ドゥ・マゴで逢いましょう 2001

2001年10月28日(日)


10月28日、日曜日。出かける頃に雨が降り出して寒い。私にとっては今日が初日だが、映画祭は昨日からすでに始まっている。

■宮本武蔵

映画祭の前に寄り道が2本。まずは池袋へ内田吐夢版『宮本武蔵』を観に行く。

「宮本武蔵」というのは、日本人なら誰でも知っている(と思われている)題材であり、何度も映画化されている。私はこういう「誰でも知っている」系映画が苦手である。理由は簡単だ。物語を知らないからである。話を知らない→興味がわかない→映画を観ない→知る機会がない、という堂々めぐりだ。ちなみに「誰でも知っている」系の代表は「忠臣蔵」である。これはもう完全に物語も登場人物も知っているのを前提に作られているので、「この人だれ?」「どっち側の人?」とか思っているうちに、物語からも映画からもすっかり置いていかれてしまう(さらには、一方の側への感情移入も前提とされているが、馴染みのない人間にとってこれほど感情移入しづらい物語はない)。

「宮本武蔵」に話を戻すと、ちょっと前までの私は、宮本武蔵、佐々木小次郎という名前をどうにか知っている程度で、宮本武蔵とは何をする人なのか、いつの時代の話なのか、実話なのかフィクションなのかなど、まったく知らなかった。今年になって武蔵ものを3本観て、やっとおぼろげながらわかりかけてきたところである(7年前に「宮本武蔵 一乗寺の決斗」を観ていることは、ここでは忘れていただきたい)。

急に観るようになった理由はふたつある。ひとつは東映版の監督が内田吐夢だということである。そしてもうひとつの理由は佐々木小次郎である。稲垣浩版では鶴田浩二、内田吐夢版では健さんだというすごいことを最近発見した(常識かもしれないが)。一方の武蔵はミフネと錦ちゃんなので、どちらにしても小次郎に肩入れしないわけにはいかない。

今日は4本目の武蔵もので、まだ健さんが出ないのが残念な『宮本武蔵』(第1話)だ。奇しくも今日、東京国際映画祭では稲垣版『宮本武蔵』が上映される予定である。こちらも観たいのだが、タカラヅカの人たちがゲストであり、客層を想像すると恐ろしくて足がすくむので行かないことにした(彼女らがミフネを知っているのかどうかさえ疑問だ←偏見のかたまり)。

そんなわけで新文芸坐に行く。惜しまれつつ亡くなった文芸坐が新文芸坐として甦ってからかなり経つのだが、実は今日が初めてである。パチンコ屋の行列をかきわけてエレヴェータに乗り、たどり着いたのは文芸坐とは思えない綺麗な映画館だった。文芸坐らしさを出すために、旧文芸坐の椅子やトイレが移設されているというウワサもあったが、椅子もトイレも空気も、ぜんぜん違っている。

映画は、本領発揮の錦ちゃんが大暴れしていて、たいへん楽しめた。オババ役の浪花千栄子も錦ちゃんに負けず本領発揮である。「宮本武蔵」がどういう話なのかということもだいたいわかった。一方、藤純子(まだデビューしていない)しか女優がいない東映なので、女優陣は寂しい。というよりひどい。入江若葉、あんたのことである。

■日本暗黒史 血の抗争

映画館を出ても寒かったが、金鳴園で昼食を食べている間に暑くなっていた。急いで京橋のフィルムセンターへ移動。次の寄り道は、安藤昇主演の『日本暗黒史 血の抗争』である。

安藤昇の映画は2本しか観ていないのだが、最高傑作『男の顔は履歴書』(加藤泰)を最初に観たことが私にとっての不幸である。60年代にも実録ものがあったことを知らされた『日本暗黒史』は、残念ながらあまりいい出来ではない。安藤昇も『男の顔は履歴書』が嘘のように冴えないのだが、そもそも安藤昇以外にロクな俳優が出ていない。安部徹でさえ、登場すると画面が締まって見えるほどなのだ。伴淳三郎が刑事役で出ているのは、『飢餓海峡』を受けての配役だろうか。


