第17回東京国際映画祭

『フェーンチャン~ぼくの恋人』ティーチ・イン

開催日 2004年10月31日(日)
会場 シアターコクーン
ゲスト Adisorn Tresirikasem, Songyos Sukmak-anad(監督)
司会 伊藤さとり
タイ語-日本語通訳
日本語-英語通訳 大倉美子


司会(日本語):これだけたくさんの方々が今日ご覧になって、本当にみなさん満足されていたようなんですけれども、まず最初におふたりからこの作品を作ろうと思ったきっかけを教えていただけますか。

Adisorn Tresirikasem1(タイ語):友人たちと映画を作ろうと話し合っていたところ、プロデューサーから、みんなが自分たちの子供のときのことを思い出して、それを集めた映画を作ったらどうかという提案がありました。それで友人たちと話し合ってこういう映画になったのです。

司会:初恋をテーマにしようと思った理由は。

Adisorn Tresirikasem:初恋というのは、みんなにとってとても大事なものです。友だち同士で初恋の話をすると、みんな自分の初恋をよく憶えていて、とても長く一生懸命話します。それで初恋をこの映画のテーマにするといいと思ったんです。

Songyos Sukmak-anad(タイ語):実はこの映画のはじまりは、6人の監督の中の一人がインターネットに書いた短いエッセイだったんです。そのエッセイを初めて読んだとき、文章でありながらすべてのシーンが目に浮かぶようでした。それでそのエッセイをぜひ映画にしたいと思ったのが映画を作ったきっかけです。

観客1(日本語):映画を拝見したかぎり、音楽と合わせているところがあったので、わりと早い段階でこの音楽を使おうというお考えがあったのではないかと思います。どのような理由で、こういう80年代の音楽を使うことにしたのでしょうか。

Songyos Sukmak-anad:はじまりが短いエッセイだったので、脚本の段階でいろいろなエピソードを加えて長くしました。同時に、自分たちが子供だった時代、今からちょうど20年くらい前のヒット曲を100曲以上も集めてきました。その中から、自分たちのストーリーに合ったものを選び、ストーリーと歌詞との対応がとれるようにしました。ですから、脚本を書きながら選曲もしたわけです。両方できあがった段階で選んだ歌をCDに落とし、プロデューサーに持って行きました。そして、イメージを膨らませるために、そのCDを聴きながら脚本を読むようお願いしました。

観客2(日本語):とてもおもしろい作品で、早起きして来たかいがありました。ありがとうございます。質問なんですけれども、昔、邦題が『小さな恋のメロディ』という映画があり、たぶん原題は“Melody”だと思いますが、これも昔の有名な曲をたくさん使って、歌詞と脚本を合わせていたと思います。この映画を参考に作られたのでしょうか。それから、小学生たちの人物関係が、日本の有名なアニメのドラえもんによく似ていて、ドラえもんのTシャツを着ているシーンもあったと思います。ドラえもんはタイでも有名だと思うんですが、参考にされたのでしょうか。それから監督が6人ということで、「船頭多くして船山に上る」じゃありませんが、たくさんのディレクターで作られたということで、製作の途中で問題やもめごとはあったのでしょうか。

Adisorn Tresirikasem:まず最初に『小さな恋のメロディ』の影響ですね。これについては、この映画が上映されたあと、とても多くの人たちから「『小さな恋のメロディ』を観たの?」「どうだったの?」「影響を受けたの?」といった質問を受けました。インターネット上でも、「『小さな恋のメロディ』の影響が強い」とよく言われました。けれども観ていないんです。『小さな恋のメロディ』はタイでは観ることができないのですが、あまりみんなにそのように言われるので、逆になんとか観たいと思っています。
◆次はドラえもんの影響ですね。日本の人にはわかっていただきたいのですが、私たちのような80年代のタイの子供たちは、日本のアニメで育ったようなものです。香港のドラマなんかも見ていましたが、日本のテレヴィ・アニメの影響が非常に強かったです。特にドラえもんは漫画も出版されていて、とても楽しみに読んでいました。ドラえもんの雰囲気は自分たちの心の中に根づいているものなので、この映画を短編から長編にする段階で、その影響が非常に出てきたと自分でも思っています。
◆次の質問は監督が6人で問題がなかったかということですが、毎日喧嘩していました。しかし、私たちはつきあいが長いので、朝喧嘩しても夕方にはもう仲直りしていました。毎日のように喧嘩したのは、映画のテーマが自分たちの子供時代のことだったからです。しかし逆に、6人で脚本を書いてよかった点もあります。みんながエピソードを持ち寄ることにより、話を複雑化して、より楽しく、より細かくすることができ、立体感のある映画にすることができました。

