西方東方
マレイ語で、baratは西、timurは東。
金子光晴がかつて旅して、『マレー蘭印紀行』『どくろ杯』
『ねむれ巴里』『西ひがし』などに描いた場所。
その現在を写真で紹介します。
上海 | 陰謀と阿片と、売春の上海は、蒜と油と、煎薬と腐敗物と、人間の消耗のにおいがまざりあった、なんとも言えない体臭でむせかえり、また、その臭気の忘れられない魅惑が、人をとらえて離さないところであった。(『どくろ杯』) | |
蘇州 | 古都蘇州の魔力の根源は、なによりも水である。城内の風情ある街衢まちのすべてが、水に浮き、四通八達の運河に架った一瘤駱駝の背に似た刳橋の数は、ひとくちに、三千五百橋とよばれている。(『どくろ杯』) | |
シンガポール | シンガポールは、戦場である。焼けた鉄叉のうえに、雑多な人間の膏が、じりじりとこげちゞれているような場所だ。(『マレー蘭印紀行』) | |
バトパハ | バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街ずじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊のある家々でつゞいている。(『マレー蘭印紀行』) | |
マラッカ | マラッカの街は、格別奇もない支那人とその建物のごたごたしている貿易港で、マラッカ王国が南海に覇をとなえていた頃の俤などは、どこにものこっていなかった。(『西ひがし』) | |
コーランプル | コーランプルは馬来聯邦州の首府で、殷賑は半島第一の都。大王椰子の、徳利を行儀よく並べたような並木のあいだから、回教寺院(モスケ)の球屋根がみえる。(『マレー蘭印紀行』) |
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