第17回東京国際映画祭

『花咲く春が来れば』ティーチ・イン

開催日 2004年10月31日(日)
会場 シアターコクーン
ゲスト Ryu Jang-Ha(監督)
司会 伊藤さとり
韓国語-日本語通訳 根本理恵
日本語-英語通訳 大倉美子


司会(日本語):Ryu Jang-Ha監督からみなさんにご挨拶をお願いしたいと思います。

Ryu Jang-Ha(韓国語):このようなすばらしい映画祭で、しかもアジアの風のクロージング作品として上映していただけて、本当に光栄に思っています。今日はみなさん楽しんでくださったようで、さっき拍手もいただきまして、本当にありがとうございます。

司会:Ryu Jang-Ha監督にまずひとつだけ先にお伺いしたいんですけれども、今まで『春の日は過ぎゆく』とか『八月のクリスマス』とか脚本やら製作現場として携わってきて、今回監督としてご自身の原案をもとに脚本を書かれているわけなんですけれども、この作品を考え出したきっかけは?

Ryu Jang-Ha:私が特に好きな映画が『春の日は過ぎゆく』なんですが、あの映画のエンディングは、ふたりが別れてしまうというものです。私はこの映画のシナリオにも参加しましたし、助監督も務めていたんですが、ふたりの別れがあまりにも辛く切なくて、今度自分が作るときは、ふたりの男女がもう一度再会できるような物語にしたいと考えて、この映画を思いつきました。

司会:『春の日は過ぎゆく』からストーリーができあがってきたというのはびっくりですよね。

観客1(日本語):たいへんすばらしい映画をありがとうございました。本当に感動いたしました。私は、実は高校時代の恩師が二人、プロのミュージシャンに転身して、その先生方の影響を非常に受けているんですけれども、監督ご自身が今まで学生時代を振り返って、恩師から影響を受けたようなことがあれば教えていただけませんか。拝見していて、その影響がすごくあったのかなということを感じましたのでお願いします。

Ryu Jang-Ha:私は特にこの先生から何か影響を受けたということはありません。私の今までの人生で、一番大きなターニング・ポイントとなったのは、映画の仕事を始めたということです。私は、大学を卒業したあとふつうの会社に入ってサラリーマンをしていました。でも1年で辞めて、次に何をしようかと悩んでいたときに、ある先輩が私の悩みを知って、いろいろと助言をしてくれました。「これ以上悩んだら君は人生を無駄にしてしまうから、少し遅いかもしれないけれども、これ以上遅くなる前に今からでも好きなことをしたら」とその先輩が言ってくれました。人生のとても大事な瞬間に言ってくださったその言葉がとても記憶に残っています。今その先輩とはあまり会う機会はなくなってしまったんですけれども。先生については、少しずつ何らかの影響を受けているかもしれませんが、この人から特に、ということはなかったです。

観客2(日本語):こんにちは。映画の中で、主人公のヒョヌがトゲ村の人々の暖かさにふれて、それから美しい景色にふれて癒されていったように、私もこの映画を観て心が癒されました。一番印象深かったのが、主演の崔岷植チェ・ミンシクさんの演技です。彼はもうトップ・スターですから、いろんな映画が日本に来て、私も何本も観ています。私の今までの印象として、アクの強い役を圧倒的な演技力でそれこそ神気迫る演技という印象が強かったのが、この映画では、本当にふつうの男の人がだんだんと変わっていくという感情表現を、その変化を繊細に表現されているのに驚いたんですね。お伺いしたいのは、崔岷植さんをキャスティングしたその経緯とか意図とか、そのへんのことを教えてください。

司会:あと、演出とかもですね。

Ryu Jang-Ha:まず、この映画を観て癒されたと言ってくださって、本当に嬉しいです。そもそもこの映画を作った目的は、ちょっと人生が辛いなと思っていて、きっとここにいらっしゃるみなさんも人生が辛いと思うことがあると思うんですが、1本の映画を観て、少し休息を得るといいますか、心が慰められるといいなという思いからでした。そのように思っていただいて、本当にありがとうございます。
◆崔岷植さんは、たしかにこれまで個性の強い役が多かったと思います。ところがこの映画では非常に平凡な男性です。どちらかというと、ちょっと愚かな、人間としてちょっと馬鹿みたいだなというところもある役どころだったんですが、崔岷植さんご本人も少しそんな面もあるのかなと思います。それで、「個性の強い、アクの強い役よりも、あなたのそういうところを出してくれたら」と彼に言ったら、とても喜んで、出演を決めてくれました。
◆演出については、崔岷植さんと様々なことを話し合いました。「ここはこんな感情表現にしようか」ということを十分に話し合って、心を開いた状態で、そして余裕を残した状態で演技に臨んでいただきました。つまり私が「こうしてほしい、ああしてほしい」と具体的に指示するのではなく、「ここはこんな感じでお願いしたい、それを理解して演じてみてください」というやり方で演技をお願いしました。

