人民公園 [Ren2 Min2 Gong1 Yuan2]・人民廣場 [Ren2 Min2 Guang3 Chang3]
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■金子光晴:『どくろ杯』[B42]
……上海での一ヶ月は、国木田夫妻の競馬のおつきあいですぎてしまった。杭州へ旅行したことと、渡欧のかえりの長谷川如是閑と、木間久雄が立寄ったのを歓迎する会に出席したことと、横光利一が来て、旧交をあたためたことぐらいが出来事だった。……
……遊び呆けているあいだにも、さすがに日本のことが気がかりになって、私は、国木田をのこして帰ることになったが、競馬でもうけた金が百円あまり、ふところにそっとしのばせてあった。……(《愛の酸蝕》pp79-80)
■堀田善衛:『上海にて』[B133]
……この哈同ハードン花園から少しはなれたところに、競馬場があった。英国人にとって競馬場というものは、なくてはならぬものであるらしい。カルカッタにも、町のどまんなかに競馬場のあとがあった。これは、戦時中、日本軍の高射砲陣地となり、戦後は米軍の練兵場になり、現在はこれを半分にぶち切って、真中に幅の恐ろしく広い道路を通し、こうして半分は人民公園、もう半分は人民広場にしてしまった。この広い道路には電柱はない。電線はぜんぶ地下におしこめてしまってある。人民公園には、もとのレース・コースを掘りかえして池をつくり、そこにやわらかい感じの柳を植えた。……(《たとえばサッスーン卿という男について》p88)
◆ イエイエ上海 ◆ ホームページ ◆ 更新日:2001年3月28日(水) |