第17回東京国際映画祭

『時の流れの中で』ティーチ・イン

開催日 2004年10月29日(金)
会場 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ7
ゲスト 鄭文堂(監督)
桂綸鎂、蔭山征彦(出演者)
司会 青柳秀侑
北京語-日本語通訳 樋口裕子
日本語-英語通訳 大倉美子


司会(日本語):それでは、監督と出演者の方にご挨拶をひと言ずつお願いいたします。

鄭文堂(北京語):みなさん、こんにちは。私の作品が芸術作品であればいいと願いながら、東京に『時の流れの中で』という作品を持って来ました。これが偽らざる私の今の気持ちです。寒食帖と同じように、自分のこの作品が芸術作品であるようにと願っています。

桂綸鎂(北京語):みなさん、こんにちは。この『時の流れの中で』に参加でき、こうやって東京に来ることができて、本当に嬉しく思います。また、鄭文堂監督の作品に出させていただいたことは、本当に嬉しいことです。私が初めてこの映画を観たときの感動の気持ちは、みなさんとたぶん同じだろうと思います。どうもありがとうございます。

蔭山征彦(日本語):おはようございます。今日10時からの回ということで、こんなに早くからたくさんの方に来ていただいてすごく嬉しいです。この映画を僕も日曜日に観たんですけれど、今メールとかチャットとかそういう人間関係が多い中で、生の人間関係を大切にしたいなぁと思いました。この映画を観終わったあと、みなさんが今日一日あったかい気持ちで過ごしていただければいいなぁと思います。

司会:台湾語で挨拶するっていうのはやめたんですか。

蔭山征彦:大家好(台湾語)。

観客1(日本語):とてもすてきな映画、ありがとうございました。監督が芸術映画であるとおっしゃられたんですけれども、私はちょっと切ない恋愛映画としてもとてもすばらしかったなと思いました。質問なんですけれども、主演の桂さんの表情のアップが多用されていたと思うんですが、細かい表情がとてもよかったんですけれども、監督はそのあたりはどのような演技の指導をなさったのかというのをお伺いできればと思います。

鄭文堂:この映画を撮るときは、私は役者さんたちと、友だちのような親しい関係を作り上げることができました。この映画と同じように、人と人との心の交流を私は重視していて、撮影の現場でも、台湾人のスタッフ、役者さんも、日本人の方も、そういう心の交流を通じて演技をしていたと思います。こういう心の交流によって、和気あいあいとした楽しい雰囲気の中で撮ることができたと思います。

司会:綸鎂さんは、アップのときにカメラと目線をずっと合わせないといけないから怖くなかったですか。

桂綸鎂:演技全体が難しかったですね。どうやってこの役柄に入っていくかということが非常に難しかった。目の演技ももちろん難しかったですが、それだけではなくて、とても難しい役柄だったと思います。

観客2(日本語):いい映画をありがとうございました。私が台湾に行ったのは20年前で、そのときは『海をみつめる日』という映画の中に出てきた“雨夜花”の歌に惹かれて行きました。今日は、映画の最初に故宮博物院presentsと書いてあったんですけれども、博物館から依頼されて作ったのであれば、博物館から監督に対してどういう要求が出たのかそのへんが聞きたかったんですけれども。

鄭文堂:この映画は、故宮博物院の資金的な援助で作られています。故宮博物院側の意図は、劇映画という方式で、この映画を通してよりよく台湾を理解していただきたいということです。故宮博物院というところは、戦争の時代に文物が大陸から運ばれてきて、それで博物館を作っています。そのあたりの歴史をぜひご理解いただければと思います。

司会:記者会見では、作るのが非常に難しかったと監督がおっしゃっていました。李東横さんのように、どうやってこの映画を撮りあげようかと悩んでいたというお話を伺いました。

鄭文堂:そうですね。最初に仕事を受けたとき、いったいどうやってこれを映画にすべきかということが、なかなかまとまりませんでした。私のそのときの気持ちは、この映画の中で戴立忍さんが演じている李東横と同じような気持ちで、この話をどういうふうに映画に撮ろうかと非常に悩みました。なかなか書けなかったんですが、俳優の方たちといろいろ話したりしているうちに、だんだんとまとまってきました。