観客3(日本語):はじめまして。すごくおもしろかったです。特に、雨の中で炭坑の労働者が帰ってくるときに演奏していたシーンというのが僕は強く印象に残っていて、鳥肌が立ちました。質問したいのは、眼帯というのがすごく小道具として効いていて、いろいろな伏線があったりもしたと思うんですけれど、脚本を書くどの段階で眼帯を思いついたのか教えてください。

Ryu Jang-Ha:このシナリオは20回以上書き直しているんですが、眼帯を入れたのは一番最後に書き直したヴァージョンです。つまり俳優さんたちにシナリオを渡す直前に眼帯というモチーフを入れました。この映画に出てくる吹奏楽部の生徒は、実際に吹奏楽部の生徒たちなんですね。数人の演技経験者を除いては、すべて素人の実際の部員たちに登場してもらったんですが、ある日、私が田舎に行ってこの吹奏楽部に行ったときに、みんなが眼病にかかっていまして、本当にみんなが眼帯をしていました。その姿が印象的だったので、それをシナリオに入れたいなと思ったんですね。眼帯を入れたのは、ヒョヌという人物が生徒たちと交流していくうちに、彼も何かを得ただろう、そのために眼病までうつってしまったという意味合いを込めてみたんです。
◆トランペットを彼が置いてきたのは、彼が生徒に「かっこつけるな」と言うシーンがあるんですが、彼も前半はかっこつけていたと思います。人間の本当の姿を見ないで、クラシックの演奏家になりたいという華やかな部分ばかり考えていた彼が、生徒との交流によって昔の自分をそこに置いてくる、捨ててくるという意味で、トランペットを置いてきたと私は位置づけています。

観客4(日本語):すばらしい映画をありがとうございました。インターネットか雑誌の崔岷植さんのインタビュー記事で、この映画に出たことで非常に癒されて、そして楽器を演奏するという楽しみに出会ったとお話しになっていたんですけれども、この映画の中で実際に崔岷植さんの演奏が使われているのでしょうか。もし使われているのであれば、どんなシーンで使われているのかを教えていただければと思います。

Ryu Jang-Ha:映画の半ばで、崔岷植さんが一回ソウルに戻るところで汽車に乗るシーンがあるんですが、汽車に乗ってソウルに着いて間違えて引越しする前の家に行ってしまうところ、あそこのシーンまでに流れる曲がご本人が吹いたものです。そしてもうひとつ、後半部分で男子生徒が戻ってきて、そのあと彼が窓際に立って吹いている、それはスヨンという女性のために吹いたという設定なんですが、窓際で吹いているあの曲も崔岷植さんが実際に吹いたものです。

司会:最後にRyu Jang-Ha監督から、今後どんな作品を手がけていきたいのか、またこの映画祭の印象などもお聞かせいただければ。

Ryu Jang-Ha:今後作りたいと思っている作品は、私たちと似ている人たちが登場する映画です。私たちとかけ離れた世界や、かけ離れた世界で起こるお話ではなく、本当に私たちの周辺で、私たちの日常生活で起こり得るようなことを描いた映画、私たちと身近な人たちを主人公にした映画を作っていきたいと思っています。
◆今回、東京国際映画祭に参加して驚いたのは、今日の上映ではなくて一回目のスクリーニングのとき、私も客席でこっそり一緒に観ていたんですが、観客のみなさんがエンドロールが上がるまでずっと座っていてくださったことです。すべて終わってライトがつくまでその場にずっと残ってくれて、その姿にとても感動しました。監督なら誰しも、そういうふうに映画を観てほしいと思っていると思います。今回はいい観客のみなさんに出会えたと思い、とても喜んでいます。

司会:それはもう、すばらしい作品を作ってくださったからこそ、みなさんが最後まで残っていたと思います。

映画人は語る2004年10月31日ドゥ・マゴで逢いましょう2004
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作成日:2004年11月10日(水)
更新日:2004年12月28日(火)