イエイエ上海 page 5

1999年7月27日(星期二)


1 大世界
2 盧灣區中心醫院
3 新青年編輯部旧址
4 周公館旧址
5 國泰電影院
6 錦江飯店北樓
7 上海市作家協会
8 共産主義青年団
9 豆腐
10 大世界
11 新世界城

7月27日、火曜日。上海。晴れ。

明日の蘇州行きの切符を買いに上海車站へ行く。3日後くらいまでの近距離の切符はふつうの窓口で買えるとわかり、行列に並んだ。上海人の行列マナーの悪さは、南翔饅頭店での一件や地鐵の窓口で思い知らされていたはずだった。しかし、長年身についたルールや常識は、そう簡単に抜けるものではない。例えば「行列とは前の人の後ろに並ぶものである」とか、「切符は前の人が買い終わってから買うものである」とか。朝なので、まだ十分「上海モード」になっていなかったのか、油断していて「買っている人の横」に並んでいた、というより貼りついていたオヤジに割り込まれてしまった。「前の人がいるうちにお札を握りしめた手を窓口に突っ込む」という作戦に出られると、後ろにいる並んでいる者は不利である。その上、外国語で話すときにはつい深呼吸して頭の中で練習してしまうので、割り込むスキを与えてしまう。そのオヤジが買っているうちにまた横に行列ができたが、次は「肘ブロック+突っ込み手+大声」の上海方式を駆使し、無事に切符を入手した。蘇州まで硬座13元(=192円)。行列では「悪気はないけれど気の利かない人」が前にいたりするとやたら疲れるものだが、ここまで悪気があると闘争心をかきたてられ、かえってパワーが湧いて元気倍増した。

人民廣場まで地鐵に乗り、旧フランス租界へ行く。上海の写真で最も心惹かれたのは、ネオンが輝く夜の大世界[da4 shi4 jie4]/ダスカである。五重塔を洋風にしたようなレトロな外観と、レトロさを強調する派手なネオン。それは一昔前の写真のように見えたが、まぎれもなく現在の上海に実在するものなのだ。ここに行かずして上海に行ったとはいえない。「ダスカを見て死ね」という諺もある。

大世界というのは1917年にできた遊楽場で、堀田善衛の言葉を引用すれば、「浅草六区のありとあらゆる演芸を一つのビルにつめこんだようなところ」[B133]である。30年代には売春、麻薬など、犯罪の巣窟でもあったらしい。新中国成立後は、“人民遊楽場”“上海市青年宮”といった無粋な名前になった時期もあったが、1987年に“大世界”の旧称が復活した。賢明な判断である。

入場料は25元(=369円)。蘇州までの往復とほぼ同じ値段はかなり高いと思う。まずは入ってすぐのところにある、太って見えたり、痩せて見えたり、足が長く見えたりする鏡を楽しむ。中には、芝居、手品、映画などタダで見れるところと、ゲームセンターやアトラクションのあるレストランなどお金のかかるところとがある。小吃やお菓子も売っている。各アトラクションの客席はかなり埋まっていて、売店エリアや通路にも人が多い。もしかしたら観光バスが来るようなところではないかと少し心配だったが、外国人も団体観光客も見かけなかった。家族連れなど、一般の人民が娯楽を求めて来ているのがほとんどのようだ。

ひとつ2元(=30円)の三色アイスを買い、滬劇を見る。楽隊席があり演奏も生でやっている。アイスは、バニラ、ストロベリー、チョコレートの三色が透明のカップに入ったレトロなデザイン。味の方もレトロで、粘性が全くなくスカスカだ。街中では普通のアイスを売っているので、この場に合うようなアイスを選んで置いているのだろう。

次は、吹き抜け部分に作られた舞台でやっている雑技を見る(写真1)。上海雑技団のような名門ではない無名の雑技団で、時々失敗もする。それぞれの技は確かにすごいが、どの出し物も幾つかの技の組合せなので、だんだん飽きてくる。

トイレは、見た目は綺麗そうで、2角(=3円)と有料だったが、個室にドアのない溝トイレだった。2角払ってしまった以上、もう後へは引けない。初めての「ドアなしトイレ」に挑む。大事をとって一番奥にしたが、隣との仕切りは天井まであり、待ち行列もなかったので没問題だった。

手品や映画などを覗きながら歩いていると、人がどんどん入っていくドアがある。ちょいと覗いてみるつもりが、後から次々と来る人に押され、入ってしまった。中は暗く、真中のステージでは若い女性たちが踊っている。すかさず係員が、ステージを取り囲むように並ぶテーブルのひとつに案内する。財布にお金はほとんどない。ここから抜け出さなければと焦り、連れのJ氏に「きっとお金がかかるよ、ヤバいよ」と言ってみる。しかし彼はすでにダンサーに骨抜きにされたのか、気に留める様子もない。常温の百事口樂ペプシ・コーラと西瓜とお菓子が配られる。「これに手を付けたらおしまいだ」と考えを巡らす。J氏はといえば、すっかり寛いでいるばかりかすでにペプシを飲み始めており、まったく頼りにならない。

