第11回東京国際映画祭


ティーチイン

『スパイシー・ラブ・スープ』


参加者(敬称略)

ゲスト●張楊(監督)、Peter Loehr (プロデューサー)
司会●?
通訳●錢行(北京語-日本語)、司会者(日本語-英語)


■観客1(日本語):映画の中で何度も「縁」という言葉が使われているが、監督は縁が大切という考えを持っているのか。
◆張楊(北京語):その傾向はあると思う。この映画は、幾つかの異なる年齢層のラブストーリーだが、どの年齢層にとっても縁は大事である。例えば離婚を決めたカップルには、結ばれたときの縁を思い出してほしいと思う。

■観客2(日本語):この映画には特定の主人公はいなくて、結婚しようとしている一組のカップルが、登場するカップルと次々に接触することによって、ひとつのラインを形成している。このような構成にした理由は何か。
◆張楊:構成については最初から決めていたわけではないが、いろいろ考えて最終的にこのようになった。5つの物語をばらばらにすると観客が混乱するので、これらの物語をひとつのラインとしてつなぐカップルが必要だと考えた。また、登場するどのカップルも結婚という問題から逃れることはできないので、結婚が映画全体にとって大きなポイントであるということも、結婚しようとしているカップルを使った理由である。

■司会(日本語):脚本は2人で書いたのか。
◆張楊:まず2人で構成を考えて、それから一緒に脚本を書く人を探した。

■観客3(日本語):日本でもアメリカでも、結婚に対する魅力は薄れつつあり、結婚しないカップルも増えている。こういう映画を作るということは、中国ではまだ結婚に対する魅力は薄れていないのか。
◆張楊:中国社会は今大きな変革期であり、結婚に対する意識も変わりつつある。例えば10年前の考え方は、今よりずっと保守的だった。しかし、今でも多くの人が、結婚は社会の中で重要な役割を果たしていると考えている。一方、政府やマスコミは取り上げることを意識的に避けているようだが、離婚率が高まっており、大きな社会問題となっている。すでに発展をとげた西洋諸国では、結婚に対する考えが定着しているように見えるが、中国はまだ発展途上にあり、結婚に対する考え方も途上にあると思う。
◆Peter Loehr(日本語):この映画は普通の人の映画であり、お金持ちも貧乏人も出てこない。出てくるのはミドルクラスの人で、ミドルクラスというのはあまり特徴がない。映画が完成して配給会社に見せたところ、あまり面白くないと言われた。なぜなら、お金持ちも出てこないし、カンフーも出てこないし、スリラーでもないからである。しかし、実際に公開してみたら、ものすごく成功した。それはこの映画が普通の人の話だからだと思う。お金をかけた映画ならハリウッドで撮ればいいし、カンフーなら香港の方がいい。今の中国で何を撮るのかを考えたら、普通の人の映画だと思った。

■観客4(質問1)(日本語):監督は観客と一緒に観るのが好きとおっしゃったが、今日の我々の反応は、中国や他の国と比べてどうか。
◆張楊:中国語のギャグをたくさん入れているので、翻訳ではわからないのではないかと心配していたが、日本でも中国とほとんど反応が変わらなくてよかった。

■観客4(質問2):一番お気に入りのエピソードはどれか。
◆張楊:おもちゃの話が一番好き。このエピソードは、脚本も自分で書いたし、ロケも自分の家でやった。ふたりの俳優の素晴らしい演技とユーモアのセンスにも満足している。このエピソードを観て、日常生活に対して明るい気持ちになってもらえれたらいいと思う。
◆Peter Loehr:この質問に答えるのは難しい。中国は大きな国で、場所によって、言葉も料理も生活のペースも違い、この映画で好まれるエピソードも違っている。例えば、北京では離婚の話、上海ではおもちゃの話、四川では高校生の話が好まれたようだ。自分自身は、おばあちゃんの話が一番気に入っている。監督と同様に、自分が脚本に参加したエピソードである。

■観客5(日本語):中国映画は、陳凱歌や張藝謀に代表されるように、現代と離れた話が多いが、これは現代の話だということで観に来た。中国で映画を撮るときの一番の問題は何か。また、中国でどのようにして映画を勉強したか。
◆張楊:どの国でも同じだが、若い監督やこれから映画を撮ろうとする監督の卵にとっての大きな問題は予算である。スポンサーを見つけるのに非常に手間がかかり、労力も要る。この映画は何年も前から企画していたが、スポンサーが見つからなかった。今の中国では、映画に投資しようという人は非常に少ない。大監督の場合は、海外のスポンサーから資金を調達していることが多い。自分の場合は、Peter Loehrと出会ったことにより、この映画を作ることができた。運よく、彼にはお金はあったが、ストーリーは決まっていなかった。出会ってすぐに意気投合して、この映画を撮ることになった。、
◆張楊:演劇の大学に行ったが、勉強はそんなにできなかった。大学のシステムが、50年代、60年代の旧ソ連の伝統的な教育方法であり、学校で教わったことをそのまま現場で生かすのは難しい。しかし、同じクラスの仲間と一緒に映画を観たり、演劇を上演したり、ディスカッションしたりしたのがよかったと思う。彼らとの交流は現在も続いている。
◆Peter Loehr:映画を撮る上での問題は、お金が全然ないことである。この映画も非常に低予算で、出てくる部屋は全て友人のアパートである。洋服も自前で、俳優に「明日は白いシャツを着てほしいんだけど、ありますか?」などと言って持ってきてもらった。
◆Peter Loehr:自分は、中国の若いファンのための映画を作る。若い人たちは、もう時代劇は観たくないと思っているし、田舎で苦労して苦労して苦労する話も観たくない。彼らが興味をもっているのは、都会の若い人の生活である。しかし、このような映画は普通っぽくて中国っぽくないので、外国での配給は難しいかもしれない。でも今日はたくさんの人が観に来てくれて非常に嬉しい。

映画人は語る1998年11月5日ドゥ・マゴで逢いましょう'98
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作成日:1998年11月6日(金)
更新日:2004年12月11日(土)