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私を星馬へとかきたてるもの

  1. 『幻のシンガポール』[SG2]

    『幻のシンガポール』は、シンガポール時代の小津安二郎を題材とした、高橋治の小説である。小津安二郎は、1943年から約2年間、軍報道部映画班員としてシンガポールに滞在している。このシンガポール時代については、軍がイギリスから押収した欧米映画を観て過ごしたということ以外、あまり知られていないように思う。この小説を読んで興味を惹かれたのは、「謀略映画」を撮るという使命を受けてシンガポールに赴いた小津が、如何にして謀略映画を撮らなかったかである。欧米の映画だけではない、この2年余りのシンガポール生活が、その後の小津に大きな影響を与えているように私には思える。

  2. チャイニーズ・ポップス

    私がチャイニーズ・ポップスをよく聴くようになったのは、1993年頃からである。台湾・香港のものを中心に聴いていたが、その中の星馬出身の歌手や、曲を提供している星馬のミュージシャンの存在が、星馬におけるチャイニーズ・ポップス、さらには星馬における中国的なるものに興味をもつきっかけになった。

    シンガポール、マレイシアは共に中国人(華人)も多く住む複合民族国家である。主に聴かれているのは台湾や香港の音楽だが、北京語(華語)や福建語のローカルなチャイニーズ・ポップスもある。しかし、市場が小さくて儲からないこと、台湾・香港で成功する例が増えてきたこと、香港のオリジナル曲ブームによりソングライターが必要とされていることなどから、最近、台湾や香港に進出するケースが非常に目立つ。星馬(出身)のミュージシャンといっても、最初から台湾などでデビューする人、売れてから進出する人、星馬を中心に活動しながら曲の提供などをしている人、またローカルのみで活動している人など、非常に多様である。このようなポップス界の状況は、おそらく、香港、台湾、星馬間の人の交流を象徴しているのだと思う。

  3. 『アジア・バグース!』(Asia Bagus!)

    アジア・バグース! 』は、シンガポール、マレイシア、台湾、インドネシア、日本が参加するオーディション番組で、日本(フジテレビ)の主導でシンガポールで収録されている。参加者が唄う曲や短いインタビューを通して、その国の音楽や文化、生活の一端を知ることができる。これらの国を身近に感じるうえで、この番組が果たしている役割は大きい。

  4. ドリアン(Durian)

    私がドリアンというものをはっきりと認識したのは、『ちびまる子ちゃん』においてであった。『ちびまる子ちゃん』がまだ面白くて活気があった1990年ごろのことだ。ストーリーはたしか、花輪くんのうちのパーティに行ったまるちゃんが、お土産にドリアンを貰ってきて…というものだったと思う。そのとき、ドリアンの存在は私の頭に刻み込まれたのだが、その後の私はドリアンとは関わりのない人生を送ってきた。ところが、星馬に興味を持つようになって、ドリアンは重要な役割を果たすべく、再び私の前に現れたのだ。

    ドリアンは、「天国の味と地獄の匂いで有名な果物の王様」[ML7]と言われている。「マレイ人はサロン(腰に巻く布)を売ってでもドリアンを食べる 」と言われているらしいが、日本人にとっては、マレイシアのフルーツの中で最も人気がないようだ[ML30]。そういうことを聞くと「私は違う!」と思わずにいられないのが私の性分である。ドリアンを好きになること、ドリアンにハマることは、いつの間にか私の使命となっていた。

  5. マレイ鉄道

    マレイ鉄道は、英国植民地時代に敷かれた、シンガポールからマレイシアを通ってタイのバンコクまで行く鉄道である。私は誓って鉄道おたくではない。しかし、列車の旅というものは一般に旅情を誘うものであるし、国境を越える鉄道は当然日本にはなく、何か特別魅力的なものに思える。熱帯を走る鉄道というものが、『欲望の翼』でのフィリピンの鉄道を彷彿させることも、マレイ鉄道に惹かれた原因のひとつかもしれない。

  6. 金子光晴

    旅行記や紀行文を幾つか読んだ中で、心を惹かれたのは金子光晴の紀行文『マレー蘭印紀行』[SG26][ML23]と、自伝『どくろ杯』[SG24]、『西ひがし』 [SG25][ML22]であった。金子光晴は、1930年代、巴里への旅の行き帰りに、旅行費用を稼ぐため星馬に滞在している。バトパハをはじめとして生き生きと描かれた星馬は、陰鬱で寒々しい巴里(『ねむれ巴里』)とは対照的である。

  7. P. RAMLEE(P・ラムリー)

    P. RAMLEEとの出会いは、SANDIIの『WATASHI』(1996)に収録されている“Minha Lua(私の月)”であった。これは“Engkau Laksana Bulan(月の君)”のポルトガル語カヴァーである。その後、P.RAMLEE自身が唄っているもの、彼の妻でもあったSalomaが唄っているもの、Sheila Majidがカヴァーしたものなど、いろいろ聴いたが、それぞれに味わいがある。マレイ・ポップスにはチャイニーズ・ポップスほど惹かれないけれども、P. RAMLEEはちょっと特別なのだ。

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更新日: 1999年2月12日(金)