匯山碼頭 [hui4 shan1 ma3 tou]

■金子光晴:『どくろ杯』[B42]

 ……帰り際に、パンさんが碼頭まで送ってきて、「日本の方を片付けたらもう一度上海へ来い」「必ず来る」と約束をつがえた。約束しながら私は、果してその約束が果せるものやら、果せないものやら、じぶんでもわからなかった。(《愛の酸蝕》pp80-81)
 ……淮山わいざん碼頭の岸壁の前で舟は止った。岸壁に横づけになるために、すこしずつ船は岸に近づきはじめた。船客たちはてすりに並んで、岸で手をふっている出迎えのなかから、知る顔をさがしてからだを乗出した。長崎からあらかじめ電報をうって知らせた宇留河がそのなかに居はしまいかとおもって私はさがした。まぶしそうな顔をしてみあげている彼をすぐ見付けた。彼の方でもわかって、叫声をあげたが、それは雑音で意味がききとれなかった。彼は、指を一本立ててみせた。一人かときいているのであった。二人づれと知らせるために私は、指を日本立ててみせた。彼は、ちょっと失望したという表情をしてみせた。女があいだに入っては、へだてができて、友情がしっくりゆかないことを彼が知っていたからで、その気持を私は、胸のいたさで受止めた。荷揚げの苦力たちがあつまって、舟の着くのを待ってわいわいさわいでいた。(《雲煙万里》p125)
 三日後の「上海丸」で、彼は発つことにきまり、私からたのんで切符をとってもらった。彼が一料簡で、よそへふけとんでゆくことのないように用心した結果である。まちがいなく夜の船に彼が乗りこむのを淮山碼頭で彼女といっしょに見とどけてから、その舟がにぶい汽笛をあげて出ていったあと、碼頭の杭にしばらく腰掛け、戎克船ジャンクの破れ帆の眼を遮ってゆくのを見送りながら、私は言った。
「奴とも、この世ではもう会えないかなあ」(《火焔オパールの巻》pp196-197)
 じぶんの女という切実感がそのときほどうすれて、彼女にとっては、ただ大きく男というものの範疇のなかにじぶんもいるにすぎないとおもわれたことは、少くとも近頃にない生な刺激であった。おそ春のくらい夜は、毒でふくれた蝮の咬みあとのように血ぶくれて、愛情とまぎらわしい殺意が快くうずいた。黄浦江は鱗片にとざされて、なまあたたかく見通しのきかない対岸の浦東プウトンに大長城香煙スリーキャッスルシャンイエンの広告の燈が化膿し坐取っているように眼にうつった。じぶんやひとの死のにおいが水のおもてを甘悲しく這って親密にひろがっていた。彼女がすう煙草のけぶりにも、新しい死のたのもしさがただよっていた。あとの人生がぬけ殻としかおもえないような栄ある死が私をあくがれさせたが、いまおもえば、そんな私は、私にもそんなおもいがあったのかとおもうほどまだ若かった証拠である。苦力たちが荷上げ船の仕事にあつまっているほど近い水のおもてにふとい卷づながほどけ落ちて、ぴしりという激しい水音がきこえた。碼頭のへりに立っていた男が水に落ちた音のようにもそれはきこえた。彼女の東京にいる恋人を彼女がおそらく感じるとおなじように、これほど胸を灼いて感じとれたことのおぼえがないくらいだ。よその恋情が、わがこととおなじように、身に痛いのは、春の夜の妬ねたさがしかけるわなとしかおもえない。……(《火焔オパールの巻》pp197-198)

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更新日:2001年3月31日(土)