屏東の夏休み

酸梅湯を乎乾啦ほったら

1998年8月1日(星期六)/2日(星期)


8月1日、土曜日。台北。晴れ。

台北車站まで開通した台北捷運淡水線に乗って淡水注1注2
4年ぶり、二度目の訪問。
“流浪到淡水”注3がヒットしたためか、捷運が開通したためか、観光地化が進んでいる。

“童年往事”の映画館のある通り映画へ。
雨の風情が似合うひなびた通りだった公明街は、道路の拡張に伴って大きく変わっていた。
淡江戲院も建て替えられ、映画の面影はほとんど残っていない。

“牯嶺街少年殺人事件”で建國中學の体育館映画として使われたのは、淡江高級中學の體育館。
60年代の感じがうまく出ていたのは、この建物のレトロな雰囲気のためだと思う。
淡江中學の有名な建物、八角樓を見渡す光景も、どこかで見覚えがある。
“第一次約會”の建國中學内部映画もまた、淡江中學なのだった。

[淡水河沿い]

淡水河沿いには、日本家屋のかたまる一画がある。
“小畢的故事”の小畢の一家はそのひとつに住む。
かつて日本人が住み、光復後は外省人が住んでいるのであろうこれらの家々。
小畢の義父も外省人だ。
小畢の家映画やまわりの路地映画は、増改築のあとが見られるものの、映画の面影を残す。

[魚丸湯]

可口魚丸で、淡水に来たら食べねばならない魚丸湯を食べる。

[觀音山]

これも淡水名物である酸梅湯を飲みながら、渡し舟乗り場へ。
ここは“小畢的故事”で小畢がデートの待ち合わせをする場所映画
淡水河の向こうに觀音山がそびえる光景は、“流浪到淡水”のジャケットでも有名だ。

対岸の八里注4へ渡る。
船着場から延びる路地の両側に店が並ぶ、ちょっと江ノ島みたいなところ。
次の舟でまた淡水に戻る。

[八里]

淡水はその複雑な歴史を反映して、中国的なもの、西洋的なもの、日本的なものが同居する。
それらは無理なく融合し、ひとつの生きた町をかたちづくっている。

路地を歩いていると、突然、赤い尖塔が見える。
これは長老教會教堂。
隣の洋館、偕醫館前の石段は、喧嘩で小畢の友人が刺された場所映画だ。

[長老教會教堂]

寺廟も多く、福佑宮、祖師廟、龍山寺などをめぐる。

[中央圖書館台灣分館]

台北に戻り、欣葉で最後の夕食。

◇◇◇

8月2日、日曜日。台北。晴れ。

昼の飛行機注5で東京へ戻る。
17日間ほったらかしにしたが、庭の向日葵は生きていた。



[1] 淡水[Dan4 Shui3]
台北縣淡水鎭。
[2] 台北→淡水
台北捷運淡水線。NT$40。
[3] “流浪到淡水”
1997年にヒットした台灣語歌謡。作詞作曲・陳明章、唄・金門王與李炳輝。
「ほったら〜♪」のリフレインが印象的な、90年代を代表する名曲。
[4] 八里[Ba1 Li3]
台北縣八里郷。
[5] 台北→東京
EG204。

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作成日:1999年9月19日(日)
更新日:2004年5月29日(土)