イエイエ上海 page 7
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7月29日、木曜日。上海。晴れ。
中國といえば熊猫パンダであり、パンダを見ずして中國へ行ったとはいえない。近頃、静かなブームを呼んでいるパンダだが、少し前まではその可愛らしさに不相応な、不遇な扱いを受けていた。これを「パンダ、冬の時代」と呼ぶ。その原因は25年ほど前のパンダブームにある。1972年、中華人民共和國との国交樹立を記念して、2頭のパンダが上野動物園に贈られた。そして、日本中を席巻するパンダブームがやって来た。
当時小さかった私は、このブームを事実としては憶えているが、実感としては憶えていない。しかし、ブームが終わっていくときに感じた侘しさは、一種の痛みのような感覚として残っている。ブームが去ると、もはやパンダなどこの世にいないかのように、皆がパンダに冷たくなった。当時ほとんどの子供が持っていたパンダのぬいぐるみは、短い「お気に入り」の期間を終えて見捨てられ、二度と顧みられることはなかった。私は特別入れ込んでいたわけでもなかったから、後ろめたさを感じながらも、皆と同じようにパンダに対して冷たくした。持っていたぬいぐるみがその後どうなったのか、私は思い出すことができない。
ブームが過ぎた事物が冷たくされるのは世の常である。パンダの場合、ブームが大きかっただけに、その後遺症も甚大だった。「パンダは終わった」という空気の中で、我々は長い間、パンダそのものの持つ可愛らしさに正面から向き合おうとはしなかったし、それを正当に評価してこなかったと思う。パンダブームの後遺症から脱却するのには、25年にも及ぶ「パンダ、冬の時代」を必要とした。90年代後半になって、パンダは再び脚光を浴びつつある。これを「パンダの春」と名づける。
「パンダの春」の最大の特徴はキャラクター化である。1972年のブームでは、パンダであれば何でももてはやされた反面、これといった「特定のパンダ」は登場しなかった。一方、現在は、『たれぱんだ』や新潮文庫の『Yonda?』がブームを牽引している。大ブームの後遺症に加え、珍獣であるがゆえのイロモノ扱いや、背後に見え隠れする中国政府の影が、長い間パンダのキャラクター化を妨げてきたのだろう。本来、その珍しさを語ったり、国家指導者の力を借りたりしなくても、素顔で勝負できる優れた容姿を持っているのだから、「パンダの春」は来るべくして来たといえる。二十一世紀はパンダの世紀になるかもしれない。
というわけで、パンダを見に上海動物園へ行く。上海動物園は虹橋機場の近くにあり、戦前はゴルフ場だったらしい。入場料は10元(=148円)。全国最大規模の動物園ということで、園内はかなり広いが、その割には檻が狭くて窮屈そうだ。
夏休みのためか家族連れで賑わっている。一人っ子政策で子供がちやほやされている様子が伺えるが、一方で、二人以上の子供を連れた家族も時々見かける。彼らは次のどれなのか? 子供の顔を見比べてみたりしたものの、結局謎のままだった。
目当てはパンダなので、他は適当に見てひたすらパンダを目指す。わざとなのかどうか、パンダ館はかなり遠くに設置されていた。しかし、他の檻に比べて豪華なわけでもなく、待ち行列もなく、目玉商品という雰囲気がなくてあっけない。一匹しかいないうえに、「生きたれぱんだ」状態で寝ていた(写真1)。檻にはりついて待ってみたが起きる気配はなく、散策して戻ってきても依然として生きたれぱんだだった。
昼食を食べようと、虹橋開發區へ行ってみる。展示会場、高級ホテル、ショッピングセンターなどの高層ビルが唐突に林立するところだ。ある韓国料理屋を覗くと、なんと肉一皿が100元。ここだけではなく、全体に金銭感覚が違うところらしい。開發區を脱出し、泰合金Thaitaniumというタイ料理屋に入る。辣炒鶏肉、蝦醤空心菜、青島[口卑]酒などで75元(=1107円)。空心菜はそれらしかったが、鶏肉は中華っぽい味だった。外国人出稼ぎ労働者のいない中国では、安くて本場の味が楽しめる店は期待できない。エスニック料理店も増えつつあるようだが、富裕な層を対象にしたところが多く、味も現地風にアレンジされていると予想される。
曇って蒸し暑い中を宋慶齢陵園まで歩く。先日、パジャマとストッキング素材のソックスの流行について書いたが、このほかに流行っているものとして自転車用のケープがある(写真2)。長袖を羽織ったりするのに比べ、涼しく手軽に日焼けを防ぐのが目的らしく、幅広い年齢層の女性が着用している。アイデア商品なのかもしれないが、見た目はさえない。
宋慶齢陵園の入場料は5元(=74円)。お墓はシンプルだが(写真3)、真っ白な彫像が目立つ(写真4)。宋慶齢生平事跡陳列館には、写真や遺品が展示されている。張婉[女亭]の“宋家皇朝”(『宋家の三姉妹』)では、趙文[王宣]扮する孫文はそれほど年には見えなかったし、ふたりの結婚も、志を同じくする者同士というふうに美しく描かれていた。しかし50歳前と20歳過ぎという年齢差を考えると、孫文も「いいもんだぞ。若いのさ。」などと友人に語っていたのではないかと疑わざるを得ない。
ここはもともと外国人や著名な中国人が埋葬される萬國公墓という墓地で、魯迅の墓も以前はここにあった。宋慶齢が埋葬されたのは、両親の墓がここにあったためらしい。その両親の墓は、宋家の三姉妹(靄齢、慶齢、美齢)と三兄弟(子文、子良、子安)によって建てられたばかでかいものだ(写真5)。外国人墓地には内山夫妻が眠る(写真6)。本を象った墓標には、内山書店を通して日中文化交流に貢献した夫妻の功績が称えられている。内山完造の生誕100年を記念して、1985年に建てられた墓標には、‘内山完造先生爲日中両國人民的友誼作出了卓越貢献精神永垂不朽’と刻まれていた。
バスで中山公園[zhong1 shan1 gong1 yuan2]へ。魯迅公園と同様、1元の入場料が必要である。元は西洋人の庭園だった広大な公園(写真7)で、芝生の上には凧が上がっている。木には‘本公園不准練法輪功’の看板(写真8)。先日禁止された法輪功は、最近のニュースの主役である。批判のコメントや元信者の声を連日伝えるテレビ報道は、一時期のオウム報道を彷彿とさせる。
中山公園の近くには、Rewi Alley故居(写真9)や、武田泰淳が住んでいた福世花園(写真10)がある。Rewi Alleyが30年代に住んだアパートは、上海市紀念地點に指定され、プレートが取り付けられている。武田泰淳が終戦当時住んでいた住居には、堀田善衛が一緒に住んだこともあったらしい。
夕食後、新世界近くの音樂之家というレコード店に寄る。カセットテープとVideo CDは1階に、CDは2階に置かれている。音楽メディアとしては未だにカセットテープが主流である反面、映像メディアとしてのVideo CDは香港並みに普及していることが窺える。国産映画が充実しており、阮玲玉や周[王旋]が主演している30年代の映画も発売されはじめている。“大閲兵”“新女性”“十字街頭”を合計68元(=1004円)で購入した。
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