ひとつは両替、もうひとつは空港から市中心部への移動である。
上海で人民幣が引き出せるかどうか、事前にCITIBANK新宿南口支店で訊ねた。かなり待たされていただいた返事は「△」である。これは「使えるはずだが保証はできない」という意味らしい。あまり親切とはいえない対応の結果、和平飯店にCITIBANKがあることがわかり、現金はほとんど持って来なかった。Buenos Airesではまった経験[注3]もあり、相手は中国だから簡単には行かないぞ、などと思わないでもなかった。しかしCirrus対応の中國銀行のATMがすぐに見つかった。ATMがあっても油断は禁物、はまるのはここからだ、などと思う間もなく、意外なほどあっさり人民幣[ren2 min2 bi4]を手にしていた。
初めての場所への旅行では、空港からホテルまでの移動が最初の難関である。ところがガイドブック等は、すべての選択肢を示してくれないばかりか、それぞれの情報もはなはだ不親切なのが常である。上海の場合も情報は少なかったが、路線バスがあることはわかったので、バス停があるらしいほうへ向かう。タクシーやホテルの客引きがたまにいる程度で人通りは少なく、やけに暗い。空港の敷地なのか道なのか路地なのかよくわからないところを抜けると、925路のバスが数台停まっていた。中が暗い古びたバスは、一見乗り捨てられているようだが、よく見るとちゃんと人が乗っている。お札をくずそうと小さな売店に行くが、おじさんに「早く乗らないと出るよ」と促されてバスに乗る。車掌さんのいる、ちゃんとおつりがもらえるバスだった。終点の人民廣場まで一人4元(=59円)[注4]。「人民廣場[ren2 min2 guang3 chang3]」とそり舌音ばっちりで言うと、「はぁ〜?」[注5]と言われることもなくすぐに通じた。大陸である。
虹橋機場は上海の西郊にあり、バスは延安西路をひたすら東に向かう。窓の外はずっと工事中。10月の建国50周年に向けての大改装の一環だと思うが、夜9時を過ぎているのに、まだたくさんの人が働いている。時おり工事現場の向こうに、高層マンションや、古そうなお屋敷や、派手なネオンの飲食店が見えた。45分ほどで、かつては競馬場だった人民廣場に着く。土曜の夜の広場はそぞろ歩く人たちでいっぱいだが、ここまで来てもやはり暗い。大陸の夜は暗いのだ。
地鐵(地下鉄)でホテルのある漢中路へ移動。自動券売機は硬貨のみだが、専用の両替所があり、窓口もある。最近導入されたというICカードを買いたかったが、案内がないので窓口で切符を買った。3元(=44円)[注6]。自動改札なのだが、正しく通るかどうかおばさんが見張っているため、人件費の節約にはなっていない。ホームに黄色い線はなく、乗車目標はあるが誰も気にしていない。電車を待つ人は、ホームの先端に横一列に並んでいる。当然予想されるように、電車が停まりそうになるとそれに合わせて移動する。12億総おばさん化という人もあるくらいだ[C1959-6]。
滞在中ずっと泊まるホテルは兆安酒店。ツイン一泊5200円で、日本でとれるホテルでは最も安いようだ。ちょいと高いとは思ったが、faxを書くのが面倒なので妥協した。駅ビル内にあり、地鐵徒歩0分の立地が売りである。アクロス[注7]の人が「あったかいアットホームなホテル」と言うので、「フロントにはアロハシャツのおやじがいて、家族経営で、従業員は皆あれこれ聞きたがるが、基本的には親切」というのを想像していた。ところがひどく立派なホテルで、ドアボーイがいるのを見たときには引き返しそうになった。制服を着た従業員が礼儀正しく応対する、良くも悪くもきちんとしたホテルである。
部屋はかなり広く、海外で、自分のお金で泊まった中では最も立派だ。パンフレットによれば正規料金はUS$100で、それだととっても泊まれそうにない。ケーブルTVが入っていて、STAR TV、NHK BS、おフランスもの、ドイツものまである。最近、家でもCHannel [V]が生で見られる[注8]ようになり、どこへ行っても移動の感覚がないのが少し寂しい。
荷物を整理していると、リュックのファスナーから謎のビニール袋が出てきた。開けてみると、昨夜食べた笹団子の笹である(写真)。昨日まで新潟へ出張していて、お土産に買ってきたものだ。駅のゴミ箱[注9]にでも捨てようと持って出たものの、すっかり忘れていた。思いがけのう上海も見さしてもろうて[C1953-1]、幸せな笹の葉である。
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東京のことを考えてみる。ぼくのアパートの部屋と、ぼくの勤めている学校と、こっそりと駅のごみ箱に捨ててきた台所の生ゴミのことを。(p243)
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