10月28日、日曜日。出かける頃に雨が降り出して寒い。私にとっては今日が初日だが、映画祭は昨日からすでに始まっている。
■宮本武蔵
映画祭の前に寄り道が2本。まずは池袋へ内田吐夢版『宮本武蔵』を観に行く。
「宮本武蔵」というのは、日本人なら誰でも知っている(と思われている)題材であり、何度も映画化されている。私はこういう「誰でも知っている」系映画が苦手である。理由は簡単だ。物語を知らないからである。話を知らない→興味がわかない→映画を観ない→知る機会がない、という堂々めぐりだ。ちなみに「誰でも知っている」系の代表は「忠臣蔵」である。これはもう完全に物語も登場人物も知っているのを前提に作られているので、「この人だれ?」「どっち側の人?」とか思っているうちに、物語からも映画からもすっかり置いていかれてしまう(さらには、一方の側への感情移入も前提とされているが、馴染みのない人間にとってこれほど感情移入しづらい物語はない)。
「宮本武蔵」に話を戻すと、ちょっと前までの私は、宮本武蔵、佐々木小次郎という名前をどうにか知っている程度で、宮本武蔵とは何をする人なのか、いつの時代の話なのか、実話なのかフィクションなのかなど、まったく知らなかった。今年になって武蔵ものを3本観て、やっとおぼろげながらわかりかけてきたところである(7年前に「宮本武蔵 一乗寺の決斗」を観ていることは、ここでは忘れていただきたい)。
急に観るようになった理由はふたつある。ひとつは東映版の監督が内田吐夢だということである。そしてもうひとつの理由は佐々木小次郎である。稲垣浩版では鶴田浩二、内田吐夢版では健さんだというすごいことを最近発見した(常識かもしれないが)。一方の武蔵はミフネと錦ちゃんなので、どちらにしても小次郎に肩入れしないわけにはいかない。
今日は4本目の武蔵もので、まだ健さんが出ないのが残念な『宮本武蔵』(第1話)だ。奇しくも今日、東京国際映画祭では稲垣版『宮本武蔵』が上映される予定である。こちらも観たいのだが、タカラヅカの人たちがゲストであり、客層を想像すると恐ろしくて足がすくむので行かないことにした(彼女らがミフネを知っているのかどうかさえ疑問だ←偏見のかたまり)。
そんなわけで新文芸坐に行く。惜しまれつつ亡くなった文芸坐が新文芸坐として甦ってからかなり経つのだが、実は今日が初めてである。パチンコ屋の行列をかきわけてエレヴェータに乗り、たどり着いたのは文芸坐とは思えない綺麗な映画館だった。文芸坐らしさを出すために、旧文芸坐の椅子やトイレが移設されているというウワサもあったが、椅子もトイレも空気も、ぜんぜん違っている。
映画は、本領発揮の錦ちゃんが大暴れしていて、たいへん楽しめた。オババ役の浪花千栄子も錦ちゃんに負けず本領発揮である。「宮本武蔵」がどういう話なのかということもだいたいわかった。一方、藤純子(まだデビューしていない)しか女優がいない東映なので、女優陣は寂しい。というよりひどい。入江若葉、あんたのことである。
■日本暗黒史 血の抗争
映画館を出ても寒かったが、金鳴園で昼食を食べている間に暑くなっていた。急いで京橋のフィルムセンターへ移動。次の寄り道は、安藤昇主演の『日本暗黒史 血の抗争』である。
安藤昇の映画は2本しか観ていないのだが、最高傑作『男の顔は履歴書』(加藤泰)を最初に観たことが私にとっての不幸である。60年代にも実録ものがあったことを知らされた『日本暗黒史』は、残念ながらあまりいい出来ではない。安藤昇も『男の顔は履歴書』が嘘のように冴えないのだが、そもそも安藤昇以外にロクな俳優が出ていない。安部徹でさえ、登場すると画面が締まって見えるほどなのだ。伴淳三郎が刑事役で出ているのは、『飢餓海峡』を受けての配役だろうか。
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