第17回東京国際映画祭
■■■『若い人』ティーチ・イン
開催日 ● 2004年10月25日(月) 会場 ● VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ2 ゲスト ● 陳美齡アグネス・チャン(出演者) 司会 ● 襟川クロ 日本語-英語通訳 ● 大倉美子
- ■陳美齡(日本語):こんばんは、みなさん。よろしくお願いします。
- ◆司会(日本語):細いですね。
- ◆陳美齡:あのときと比べればかなり…。
- ◆司会:「あのとき」とおっしゃいましたけれども、いつどきですか。
- ◆陳美齡:15、6だったと思います。
- ◆司会:じゃあ3年くらい前ですか。
- ◆陳美齡:30何年前。
- ◆司会:みなさんまだ生まれていないんじゃないですか。
- ◆陳美齡:生まれてない方多いと思います。
- ■観客1(日本語):3曲目の歌は何という曲なんでしょうか。
- ◆陳美齡:あの歌って何だったんでしょうね。私が最初、歌を歌ってたときは、“what the world needs now, is love, sweet love♪”というような歌だったんですよ[1]。でも映画で観たら違う曲なんです。一生懸命思い出そうとしたの。私、あとでレコーディングしたかどうか。…歌ったかもしれない。たしか出版権の問題で、その曲が使えないと。それで香港の作曲家が、口元がそっくりな、リズムもそっくりな曲を書いたんですよね。それでたぶん私、歌ったと思います。でも大昔のことだから、よく憶えていない。
- ◆あんまりいい歌じゃなかったなぁ。今回のために初めて映画観たんですよ、私。公開されたときちょっと忙しかったので、香港では一度も観たことなかったんですね。それで今回初めて観て、「わぁ、あまりよくない歌だなぁ」。3つ目の歌、あまりよくなかったと思いました。
- ■司会:ということで、アグネスさん、初めて映画をご覧になったらしいですよ。ご感想はいかがですか。
- ◆陳美齡:そのあと何回か出たんです、映画。もしこの映画観てたら、私出なかったと思う。恥ずかしいですね。ちょうどそのとき、香港でとても流行ってたんですね、歌が。それでアイドルとして…。張徹というものすごい有名な監督さんですけど、香港の黒澤というか、ショウ・ブラザーズの中では、物にタッチしたら全部金になるというぐらい、ものすごく偉い人だったんです。今から考えてみればね。でも、声かけてくれたんですね。女優さんはどうでもいいという考え方だったんですよ。自分では「映画に出てください」とは絶対言わない。「誰でもいいよ、空いている人でいいよ」みたいな感じで。だから初めてで、とても光栄な話なんだなと今、思います。
- ◆張徹はすごく硬派だし、今回出た3人の男の人も、当時の一番トップのカンフーのスターですから、このようなストーリーのよくわからない、アイドル系映画というのは撮ったことないんです。まず考えられない。でも、この映画は当たりました。この次の映画も一緒にやって、私が片思いしてた姜大衛の恋人役で、“叛逆”っていう。今度は姉はいなくて私だけが主役ということで、もう1回張徹と組みました。
- ◆ふつうは張徹と1回仕事すると、絶対浮気してはいけないんですね。もうずっと黒澤系だったら黒澤みたいな感じなんですよ。すぐあと違う監督と別の映画を撮って、そしてもっと裏切ったのは、日本へ来るのに相談しなかった。もう今天国に行っちゃったけど、許されてないと思います。でも今回観て、もう本当に懐かしくて。すべての人が今有名になったり、呉宇森ジョン・ウーとかみんなすごいじゃないですか。そのときに一緒に仕事してたんだなぁと。洪金寶とかもいましたね。武術指導で、裏方でずっとやってたり。とにかく今ハリウッドですごい活躍してる人たちが、ほとんど同じセットでずっと一緒に仕事していたので、日本に来ないほうがよかったんじゃないか。この映画観て、少し思います。
- ◆司会:でも今天国で、「日本でよく上映してくれました。アグネス、ありがとう」って言ってるかもしれないし。