司会:『小さな恋のメロディ』は日本のヴィデオレンタル屋さんにもあるので、よかったら滞在中に借りてホテルで観るといいと思いますよ。

観客3(日本語):舞台が、海があってすごく美しい場所だったんですけれども、あそこを選ばれた理由があれば教えていただきたいです。

Adisorn Tresirikasem:ペプリという県を選んだ理由ですが、これは私たちの初めての映画製作だったので、なるべく費用を節約して映画を作りたいと思っていました。そのためにはバンコクから遠すぎるところは不適切なので、3時間くらいで行けるところをロケ地に選びました。ロケ地の条件として一番大事だったのは、あの3軒の家がちゃんと残っていることです。つまり、ノイナーの家があって、真ん中の雑貨屋さんがあって、そしてジアップの家がある。3軒並んだああいう形の、80年代の古いタイプの家。あれがこの場所を選んだ一番のポイントです。海その他はそのあとから考えたことです。

観客4(日本語):ポスターを見たときから予想していたとおり、とても甘酸っぱくてすてきな映画をありがとうございました。質問なんですけれども、最後のノイナーの結婚式のところで、大人になったノイナーの顔をあえて見せなかったのは、6人の監督の一致した意見だったんでしょうか。また初恋は美しいものとしてとっておきたいからそうしたのでしょうか。それから、主役の方たちは素人さんなのか、プロで活躍している人がいるのかどうか教えてください。

Adisorn Tresirikasem:大人になったノイナーの顔が子供のときのノイナーの顔だったというアイデアを出したのは、6人の中の一人、Vitcha Gojiewという監督です。彼がその意見を出したとき、みんなすぐに賛成しました。実は、私自身もそういう体験があったからです。いつも思っていたけれども長く会っていない友だちにとても久しぶりに会ったとき、人柄は変わっていなかったのですが、姿かたちは変わっていました。ですが、私には今の新しい姿かたちは見えなくて、思い出の中の昔のその人しか見えなかったのです。
◆それからもうひとつ理由がありました。みなさんが映画の中でずっとノイナーを見てきて、みなさんの心の中にあるノイナーのイメージが、大人のノイナーによって崩れては困るということです。イメージが壊れないようなすばらしい女優さんを選べればいいのですが、それは非常に難しく、実際はそういう人はいないだろうと思いました。それで子供のころのノイナーのままにすることにより、みなさんの記憶も大事にしたいと考えたのです。
◆次の質問の、映画の主役はもともと映画スターかいう点ですが、主役の子供たちは全員素人です。子供は全部公募しました。モデルなどを紹介してもらったり、バンコクや近くの県から、自薦、他薦を含めて探しました。ノイナーはモデルからの紹介でした。ジアップは、Songyos Sukmak-anadが近くの小学校で見つけました。小学校を歩いて探していたんですが、その小学校で「あっ、この子だ」ということになったんです。大人になってからのジアップを演じた人は、映画スターではないですが、歌手です。それから、お父さんとお母さんを演じたのは、昔の映画スターで、10年くらい全然出演していなかった人たちです。

観客5(日本語):私は昨年タイに行ったときに、子役のふたりが出ているMTVや映画の一部をたまたま見ていたので、今回全部観ることができてとても楽しかったです。子役の子たちはさきほど素人だと伺ったんですが、今年の9月に福岡で、韓国の『9歳の人生』という映画を観たんですね。そのときのエピソードで、子役たちの中でひとりの男の子をめぐって女の子たちが恋のさやあてをしていたという話があったんですが、何か撮影の苦労とかありましたでしょうか。そうしたエピソードを教えていただければと思います。たいへん申し訳ないんですが、もうひとつ質問をさせてください。グループで1本の映画を撮られたということなんですが、次回作はもうすでにできているのか。今後もグループで撮っていきたいのか、今後どういった形をとられるのか、そのあたりを教えていただければありがたいです。

Adisorn Tresirikasem:主役の男の子、ジアップの子供時代を演じた男の子は、とても恥ずかしがり屋なんです。ですから、ノイナーのことをちょっとでも冷やかされると、「知らないっ」という感じでわざと知らんぷりしていました。だけど、私たち大人がいないところでは、ふたりはけっこう仲が良かったようです。

Songyos Sukmak-anad:次回作についてですが、私たち6人は、この映画を撮り終わったときに約束をしました。「もう二度と、一緒に映画はやらない」と。できあがった段階では、非常に満足感もあるし、嬉しい気持ちだけなんですが、やっていたときはとても苦しかったんです。喧嘩も多く、非常に疲れました。そういう疲れる経験は一度だけでいい。この映画と同じように、一度だけの映画で、その喜びや想い出を大事にしていこうと話し合いました。
◆タイで、6人の監督で映画を作りますというニュースが流れたとき、映画業界の人たちは、「そんな映画はぐちゃぐちゃになってしまう、終わりまでいかないだろう」と酷評しました。しかし私たちは、最終的に映画を成功させました。二度と6人ではやらないと決めたんですが、今度は一人ずつで作っていきます。すると今度は、「一人ではできないんじゃないか」と言われています。これは新しい挑戦です。私は受けて立ちます。

1]全体にわたって、各発言がどちらの監督によるものなのかは自信がありません。間違っていたらご指摘ください。

映画人は語る2004年10月31日ドゥ・マゴで逢いましょう2004
ホームページ
Copyright © 2004 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日:2004年11月22日(月)
更新日:2004年12月28日(火)