ついに集金のおばさんがやって来た。おそるおそる聞いてみる。‘多少錢?’‘りぉうしー(60)。’ろくじゅうげん!ふるえる手で財布を開くと、60元はなんとかあった。それにしても一人30元(=443円)とは高すぎる。こんなに払ったからにはすぐに出るわけにはいかず、飲みたくもないぬるいペプシを飲み、西瓜を食べ、踊りを見た。彼女たちは、若くてスタイルもよく、それなりに綺麗で、比較的肌を露出していた。踊りの方はたいしたことはなく、白木マリでも出てきてくれた方がいいと思う。唄に期待することにしたが、出て来たのはおばさんで、しかもドスのきいた声で唄い始めたので、慌てて退散した。

ところで朝からこういうアトラクションをやっているのはどういうんだろうか。しかも満員で、子供連れの客も多い。脱ぐわけではないし、唄や踊りを楽しんでいると言われれば、確かにそうだろう。しかし雰囲気はクラブかキャバレーだし、その中で素面の人々が食い入るように踊りを見ている光景は異様である。恐るべし中国。ところで入ったドアは裏口で、入口にはもちろんちゃんと案内が出ていた。何事も裏口から入るのはよくないというのが今回の教訓である。

お金を下ろして近くの長安餃子樓で昼食を食べ(37.6元=555円)、中共一大會址紀念館に向かう。一大會址というのは、1921年に中国共産党の第一回全国代表大会が開かれた建物である。入場料は3元(=44円)で、参観券が絵はがきになっている。最近はこういう場所は人気がないのかと思ったら、予想に反して大繁盛である。研修旅行のような地方からの団体が多いようだ。大会の様子を再現した毛澤東などの蝋人形が、なかなかよくできていた。

アグネス・スメドレーが上海で初めて住んだアパート、魯迅の五十歳の誕生会が開かれたインドネシア料理店スラバヤ(現・盧灣區中心醫院問診部)(写真2)、後に共産党の中央機関も置かれた“新青年”編輯部旧址(写真3)、宋慶齢[song4 qing4 ling2]が孫文の死後もしばらく住んでいた孫中山[sun1 zhong1 shan1]故居(入場料8元=118円)などを見る。思南路で車とバイクの事故があったらしく、人だかりができていた。バイクのおばさんは大声で野次馬たちに訴え、車の方は中にこもっている。公安がやってくると、当事者のおばさんだけでなく、まわりの人も夢中になって警官に何か訴えていた。長くなりそうな雰囲気だったが、中共代表団註滬弁事処(周公館)旧址(写真4)の建物を見て戻ってくると、もう誰もいなかった。引き続き、租界時代からの映画館、國泰大戲院Cathay Theatre(現・國泰電影院)(写真5)華懋公寓Cathay Mansions(現・錦江飯店北樓)(写真6)上海市作家協会(写真7)共産主義青年団(写真8)などを見て歩く。

大世界付近に戻り、上海川妹子で四川料理を食べる。水煮牛肉、魚香茄子、魚香なんとか豆腐などを注文。それからビール。現地のビールを飲むのは旅の大きな楽しみである。日本では青島くらいしか飲めないので、中国ビールがいろいろ飲めるのを楽しみにしていた。ところがこれがけっこう難しい。メニューには漢字の名前が幾つも並んでいるのだが、大部分は現地生産している海外の銘柄である。残念なことに、喜んで飲みたい銘柄は少ない。特に要注意なのは“舒波”と“三得利”である。この店でも中国のビールは力波Reebの生だけ。ビールを選んでいると、赤いユニフォームの力波小姐や緑のユニフォームのカールスバーグ小姐など、ビール会社が派遣しているキャンペーン・ガールが集まってきた。ウェイトレスも若くてフレンドリーなので、みんなであれこれ勧めて大騒ぎだ。やはり中国のビールがいいし、生でもあるし、ピッチャー入り大容量で高いけれども力波にした。どのくらい高いかといえば、全部で83元(=1225円)のうち、半分がビール代なのだ。料理はどれも辛く、特に魚香なんとか豆腐(写真9)は、外側がぱりぱりしていておいしかった。

外に出て、憧れの大世界のネオン(写真10)を見る。歩いて新世界城まで行くと、ここのネオン(写真11)もなかなかのもので、大世界に負けていなかった。


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作成日:2000年2月25日(金)
更新日:2000年10月22日(日)