ドゥ・マゴで逢いましょう 2001

2001年10月29日(月)


10月29日、月曜日。有給休暇。


週末の出来事 ◇ 秘語拾七小時 ◇ Weekend Plot

映画祭2本目は、コンペティション部門の『週末の出来事』。『沈む街』の章明の第2作である。現在の中国映画界のトップは賈樟柯だが、章明はそれを追う3人組(章明、王小帥、婁燁)のひとりであり、いやがうえにも期待は高まる。監督は若そうな格好のわりに顔はおじさんだった。舞台挨拶では「中国映画を変革したい」と発言。

物語は、かつて恋人同士だった男女が久しぶりに再会するというもので、舞台は『沈む街』同様、監督の故郷、巫山である。高校時代、男は女を助けるために怪我をして、それが原因で大学進学を諦め、現在は故郷の町で警官をしている。安定した仕事も家庭もあるが、どうしても今の境遇を受け入れることができない。女は北京の大学へ行き、現在も北京に住んでいる。恋人もいてそれなりに楽しくやっているが、決して満足しているわけではない。映画は、そんなふたりが再会し、過去の選択を後悔するわけでもなく、これからヨリを戻そうとするわけでもなく、ただ心が揺れるさまを、雄大な長江をバックに映し出す。

私は、過ぎ去ってしまったことをウジウジ考える人間は嫌いである。だがこの映画は、観る側がそのような価値判断をする余地を与えない。いいも悪いもなく、ただ現在ふたりの心が揺れているさまが、圧倒的な臨場感で提示されている。この臨場感をもたらすのは、スクリーンを通り越して溢れ出しているこの映画の空気である。行ったこともない場所なのに、河岸の空気の肌触りも、夏の日差しも、河を行く客船の汽笛も、まるで自分が今そこにいるかのように感じられる。私たちはただ、この巫山の空気の中で、ふたりの心の揺れをともに感じるだけである。

ティーチインは、章明監督と主演の張雅琳小姐。張雅琳小姐は、映画で観るよりもすっきりして大人っぽい印象。司会が襟川クロではなかったので、いつもよりちょっとマシだった。

章明・張雅琳   張雅琳

ティーチイン要旨

終わって外に出ると、監督と張雅琳小姐がいて、ヤジウマに囲まれていた(右の写真はそのときのもの、左は舞台挨拶)。


■ピストルオペラ

イタリアンを食べたあと、映画祭はひと休みして、渋谷シネパレスへ『ピストルオペラ』を観に行く。映画界の世界三大爺のひとり、鈴木清順の久しぶりの新作である。

『Needing You(孤男寡女)』の予告編がものすごく恥ずかしくて(「胸キュン」)、平日の割には入っている観客は、皆一様にお口ポカン状態になった。そこに本編が始まる。内容はだいたい予想していたとおり、『殺しの烙印』の『ツィゴイネルワイゼン』風リメイクといった趣のものであった。『殺しの烙印』のクールさも『ツィゴイネルワイゼン』の幻想的な美しさもなく、かといって2001年なりの新しい何かが提示されているわけでもない。もちろんそれなりに楽しめるけれど、老いてますます盛んなRohmer、Oliveira両爺に比べていかにも寂しい。どうせなら『東京流れ者』の大陸版リメイク『上海流れ者』を梁朝偉(渡哲也)と梁家輝(二谷英明)と周迅(松原智恵子)の主演で撮って、もう一花咲かせてもらいたいものだ。

ところで『ピストルオペラ』には、「どうして宍戸錠じゃないの?」と誰もが思う役で平幹二朗が出ていた。健さんも池辺良も生きているうちに、誰か『昭和残侠伝』シリーズの最新作を撮らないかと期待しているのだが、適当な悪役が生き残っていない。とりあえず、『昭和侠客伝』あたりで悪くない悪役ぶりを見せていた平幹二朗を候補に挙げていたのだが、ここでのたるんだ様子を見て、出させてあげないことにした。『千羽鶴』ですでに相当重そうになっていたのだから、そもそも無理な話であったかもしれない。


