第11回東京国際映画祭


ティーチイン

『故郷の春』


参加者(敬称略)

ゲスト●李光模(Lee Kwangmo)(監督)、安聖基(主演)
司会●?
通訳●?(韓国語-日本語)、?(英語通訳2)(日本語-英語)


■観客1(日本語):原題の意味は『美しい季節』で、皮肉な意味合いが感じられるが、どういう意図でつけたのか。
◆李光模(韓国語):韓国語タイトルは『美しい季節』、英語タイトルは“Spring in My Hometown”で、それぞれ別のニュアンスでつけた。
◆まず韓国語タイトルについて。この話は50年代が舞台であり、父や祖父の世代の生きざまを観察して、そこから感じたものを表現した。撮影しながら、父や祖父の世代が持っていた人間的な深みを、我々の世代は持っていないと感じた。父や祖父は、辛い苦難の時代、現代韓国史で最も苦悩の時代を生きたが、その中でも人間的な深みを持ち続けていたと思う。父が生きてきたこのような時代は、コンクリートの中で悲惨な時代を生きている我々よりは美しいと考え、このタイトルをつけた。しかし、アイロニーも含まれていると思う。
◆英語タイトルは、映画の冒頭で子供たちが学校で唄っている童謡の題名の英訳である。この唄は、大人になって故郷に帰れない郷愁を唄ったものである。現在の南北分断の状況と併せて考えると、この唄は韓国のリアリティを伝えるものであると考え、英語タイトルにした。

■観客2(日本語)ロングショット、長回しが多用されているが、その狙いは何か。
◆映画の作り方には3つの方法があると考えている。一つめは、映画の内容を検証しながら撮る方法、二つめはストーリーを語る方法で、登場人物の性格などを伝えようとするもの、三つめはイメージで撮る方法で、タルコフスキーなどがこれに当たる。自分は、この3つの方法をある程度取り入れながらも、独創的なスタイルにしたいと考えた。この物語は、自分は生きていない父の世代を眺めたものなので、現在進行形ではないし、回想でもない。喩えていえば、父が昔書いていた日記を読み、その時代の風景を想像しながら自分の視点から再現するというようなものである。したがって、上の3つのスタイルとは異なるものになっている。

■観客3(韓国語):韓国から来た。映像が素晴らしく、郷愁が感じられたが、疑問に残ることがある。自分は南北分断の現実を知りたくて観に来た。分断の悲劇を期待したが、映画はソンミンのお父さんに焦点が当てられている。自分の娘を米軍の軍人に近づけたり、売春の手引きをしたり、手段を選ばずに富を得るお父さんが映画の中心になっている。彼の卑劣な姿を通して語りたかったものは何か。
◆歴史を眺めるのには2つの方法があると思う。巨視的な視点と微視的な視点である。イデオロギーを見るのには、巨視的な背景だけでは足りない。自分がこの映画で描きたかったのは、個人の生き方である。個人の生き方を顕微鏡で見るように観察することにより、歴史も見えると思った。一方、ところどころ、黒いバックで歴史の事実を字幕で記述しているが、ここにはマクロな視点がある。自分の今の年齢で当時を見た場合、どうしても、抽象的、観念的になってしまうので、歴史を両方の角度から見るようにした。
◆ソンミンのお父さんとソンミンの関係はぎくしゃくしているが、この関係は生を形成する上で重要なモチーフになっている。韓国の50年代という過酷な時代のアメリカと韓国の関係を描く上でも重要である。当時は、生きるために、自分の体や自尊心を犠牲にしてしまうことがあった。ソンミンは最初は父親を尊敬しており、父親が自慢だったが、彼がだんだん堕落していくのを見て嫌悪感を抱き、軽蔑するようになる。生において嫌悪感や軽蔑をどうやって受け入れていくのかを理解するのに、ふたりの関係は重要なモチーフになっていると思う。

■司会(日本語):安聖基さんが到着したので、挨拶を。
◆安聖基(韓国語):マスコミの報道などでご存じだと思うが、韓国と日本の間の映画交流が始まっている。今回来日が遅れてしまったのは、ヴィザが切れていたためである。この機会に、ノーヴィザでの行き来ができるようにしてほしいと思う。
◆1994年だったと思うが(筆者註:1992年だと思われる)、『ホワイト・バッジ(韓国語タイトル:白い戦争)』という映画を上映していただいた。その時には自分も一緒に観て、非常に興奮した。その時の気持ちは今も心に残っている。今回も一緒に観られたらいいと思いながら会場に向かったが、残念ながら間に合わなかった。

映画人は語る1998年11月5日ドゥ・マゴで逢いましょう'98
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作成日:1998年11月6日(金)
更新日:2004年12月11日(土)