第11回東京国際映画祭


ティーチイン

『戦争の後の美しい夕べ』


参加者(敬称略)

ゲスト●Rithy Panh(監督)
司会●市山尚三
通訳●?(フランス語-日本語)、?(英語通訳3)(日本語-英語)


■観客1(日本語):Savannahが最後に相棒のMalyに撃たれたのはなぜか。
◆Rithy Panh(フランス語):自分が長い時間をかけて把握した当時のカンボジアの状況を、このシーンで表現した。この時代は、内戦が終わった直後で社会が非常に混乱しており、家族や友人であっても殺さなければならないと思ってしまうようなことがあった。あの場面でMalyが友人のSavannahを撃ったのは、警察が来て追いつめられた一瞬の間に彼がいろいろと考えた結果である。自分の不安を消すためだったのかもしれないし、逮捕された後、自分が有利になるようにと考えた結果かもしれない。彼が警官になり、警部にまでのしあがったという後日談からもそのことはうかがえる。
◆私たちにとって重要なのは、なぜカンボジアがそのような状況になってしまったかを考えることである。

■観客2(日本語):Srey Poeuvのお母さんは足を鎖で繋がれていたが、あの鎖は何か。
◆Rithy Panh:Srey Poeuvは地方ですれ違った女性をモデルをしている。地方の女性は田んぼを耕してやっと生活しており、非常に貧しい。そのような状況では、精神的にも不安定になりやすい。前作の『米に生きる人々』に出てくるお母さんは、そのように精神的に不安定になってしまうのだが、Srey Poeuvのお母さんはそれを引き継いだ女性像である。

■観客3(日本語):カンボジアで援助をしている人たちの話によると、ポルポト後にカンボジアの伝統的な小乗仏教が復活したが、小乗仏教は、運命を消極的に受け入れるという諦念的な考え方であり、それが現在のカンボジア人に影響を与えているということである。一般のカンボジア人の考え方は実際にそうなのか。またそれに対して監督はどう考えるか。
◆Rithy Panh:確かにそういった部分もあるかもしれないが、今のカンボジアの人たちは、運命と戦っていくという積極的な気持ちが強いと思う。戦争中に生まれた若い人は特にそうである。30年間にわたる内戦では、多くの人が殺されただけではなく、モラルや人間に対する信頼といったものまで抹殺されてしまった。自分は政治的な仕事をしよう思っているのではなく、今のカンボジアの状況を映画の中で表現したい。映画を見た人がなんらかのアクトを起こせればよりよいと思う。

■観客4(質問1)(英語):監督のバックグラウンドをよく知らないが、フランスに長くお住まいのようだ。フランスでの経験は映画作りにどういう影響を与えているか。
◆Rithy Panh:フランスにはそれほど長く住んでいるわけではなく、また現在はフランスとカンボジア半々で生活している。フランスでの生活は、自分の国と距離を置いたことで自分にとってプラスになっている。
◆フランスは非常に希有な国である。というのは、自分が映画の仕事をするのに、アメリカもカンボジアも金銭的なサポートをしてくれなかったが、フランスのプロデューサーが唯一関心を示し、サポートしてくれた。カンボジアの人々に語るための映画を作るのに援助をしてくれるフランスは、本当に珍しい国だと思う。
◆この10年映画人として努力してきて、カンボジアについての映画をカンボジアで撮影できたことはとても嬉しい。しかし、次回作はフランスで撮る予定である。フランスは2番目に大切な国だし、カンボジアから出て別の現実と対峙することも自分にとって重要だと考えている。

■観客4(質問2):カンボジアの映画業界の現状を教えてほしい。
◆Rithy Panh:8年前にアトリエを設立して、若い映画人を育成している。ここで10人の若い監督が育ち、現在記録映画を中心に活躍している。今回の映画祭でも、ビデオ・プログラムで『平和の行進(An Army of Peace)』という作品が上映されており、この状況には大変満足している。
◆若い人を育成することが重要なのは、30年の間に破壊されたカンボジアの文化や記憶を取り戻さなければならないからである。すべてがなくなったところに、新しい私たちの文化を作る必要がある。これまでにも映画は作られていたが、それらは人々に語りかける映画ではなかった。人々に語らせる映画を作ることが、カンボジアの民主化にとって重要である。なぜなら、民主化というのは人々が語ることだと思うからだ。
◆長い間、カンボジアの映画は現実からかけ離れたものが主流で、ヴィデオもインド映画などが多かった。社会の現実、ドキュメンタリー的なものを映画に盛り込んでいきたい。この映画でも、今のカンボジアの現実をそのまま反映させようとした。NGOや国連の代弁ではなく、今のカンボジアをそのまま取り入れるということを重視しながら映画を作っていこうと思っている。

映画人は語る1998年11月3日ドゥ・マゴで逢いましょう'98
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作成日:1998年11月4日(水)
更新日:2004年12月11日(土)