トゥー・ヤング ◇ 野麻雀 ◇ Too Young

お約束の鬚鬍張魯肉飯*(注)で夕食を食べたあと、渋東シネタワー3へ。映画祭3本目と4本目は、シネマプリズムの『トゥー・ヤング』と『城市飛行』の2本立て。いずれも台湾の黄銘正監督の中編である。

最初の上映は『トゥー・ヤング』。このタイトルを見るたびに、「トゥーヤング、オォ、トゥーヤング♪」と唄ってしまうのは私だけではないだろう。実はこの“Too Young”という英題は、やはり唄のタイトルからとられている。だがもちろんトシちゃんではない(Nat King Coleである)。

映画は、自殺未遂をしたことのある不良高校生と、死に憧れるクラスメートの少年の友情を描いたもの。不良少年があまり魅力的ではなく(顔がおっさんくさい)、「死」というキーワードだけで彼に惹かれるのはちょっと説得力に欠ける気がしたし、不良少年が海辺でハーモニカを吹きだすという「いまどきそれはないだろう」というシーンに、ひいてしまったりした。とはいえ、放課後の教室とか、学校の空気みたいなものがすごくよく出ていて印象的だった。また映画自体からは外れるが、防空演習時の光景が描かれていた点も興味深い。台湾では年に2回、市や県の単位で一斉に防空演習が行われる。1時間ほどなのだが、その間車は全部止められ、人も歩道の隅で立ち止まっていなければならなかったり、防空壕(地下通路など)に入らされたりする。具体的には明示されていなかったが、おそらくこの演習ではないかと思われるシーンがあり、大多数の生徒は教室でじっとしゃがんでおり、役割を与えられた生徒は怪我人になったり、怪我人を担架で運んだりしていた。すでに3回も演習に遭遇している私としては、学校ではこういうふうなのか、というのがわかって、ものすごくリアリティがあった。


城市飛行 ◇ 城市飛行 ◇ Bird Land

つづいて『城市飛行』。こちらのほうが新しくかつ長く、格段に成熟しているという印象である。中編のわりには登場人物が多く、互いにささやかな関連をもっている。ちょうど、世の中を俯瞰して一人の人物を選び出し、その人とある期間内に関連をもった人をずるずるとつまみ出してきた、という感じだ。彼らのエピソードが、相互に関連をもちつつ描かれるのだが、決してひとつの物語に収束するわけではない。

舞台は総統選挙で熱狂する2000年春の台北であり、登場人物は、大陸からの不法入国者や、檳榔売りの女の子や、兵役待ちの少年といった、きわめて台湾らしい設定である(もしかして超いいかげんそうな映画監督も?)。舞台も登場人物も、今の台湾を端的に示すものでありながら、決して図式的になることはない。登場人物たちは、映画の時間の中で新しく関係をもっていき(その多くはテンポラリーなものである)、家族という関係がおそらく意図的に排除されている点も興味深い。俳優はほとんど素人だと思われるが、それにもかかわらず(それだからこそと言うべきか)、非常に魅力的で、設定を越えて個人としての圧倒的な存在感をもっている。画面の映画的な力と登場人物の魅力で、観る者を画面に惹きつける映画である。彼は次に長編を撮ると思うが、私はそれにものすごく期待している。

上映後の黄銘正監督のティーチインは、この監督のことをほとんど知らないし、映画もよかったのでぜひ聞きたかった。しかし、明日はお勤めで、聞いていたら寝るヒマがなくなりそうなので泣く泣く諦めて帰る。


注:鬚鬍張魯肉飯の渋谷店は、このあとビルの建て替えのためなくなってしまったらしい。このページのコードネーム『鬚鬍張魯肉飯で逢いましょう』も今年限りか?



←10月28日↑ドゥ・マゴで逢いましょう2001→11月2日
映画祭日和ホームページ
Copyright © 2001-2004 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日:2001年12月2日(日)
更新日:2004年11月29日(月)