- ◆陳美齡:よかったかどうか。でも、自分の青春の一ページです。本当に何もわからないで歌を歌い始め、こんなすごい仕事をやってたんだなぁと。正直言って私初めて観て、台詞も憶えてないです。ふつう自分のやった仕事は、もう1回観ると、台詞くらいは思い出しますよね。そのぐらいも憶えてないほど、そのときは忙しかったというか、台本を何回も読み直すということもなかったと思う。たぶん助監督が演技指導なんですね。張徹は演技指導はしないです、よっぽどアタマにくるまで。たぶん呉宇森とか、助監督が何人かいるんですけど、それが台詞を教えて…。私は広東語が母語なんです。でもその当時、こういう映画を撮るときは全部北京語なんですね。台詞も口移しでひとつひとつ教えて。それで彼ら戦いますよね。それは1回しかリハーサルしないんです。どんな難しい戦いでも。もうみんなプロですから、1回でやっちゃうんです。だからつっかかったらたいへんなことになるので、かなり緊張しました。そういうことは憶えているのに、何を言ったか、全く憶えていないんですね。唯一すごく印象に残ったのは、煙草を吸ったこと。最初で最後だった。あとは本当に憶えていないですね。でもいい記録だなぁと思って。本当によく…栄養優良児でね、…健康優良児。
- ◆司会:足ブクブクしてるしね。
- ◆陳美齡:何で流行ったんだろうなぁ。
- ◆司会:白いブーツもアグネスが日本で流行らしたんですよ。ミニスカートで…。
- ◆陳美齡:あぁ、ハイソックスとか。なんでみんながこの映画を観て私のこと応援してくれるようになるか理解できないんだけど、この映画のおかげで、東南アジアでもみんな名前を憶えてくれて、ものすごい応援してくれるようになって。レコードもたくさん、この映画のおかげで売れたんですよね。
- ■観客2(日本語):映画の中はたしかに北京語でしたけど、声はご本人なんですか。それとも吹き替えなんですか。
- ◆陳美齡:吹き替えです。当時、李小龍ブルース・リーも吹き替えですから。
- ◆司会:成龍ジャッキーもそうですね。全員そう。香港の映画は吹き替えです。
- ◆陳美齡:私たち専門の吹き替えがいまして、その人をやったらずっと、…ドラえもんと一緒ですね。同じ人をずっと一生やるんですね。だから、自分が香港の映画に出てる声と、台湾の映画に出てる声と違うんです、多少。香港でドラマやって広東語の場合はまた違うんですね。でもかなり似てました、自分に。すごい気に入りました。どうですか。
- ◆司会:やっぱり黒澤明と呼ばれている監督さんだけあって、生声でやってるんだなと思ってましたよ。
- ◆陳美齡:声は録るんですよ、全部録るんです。1回録って、その人が私の話し方とかも全部練習して、それで吹き替えするんです。
- ◆これが最初の映画です。次の映画は、もう私が言いそうな台詞で脚本家が書くんです。だから次の映画なんかは台詞がいいんですね。俳優さんなんかも、彼のふつうの喋り方の感じで脚本家が書くんです。そのときの脚本家も、香港では彼が書いたら全部金になるみたいな、すごい一生懸命やる有名な方で。毎日セットにいますね。終わったらみんな集まって、ラッシュ観て、撮り直しがあるんだったら撮り直す。張家班って私たち言うんですけど、張徹のスタッフというのは本当にすごいですね。本当に黒澤明っていうか。
- ■観客3(日本語):ショウ・ブラザーズの敷地はとっても広くて、何でもあったと伺っているんですけれども、この映画も敷地内で間に合ってしまったのかということと、競技のアナウンサーだけ広東語の音声…。
- ◆陳美齡:そうなんですよね、おかしいですよね。どういう心でそうなったかはわからないけど、たぶんジョークで、洒落でやっていたと思うんです。
- ◆たしかに敷地の中で何でもできてしまいます。とても広いんです。清水灣というところにあるんですけれども、その中に住んでいます。張徹とか、女優さんとか。台湾や中国出身の方が多いんです。台湾でスカウトされて、こっちに連れてくるので、そこで合宿というか。かなりきれいな住むところです。
- ◆いくつもスタジオがあるんですけど、オープンセットもたくさんあるんですね。昔の戦場や昔の街並みとか、あちこちに映画のセットがあります。よっぽど山の上だとか、海が見えなきゃいけないとか、そうじゃないと本当にショウ・ブラザーズの中で全部間に合っちゃうんですね。
- ◆3 shiftなんです、撮影が。朝のシフト、昼のシフト、そして夜中のシフト。全部10時間くらいやるんです。私は学校へ行ってたので、室内で撮れる場合はだいたい午後からのシフトで夜中まで。外は、私が学校終わるまでみんな待ってたの。ただ「エー」ってやるだけなんだけど。
- ◆そういうようにショウ・ブラザーズは、そのときは東南アジアも含めてものすごい大きかった。その敷地は香港テレヴィ、TVBのスタジオになりました。最近テレヴィがまた移動したんであれなんですが。そのときはいい遊び場だった。広くて、おもしろくて。でもお化け出るんだよ、いっぱい。夜になるとあちこちお化けが出る。怪我で死んだ人とか自殺した女優とか、いろいろいるんだよ。何でもあります。食堂もいくつもあるし。おもしろいところだった。今から考えたら懐かしいですね。