司会:蔭山さんは歌を自分で作ったとさっき言っておりましたが、どうでしたか、参加してみて。

蔭山征彦:まず、今回キャストにもスタッフにも日本人がいなかったので、そういう意味で海外で…僕、日本の東京に在住ですから、海外に行ってホテルで何ヶ月か滞在してっていうのは、やっぱり見えないストレスみたいなのが溜まってくるんですけれど、今回いらっしゃっていないですけれど戴立忍さんも、桂綸鎂さんも、もちろん監督も、すごいケアしてくれて、監督なんか一緒に日本料理屋にめし食いに行ってくれたりとか、そういう面ですごいよくしてくれたので、ものすごく気持ちよく仕事に集中できました。歌も、監督が詩を書いていたんで、日本語に訳してメロディだけ作ってくれということで、撮影しながらオフの日に作りました。

司会:ちょっと今、グッと来た?思い出してグッと来ました?

蔭山征彦:だいじょうぶです。泣きません。

司会:綸鎂さんもこのあいだ初めて自分の映画観たとき、ひと言ご挨拶くださいと言ったら途中で泣き出してしまいまして、会場の人の半分はもらい泣きしました。何かこの映画は、作った人たちのそういう心が出てきている映画のような感じがいたします。

観客3(日本語):ゆったりした感じのすごく気持ちのいい映画でした。ちょっとわからないところがあったんですけれども、日本から来る島が持っていたあの手紙なんですけれども、あれは何だったのでしょうか。

鄭文堂:あの手紙に何が書いてあったのか、どういう手紙だったのかというのは内容的にあまり関係ありません。彼はこの手紙を持ってきたということで、ある気持ちをこの封筒に込めています。なぜなら、その封筒に貼ってある切手が寒食帖の切手だからです。ですから、手紙に何が書いてあったかはあまり関係はないですね。

司会:どうも台湾の切手で、寒食帖が半分に、…よくあるじゃないですか、切手シートで何かが半分ずつになってひとつになるっていう。それが片方貼ってあったようなところがありましたね。

観客4(日本語)1:芸術作品、すばらしい。小津安二郎を抜いたとは言わないけれど、台湾の人がほら『東京日和』2作った、あれよりははるかにいい。すばらしい芸術作品。それで僕は65年の映画評論家人生で、71歳だから今ね、この監督さん初めて知ったんでほんとわかんないんですけどね、すばらしい。黒澤明の『三四郎』を抜いた監督は、ヤン・ユノだっけ、ほらあの『風のファイター』の…

司会:恐れ入りますが、パス持っていらっしゃいます?

観客4:パス?これ持ってると発言しちゃいけないの?

司会:いや、そういうことではなくて、個人的に発言できるんならば、ここは公のみなさんも一緒にいらっしゃいますので、このあとのスケジュール…

観客4:だから発言やめてくれって言うんでしょう?

司会:いやいや、手短にお願いします。

観客4:私はなにしろ天下の朝日新聞が褒めた映画評論家で司会者ですからね。私、長田と申しまして、統一日報といって、統一教会とは違うんですが…。最後の質問。いつ封切りなの?

司会:ごめんなさい。ここでしか観られない映画です、たぶん。

司会:どうもすいませんね、時間がなくて。きっとみなさんの心の中に何かグッと来るものがあったんだと思います。本当に出演者の方たちも、自分でこの映画を観て涙ぐんでいらっしゃるぐらいでございますから。監督、最後に日本のああいう熱烈なファンの方にもうひと言ご挨拶をお願いします。

鄭文堂:ありがとうございます。たしかに私は若い頃にたくさんの日本映画を観ています。山田洋次監督や小津安二郎監督の作品はたくさん観ていますので、それなりの影響は受けていると思います。どの部分が影響を受けたとは言えませんが、人間を描くという点で、やはりこういう日本映画の監督の影響は多かれ少なかれ受けているのではないでしょうか。


1]この前で質問タイムは終わったが、強引に発言を始めた。
2]『咖啡時光』のことだろうか?


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作成日:2004年11月4日(木)
更新日:2004年12月6日(月)