ドゥ・マゴで逢いましょう2004 2004年10月29日(金)10月29日、金曜日。晴れ。有給休暇。今日はまず六本木で1本観て、渋谷へ移動する予定である。
映画祭8本目は、コンペティション部門の『時の流れの中で』。『夢幻部落』の鄭文堂監督の新作である。 台湾の故宮博物院を舞台にした映画。寒食帳を見に台湾に来た日本人青年・島(蔭山征彦)と故宮博物院の学芸員・阿靜(桂綸鎂)との交流を表面的なストーリーとして、故宮博物院やその宝物の歴史、それらに関わる人々の想いなどが描かれている。一見すると、国民党が大陸から宝物を奪ってきたことを正当化しているように見えなくもない危険な題材だが、故宮の宝物が歴史に翻弄され、縁あって台湾に来たように、外省人もまた縁あって台湾に来た人々であり、現在の台湾を構成する一部なのだということが、監督のひとつのメッセージではないかと思う。 田豐演じる老人は、若い頃、故宮の宝物を運んだ人物である。阿靜は幼い頃に彼の話に魅了され、成長して学芸員になる。東横(戴立忍)はこの老人の話を聞き、故宮博物院の歴史を本にまとめようとしている。島は寒食帳に関わりをもった祖父の思い出話から、台湾へとやってくる。そして阿靜は、寒食帳の切手に導かれて島の力になろうとする。このように、この映画は故宮博物院に関わる縁でつながっていく人々の物語であり、同時に記憶を継承していくことについての物語でもある。直接描かれているのは島が台湾に滞在する数日間だが、その背後には、阿靜と東横の数年間があり、故宮の宝物が北京を出てからの数十年があり、芸術品が作られてから今までの長い長い年月がある。そのような長い年月から見れば取るに足りないほどささやかな人々の営みが、重層的な時の流れの中に置かれることによってかえって鮮やかに浮かびあがり、とても大切なものに思われてくる。 宝物を運んだ老人を演じるのが田豐だというのは、この映画の印象を決めるうえで重要である。変な俳優だったら、最初から「国民党の手先めっ」という目で見てしまいかねない。田豐は胡金銓映画や『香港ノクターン』でもおなじみの俳優だが、私にとってはなんといっても『童年往事 時の流れ』の父親役である。下着のような格好で太極拳をしているシーンが大半だが、彼がそこにいるだけで、特別な気が流れているように感じられる。 上映後は、鄭文堂監督、主演の桂綸鎂と蔭山征彦をゲストに、ティーチ・インが行われた。司会者が終わりだと言ったあとで、強引に感想を述べ、勝手に自己紹介をし、「封切りはいつ?」というゲストとは無関係の質問をする困った観客がいた。ティーチ・インはゲストとの交流の場なのだから、ゲストが答えられないような質問をしたり、自分の言いたいことだけ滔々と述べたりするのは問題外である。ただ、「まだ時間があるのでは?」というこの観客の言い分はもっともだ。最初にゲストの挨拶があったのに、また最後に「お言葉をいただ」いたりする必要はない。そもそも司会者は、口では「一人でも多くの方が質問できるように」と言っているが、本心からそう思っているようにはみえない。時間厳守で進行することはもちろん重要だが、無駄なおしゃべりをしたりして、多くの観客の質問を受けようと努力している様子は微塵も感じられない。かなり不愉快な、観客軽視の態度である。去年までは襟川クロが最も不快な司会者大賞だったが、今年はこの青柳という人(映画評論家らしいが聞いたこともない)にこの不名誉な賞を進呈することにする。 ◇◇◇ バスで渋谷へ移動する。次の上映まで時間がなく、Foodshowの期間限定の店で、急いでカレーを食べる。このあとの会場はずっとル・シネマ2である。
映画祭9本目は、アジアの風部門の『独り、待っている』。伍仕賢監督の長編第一作。 北京を舞台としたラブコメ。若者たちのモラトリアムのような生活を描き、最後に別れ別れになってそれぞれの人生を歩いていくという「少年が大人になる」ものでもある。おもしろいことはおもしろいのだが、いまひとつ乗れなかった。その理由のひとつは主演の夏雨。彼は特に個性的でもないのに、いつも本人そのままという感じの似たような役柄なので新鮮味がない。もうひとつの理由は李冰冰。私がものすごく嫌いなタイプだったので、主人公を応援しようという気にならなかった。