- ■観客4(日本語):陳依齡アイリーンさんと、お姉さんですね、共演されているんですけど、おもしろいエピソードとかありますか。
- ◆陳美齡:お姉さんと一緒に出ることができて、とても助かりました。初めてなので、右左もわからなかったのでね。ただ、観ててもわかるように、同じ場面がすごく少ないんですね。ただ「エー」ってやるときだけが一緒で、あとはほとんど違ってたんでね。でもやっぱり姉が一緒だったから、すごい心強かった。みんなから似てないとよく言われました。おもしろいエピソードですか。
- ◆観客4:撮影してて、何か励まされたとか、演技指導されたとか。
- ◆陳美齡:励まされたとか、美しい話はないですね。もちろん励ましてくれましたよ。洋服も姉がコーディネートしてくれたり、こういうふうに着るといいですよとか、選んでくれたり買ってくれたり。それもすごい助かったんです。でもセットに行くと、担当がいるんですよ。洋服の担当、メイクの担当というのが出てきて、メイクの担当はもうずっと一緒なんです。だからその人とずっといるという感じで。
- ◆観客4:お姉さんとは別々で。
- ◆陳美齡:別々のときが多かったです。だって一緒になんないですものね、場面が。共演したのはこれともうひとつ、2つだけ。台湾映画なんです。そうそう、“燕飛翔”。一緒に歌ったりとか、そっちのほうが楽しかったです。この映画は楽しい思い出、姉と一緒のはないです。もう姉もいっぱいいっぱい。
- ◆もうひとり姉がいて、3人で出たんですよ。3人揃うと笑うんだ。ものすごいまじめなシーンでも、3人が揃うとよく笑う。“燕飛翔”も、3人で出たときは、もう監督が上から下りてきて怒ったくらい、3人とも笑いっぱなし。怒られてもおかしいの。何してもおかしい年頃だったですよね。でもこの映画はさすがにふざけちゃいられません。張徹の前ではふざけられない。
- ■観客5(日本語):共演された姜大衛さん、狄龍さん、陳觀泰さんの撮影当時のエピソードとか、楽しいエピソードがあったら教えてください。またどういう方だったのか。
- ◆陳美齡:そのときの香港とかアジアの女の子たちから見れば、羨ましすぎる立場だったと思うんですね。本当に一番人気のある3人でしたから。
- ◆陳觀泰は、もう本当に映画の中のまま。喋りません。とても静か。とてもクール、硬派という感じですね。
- ◆狄龍は、背が高くて、ちょっとあるじゃないですか、自分がハンサムで、それもわかっているといったような。そういうようなところがあります。でもすごい誠実な人で、結婚してもずっと奥さんを大事にして、本当にいい人です。五郎、秀樹とひろみだったら五郎みたいな感じ。誠実で、一生懸命にという方ですね。
- ◆姜大衛は、今のキムタクみたいな感じですね。ちょっと不良っていう。でも姜大衛デヴィッドはものすごくアグネスのこと好きでした。恋人みたいなのじゃない。もうすでにそのとき恋人いたんで、残念ながらね。姜大衛はすごく遊んでくれた。よく遊びました。その次の映画も、姜大衛が指名してくれたんです。もう1回アグネスと、ちゃんとしたもうひとつの映画をやりたいと。今回の映画では恋愛できなかったから、ぜひ恋人役でやってもらいたいということで、もうひとつの映画が実現できたんですね。
- ◆何言えるかというと、鍛えられています。さっきも言っていたように、彼らはみんな俳優が先じゃないんです。彼らは武師なんです。私たちが言う武師ですね、要するにスタントマン。だから映画界に入った段階で、飛び回る、カンフーできる、何も怖くないって。そこから張徹が選ぶんです。だからまず実力があって、そして俳優になったんで、足がフラフラしていないんですね。ものすごい自信があって。
- ◆私はすごいラッキーだったと思います。彼らと一緒に仕事ができたこと。最初の映画でそういうふうに鍛えられたので、こんなに厳しい日本の芸能界でも耐えられたと思いますね。すごいいい仲間だった。今もみんないいおじさんだけどね。それでもみんなとても素敵だよ。今でも素敵ですよ。陳觀泰はどこにいるかわからないけど。
- ■観客6(日本語):お姉さんについてもう少し、初めて拝見したのでわからないのでご説明いただきたいのと、3人の男性の中で誰がタイプだったのか。
- ◆陳美齡:姉は私よりも先にスカウトされて、ショウ・ブラザーズの育てる学校みたいなのがあるんですけど、そこに入って卒業して女優になったんですね。私より先にデビューしています。ショウ・ブラザーズの中でもまだほかの作品もあり、たくさんテレヴィ・ドラマも出ていまして、日本との合作もあるんですね。井上梅次さんの作品にも出たりしてて[2]。…姉が美人らしいですね。
