第11回東京国際映画祭


ティーチイン

『Don(ダン)』


参加者(敬称略)

ゲスト●Abolfazl Jalili(監督)
司会●市山尚三
通訳●Shohreh Golparian(ペルシャ語-日本語)、?(英語通訳3)(日本語-英語)


■司会(日本語):まず観客の皆さんに挨拶を。
◆Abolfazl Jalili(ペルシャ語):来てくれてありがとう、特にイラン人の方、ありがとう。3巻目と4巻目が入れ替わってしまって申し訳ない。イランでも一度こういうことがあったが、その時はイランだから仕方がないと思った。日本のようにテクノロジーの発達している国でもこういうことがあるとは驚きである。

■観客1(日本語):質問ではなく、サインをいただきたい。
◆Abolfazl Jalili:この回が終わった後、市山さんが先日のように自分を裏から脱出させなければできると思う。この劇場の裏にはあるエレヴェータがあって、それに乗ると15分間も上がったり下がったりして、やっと外に出られる。
◆司会(日本語):(嫌そうに)映画の話に戻したいと思う。

■観客2(日本語):イランのことをよく知らないが、こういう子供たちはどのくらいいるのか。また少年院に入った子供たちは、将来どのようになることが多いのか。
◆Abolfazl Jalili:映画はイランの話だが、テーマは一般的なものとして捉えてほしい。現在、世界中の若者たちがアイデンティティを喪失している。映画に出てくるような戸籍がない子供というのは、イランではごく少数である。
◆あるセンターで、この映画のような家族を持った子供たちの面倒をみている。(筆者註:映画の字幕では「少年院」となっているが、実際には少年院ではなくてそのセンターを指している、ということだと思われる。)

■観客3(質問1)(日本語):映画のところどころで、少年がインタビューを受けているような声が入っている。例えば、夜タイプライターの会社に泊まっているシーンなどである。これはドキュメンタリータッチを出そうとしているのだと思うが、その意図は何か。
◆Abolfazl Jalili:ちゃんと説明しようとすると長くなってしまう。インタビューのシーンは、ドキュメンタリーとフィクションの境界を越えて真実に近づこうと努力した結果である。
◆少年がもうひとりの自分と話しているような感じを出したかった。これらのシーンは、私がカメラの後ろにいて質問をしている。例えば、「このIDは誰のか」と質問すると、最初は「自分のだ」という嘘の答えが返ってくるが、「私は監督だ」と言うと、「Farzanehの弟のIDで…」と本当のことを言う。「どうして嘘をつくのか」と聞くと、「そうしないと仕事が手に入らないから」と答える。彼は本当は嘘をつきたくないが、仕事を手に入れるためにはやむを得ず嘘をつかなければならないという感じを出したいと思った。
◆ここで3つの疑問が浮かぶ。映画は現実なのか。インタビューの状況は現実なのか。嘘をつかない彼は現実なのか。その答えはわからない。

■観客3(質問2):最後にFarhadが笑っているのはどうしてか。
◆Abolfazl Jalili:映画をどのように終わらせるかはかなり悩んだ。Farhadがセンターに連れ戻されるところで終わるのだが、どう撮ろうか悩んでいてふと彼を見ると、彼はひとりで遊びながら笑っていて、とても楽しそうだった。自分たちは彼のIDのためにいろいろと苦労しているのに、彼自身は非常にしっかりしていて、自分自身を信じている。だからIDなんてそんなに重要ではないのだと思った。そこでそのときの彼の楽しそうな顔で映画を終わらせることに決めた。

■観客4(質問1)(日本語):イラン映画をかなり観ているが、イラン映画の特徴として、ほとんど音楽がないことが挙げられる。これはどうしてか。
◆Abolfazl Jalili:最初の作品を撮ったとき、映画音楽をつけようと思い、音楽家を呼んで映画を見せた。するとまだちょっとしか観ていないのに、「これは素晴らしい。傑作だ。ぜひ自分に音楽を作らせてほしい。タダでもやってあげる」などと言うので、断った。何人かに見せたが、みんな同じだった。彼らは映画を観ておらず、自分が仕事を得たいだけだということがわかり、がっかりした。
◆結局その映画には音楽をつけたのだが、その後の作品には音楽をつけるのをやめた。自分の映画に合った音楽家を見つけていないということもあるのだが、自分はこのように考える。我々の実生活では、オーケストラは一緒に歩いてくれない。オーケストラがついてきて、楽しいときには楽しい音楽を、悲しいときには悲しい音楽を演奏してくれるわけではない。だったら映画でも音楽なんかやめてしまおうと思った。

■観客4(質問2):『キャプテン翼』のアニメが使われているが、これは監督の趣味か。
◆Abolfazl Jalili:今日は11時からずっと取材を受けてきて、そのことはもう20回くらい聞かれた。日本のアニメはイランでは人気が高く、小さな子供から100歳の老人まで皆じっと座って見ている。特に『キャプテン翼』は人気が高い。あまりに多く日本のアニメが放送されるので、イラン人が自分のアイデンティティを喪失して日本人になってしまうのではないかという文句が出た。そこでテレビ局は、登場人物の名前をペルシャ語の名前に変えて放送している。
◆このシーンは、アニメの内容や台詞を考慮して使っている。アニメの画面が挿入される前のシーンはFarhadのクローズアップで、仕事が見つからなくて悲しい顔をしているところである。こういう年頃の子供は、本来ならアニメを見たりサッカーをしたり(挿入される場面はサッカーのシーン)するべきなのにという意図で使った。また、この次のシーンは、Farzanehが学校を続けたいのに働かなければならないので悩んでいるシーンである。アニメの台詞は、「これがラストチャンスだ、ここで頑張らなければ」というようなもので、これは彼女の気持ちを表している。アニメのヴィジュアルは前のシーンの少年、台詞は後のシーンの少女に向けたものである。

■観客5(日本語):映画の筋がよくわからなかった。第3巻と第4巻はどの部分に相当して、全体の筋はどうなのかが知りたい。また、再上映はされないのか。
◆司会(日本語):今回の映画祭ではもうスペースがないので、再上映はない。しかし、この映画はすでに配給が決まっている。ビターズエンドの配給で来年公開される予定。
◆Abolfazl Jalili:イランでも同じようなことがあり、そのときは怒って家まで10キロの道のりを走って帰った。今夜はどうしようか、イランまで走ろうかな。
◆自分の映画の上映は今晩が最後なので、市山さんと関係者の皆さんにお礼を申し上げたい。日本人の感覚は素晴らしい。映画をよく観てよく理解しているし、優しくて心を開いてくれる。チャンスがあればまた日本に来て、自分の映画を観てもらいたい。

映画人は語る1998年11月5日ドゥ・マゴで逢いましょう'98
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作成日:1998年11月6日(金)
更新日:2004年12月11日(土)