わが愛 ◇ When a Woman Loves

渋谷へ移動し、やっと映画祭である。今年の1本目は、ニッポン・シネマ・クラシックの『わが愛』。開場30分前くらいに着くと、行列はそれほど長くなく、観客は年寄りが多い。彼らは有馬稲子が目当てかもしれないが、映画祭でゲスト目当ての人々が醸し出す殺気立った雰囲気はない。これではまるでフィルムセンターの行列である。私は別に有馬稲子が好きというわけではないが、彼女は一応、小津女優のはしくれだし、共演が佐分利信なので観に来た。本当は市山さん激推薦の『マイ・ムーン』を観るべきだということはわかっているのだが。

まず、司会の川本三郎氏が登場。タカラヅカ特集なんて企画したやつの顔が見たいと思っていたが、まさか川本氏絡みとは思わなかった。続いて有馬稲子さんが、「若き日の有馬稲子の顔プリント」の派手な服で登場。「ヨージ・ヤマモト先生が作ってくださった」と言っていたような気がするのだが、山本耀司氏は以前雑誌に「ヨージ・ヤマモトはブランド名で、オレの名前は山本耀司だ。オレをヨージ・ヤマモトと呼ぶな!」と書いていたはずだ。

有馬稲子   有馬稲子

jornadaを持ち込んでメモをとっていたら、前の列(最前列)の男に「キーボードの音が気に障る」と言われる。まったく気にならないとはいえないだろうが、最も近い私でさえ、トークに耳を傾けていればほとんど聞こえない程度の音だ。映画祭では少ないものの、講演や学会でパソコンを使ってメモをとるのはごく普通のことである。しかも五月蝿くて聞こえないというならともかく、「気に障る」というのはかなり個人的な好みの問題である。そうは思いつつも、できるだけ漢字に変換しないようにしたり(かな漢字変換がバカなので、何度も変換キーを押さないと正しく入力できない)、そっと打つように心がけたり、いろいろ努力をしたつもりである。であるが、トークが終わった後、再度文句を言われたうえに「まさか映画中もキーボード打つんじゃないでしょうね」ときた。「打つわけねーだろう、バカ」と言いそうになったが我慢した。

トークショー要旨

映画は、有馬稲子と佐分利信の不倫もの。『彼岸花』での父娘のイメージが強いので、なんだか近親相姦みたいでよくない。『彼岸花』で「封建的のかたまり」の佐分利は、「お前、まさかあの男と関係はないんだろうな?」などと言っていたのに、『わが愛』では「大きくなったら浮気をしようね」だ。佐分利じゃなかったらはったおす、という感じである。しかもいやらしい顔をした佐分利は、小沢栄太郎に似ている。(でも私は佐分利信のファンだ。)

物語は、ひとりで山にこもって執筆をしている佐分利信のところに有馬稲子が押しかけてきて、仕事が完成するまでの期限付き愛人を宣言し、3年間一緒に暮らすというものである。佐分利信は、若くて綺麗な女が愛人になってくれて、しかも不便な山の中で身の回りの世話までしてくれるので、こんなラッキーなことはなく、困った顔をしつつも来る者拒まずのずるい男である。有馬稲子は、佐分利が死んだあと「あの人は最後に『ありがとう』って言ったんだわ」と勝手に喜ぶ、自意識過剰で自己満足な女である。それなのにふつうのメロドラマっぽく撮られていて、プログラムには「涙なくしては観られません」と書いてある。どうも中途半端な印象で、もっと撮りようがあったのではと思った。

また、原作もののストーリーに文句をつけても仕方がないとは思うが、途中で佐分利が死んでしまうのはずるいのではないか。仕事が完成してきっぱり別れる、というほうが私の好みである。死んだものを「奥様にお返し」されても要らないと思うのだが。

とはいえ、なかなか観る機会のなさそうな映画だし、思いがけのう安部徹も見られて(ファンじゃないです)、とりあえず楽しめた。

目黒に移動し、とんきでひれを食べて帰る。


↑ドゥ・マゴで逢いましょう2001→10月29日
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作成日:2001年11月14日(水)
更新日:2004年11月29日(月)