- ◆司会:妹さんから見て美人なんですか。
- ◆陳美齡:ふつうかな。姉は香港ですごく騒がれまして、ミスなんとかにも選ばれて。きれいだということで芸能界に入ったんですけれども、姉は女優業というのはそんなに好きじゃなかったんです。できればプロデューサーとかそういうことをやりたかったみたいで、最後に結婚前はちょっとプロデューサーもやったり、私のコンサートをプロデュースしたり、香港で自分の番組を持ったりしていました。でもやっぱりファンの気持ちの中では、女優さんというイメージがとても強いんです。姉は、仕事をしたいっていう人がいっぱいいるんです、裏方が。演技とか何とかかんとかというよりも、姉と一緒に仕事をしたいという方がすごく多くて、わりと恵まれた状況だったかなと思います。
- ◆どっちがタイプだった、ですか。さっきの話でそれはもうわかっていただいたと思います。やっぱり姜大衛デヴィッドかな。狄龍はハンサム過ぎて、そばを歩くと恥ずかしいような気がするんですね。ちょっと照れちゃう。陳觀泰は話ができない。姜大衛は本当におもしろい人でした。話もすごくおもしろいし。そのときはそんなに年離れてないんですが、すごくおじさんみたいに3人を見てたんです。すごい子供だというふうに扱われたんですね。それこそセットのペットみたいな感じに扱われたんですけれども、もう少しそのときから乙女心があったら、もっと付き合いたかったなぁという気持ちもある。でもやっぱり今のパートナーのほうが…。
- ■司会:最後にアグネスさんから、映画のキャリア1回目ですよね、これ。そうやっていろんなことがあって日本に来ました。歌って大ヒット、大スターになって、今すばらしいママで奥さんで、そして自然のこともちゃんと考え、動物たちを愛し、様々なことをいっぱいやって大学の先生までやろうという感じでしょう。ものすごいたくさんやりすぎ。こんな細い体のどこにエネルギーがあるんだろう。感動までしてしまうのですが、なんでそんなに欲張りなんですか。いい意味で。
- ◆陳美齡:気づいたら、いろんな役目を自分が背負ってしまったのかなぁと思って。性格的にひとつやり始めると、長く続くんですよね。だから長く続いているものがあるのに、次に来ると、「あ、これはすごく大事なことだ」と思ってやってしまうから、肩書きが重なってしまうのかなぁ。でもたぶん目指すところは同じなので、すべてやっていることも、同じ目標に向かっていると自分では思っているんですね。だからきっとこれからもさらに増える。でも本当にひとつひとつが大切な出会いなので。今日も本当に何かの縁でこんな私の30何年前のデビュー映画をみなさんに見せられてしまったという気持ちもあるんですけれど、ここがスタートだったんですね。日本に来る前の、私の本当のスタートだった。自分で観てとても感無量だったし、そのときの気持ちを忘れちゃいけないなと思った。今だとちょっとでも仕事があるとそれが当たり前と思ってはいけない。本当にそのスタートのとき、どんなに自分がドキドキしていて、どんなに自分が一生懸命やったかという気持ちを忘れたら、もうおしまいと思うんですね。だから今回、こうやって東京国際映画祭にこの映画が上映されるというのは、来年私大台に乗るんですけど…
- ◆司会:40ですか。
- ◆陳美齡:50です。大台に乗るんですけれども、神様が「怠けるな、初心に戻れ」と、その準備のために私はこの映画を観たのかなと思って、関係者の方にとても感謝しています。来年からまた違う私が生まれるといいなぁと思います。本当に一緒にこんな懐かしい映画を観ることができて、とても幸せです。ありがとうございました。
- [1]Burt Bacharach, Hal Davidによる“What the World Needs Now Is Love”。歌はJackie De Shannon。
- [2]“我愛金龜婿”(1971)、“王女嬉春”(1972)に出演している。いずれもショウ・ブラザーズの作品で、日本との合作ではないようだが。
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映画人は語る
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2004年10月25日
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ドゥ・マゴで逢いましょう2004
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