『ただいま』ではなんとも思わなかったので、単なるヘアメイクの問題だろうか。彼女に比べて、友人の妹を演じた龔蓓苾はなかなかよかった。パンダのマスコットを大事にしまっているところも泣かせる。笑顔ににじむ一抹のおばさん臭さが気になるが、今後の活躍に期待したい。 北京の胡同や、映画の内容とは異質なその灰色のトーンが印象に残る。周潤發など豪華スターがゲスト出演していて、J先生は、思いがけのう呉大維が見られて満足気な様子である。 ◇◇◇ 次まで少し時間があり、「ドゥ・マゴへ行くチャーンス」と思っていたが、チケットぴあに行ったり、本屋でYonda?カレンダーを購入したりしているうちに時間がなくなる。
映画祭10本目は、アジアの風部門の『見知らぬ女からの手紙』。徐靜蕾監督の『私とパパ』に続く二作目で、もちろん主演もしている。 作家という人一倍鋭い観察眼を必要とするはずの人種ながら、自分がつきあった女を憶えていない男。恋人同士になるとか結婚するとかいった一般的な方法ではない、自己完結的な恋愛の成就を求める女。特異な男女が出会うことによって生まれる特異なラヴ・ストーリーである。 舞台は、日本の侵略から国共内戦までの暗い時代の北平(北京)。胡同と四合院で構成される北京の灰色の街並みと、時代を反映する陰鬱な空気。李屏賓の流麗なキャメラによって、旧時代の北京の空気が見事に再現されている。女性からの手紙に書かれた物語に沿って、ふたりのこれまでの関わりを年代順に描いていくオーソドックスな手法だが、文学の香りを微かに漂わせつつも翻案小説臭さは感じさせない、非常に端正な映画である。 大学生以降のヒロインを演じる徐靜蕾も悪くないが、子供時代を演じる女の子がとてもよい。プライヴァシーを保ちにくい四合院という独特の環境の中で、息をつめて憧れの男性を見つめる視線が非常にリアルで生々しい。男を演じるのは姜文。「姜文」というタグがついているからなんとか納得させられるものの、いくらインテリの香りや西洋の香りやブルジョアの香りを漂わせているとはいえ、10代前半の少女が憧れるような男には見えない。中国映画界はこの年頃の魅力的な男性に欠けているようで、誰だったらいいのかというと難しいが、胡軍とか梁家輝とか…。ちょいといまひとつですが。 劉燁が出演していることは知らずに観て、いったいどこに出ていたのか全くわからない。…わたくし本当にぼんやりで。いやいや、そんな目につくようなやつじゃないんですがねぇ。 ◇◇◇ 喜楽で中華麺と餃子の夕食を食べる。
映画祭11本目は、アジアの風部門の『狂放』。陳正道監督の長編第一作。席につくと、すぐ後ろの列が関係者席で、この映画の出演者や『夢遊ハワイ』の出演者らしき人たちがいた(ドキドキ)。寝たりしたらどつかれそうだ。 3人のふつうの若者を主人公に、童年時代の終わりと大人になることへの失望を描いた映画。構成が巧みである。最初の高校時代のシーンで、「死を知って童年時代が終わる」というこの映画のテーマが示される。次は、卒業後疎遠になった3人が、同級生の葬式で再会するシーンだ。すぐに打ちとけてかつての親密さを取り戻すが、3人はもう以前の彼、彼女ではない。というわけで、会わなかった間に迎えたそれぞれの童年時代の終わりが描かれる。最後は結婚式で3人が再会するシーン。葬式で始まって結婚式で終わるが、小津風映画では全くない。 若者たちの屈折や失望を表すかのような暗い画面が印象に残る。監督は登場人物と同年代だということで、その渦中にいる者しか描けないであろうリアルな感情が表現されている。残念ながら、その年代からかなり離れてしまうと、すっと共感できるというわけにはいかないのだが。 3人の中では、許安安が一番存在感があった。『夢遊ハワイ』では落ち着きのない脳天気な青年を地のままといった雰囲気で演じていた黄鴻升は、この映画では、もう少し地に足が着いた青年を好演している。『夢遊ハワイ』もそうだが、台湾映画界にも次々と有望な映画作家が誕生しているようで、喜ばしいかぎりである。 上映後は、主演の許安安、韓宜邦、黄鴻升、プロデューサーの陳薇をゲストに、ティーチ・インが行われた。 ◇◇◇ Starbucksで珈琲を飲んで帰る。
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