ドゥ・マゴで逢いましょう'98


1998年11月1日(日)

11月1日日曜日。くもり。

りんご/La Pomme/Sib/The Apple

今日の1本目、映画祭通算2本目は、Samira Makhmalbaf監督の長編第1作『りんご』。コンペティション部門で、会場は渋谷ジョイシネマ。コンペのメイン会場はオーチャードホールで、渋谷ジョイシネマは小さい方の会場である。この回は、舞台挨拶、ティーチインはなし。

■映画について

定職を持たない父親と盲目の母親の間に生まれた双子の少女たちが、生まれてから12年間、ずっと家に閉じ込められていたという実話をもとに撮られた作品。Samira Makhmalbaf監督はMohsen Makhmalbaf監督の娘で、まだ18歳だということだ。Mohsen Makhmalbafが脚本と編集を担当している。

ソーシャル・ワーカーが彼女たちを助けようとし、その結果外に出ることができた彼女たちが外界と接触していく様子が描かれている。主演の少女たちやその家族をはじめ、出演者のほとんどがこの実話の当事者と思われるが、ドキュメンタリーではないようだ。どのようにして撮ったのか知りたいので、ティーチインがなくて残念。

「子供を主人公にした、フィクションとドキュメンタリーの境界にある映画」というのは、「またか」と思わないでもない、イラン映画の定番である。しかし、この映画では、Abbas Kiarostami監督やJafar Panahi監督の映画にみられる子供らしい愚かさや、Abolfazl Jalili監督の映画にみられるような痛々しさとはまた違った子供像が描かれている。この映画には、女性に犠牲を強いるイスラム的な世界観や、貧富の差、福祉の遅れなど、現在のイラン社会が抱えていると思われる様々な問題が見え隠れしている。しかし、全体的なトーンを支配しているのは、そのような暗い点よりもむしろ、家の外の世界に初めて触れる少女たちの驚きや喜びの瑞々しさである。通りやお店や公園といった物理的な外界と、社会という目に見えない外界を同時に体験することになる彼女たちは、新しいものを見たり、触れたりするだけでなく、否応なしに他人とコミュニケーションしていくことになる。それらを通じて世界を認識し、学んでいく彼女たちの生き生きとした眼差しは、外の陽射しの明るさともあいまって、瑞々しい幸福感を観る者に与えている。

双子の少女以外の子供たちもなかなかいい味を出していて、「イランのイサムちゃん」も登場する。

がんばっていきまっしょい

次の映画が午後7時からなので、あいた時間を利用して、磯村一路監督の『がんばっていきまっしょい』を観に新宿へ行く。松山を舞台に、女子ボート部を作った高校生の青春映画である。

瑞々しくて透明感のある、なかなかいい映画だった。特に主人公を演じた田中麗奈の魅力が際立っている。青春映画だが、感傷的になりすぎず、少女たちががんばる姿も淡々と描かれているのがよい。松山の町も印象的に映されていて、最近の日本映画には珍しく、ロケ地めぐりしたくなる映画だ。

超級公民/Connection by Fate

『超級公民』舞台挨拶
今日の映画祭2本目は、萬仁監督の新作『超級公民』。やはりコンペティション部門で、場所も同じ渋谷ジョイシネマ。関係者席に、映画評論家の四方田犬彦氏と宇田川幸洋氏を発見。

舞台挨拶は、萬仁監督、主演の蔡振南さん、プロデューサーの范健祐さんの3人。萬仁監督の挨拶は、「内容に関してはティーチインで話す機会があるので、まずは映画を観て下さい」という簡単なものだった。これはなかなか当を得ていていい挨拶だと思う。蔡振南さんは『多桑-父さん』の頃に比べてかなり老けたという印象である。范健祐さんの「夕食の時間を犠牲にして来ていただいてありがとう」という挨拶が、いかにも中国人らしく面白かった。しかし私たちは、『アジアンビート』でしっかり夕食を食べてきたのだ。

■映画について

かつて政治運動家だったタクシー運転手、阿徳(蔡振南)は、ある夜殺人を犯した青年、馬勒(張震嶽)を乗せる。幼い息子の死をきっかけに、政治運動の理想を失った彼は、「死」にとらわれ、死ぬ意義のようなものを探している。死んでいった息子やかつての同志に会いたいと願う彼の気持ちと、パイワン族である馬勒の死後の世界観とが共鳴したのか、阿徳の前に死刑になった馬勒の幽霊がしばしば現れ、行動を共にするようになる。この世とあの世の境界を越えたロードムーヴィーともいえる映画だ。

民主化が進み、相対的にはよくなっているが、まだまだ理想の社会とはほど遠い。そんな現在の台湾社会の中で、これまで民主化に貢献してきたはずの人たちが、自分の居場所を見つけられず、理想を失っていく。運動の犠牲になった人たちの死は、果たして報いられたのかという疑問。前作もそうだったが、最近の萬仁監督の映画の根底には、そういう想いがあるのだと思う。これはTheo Angelopoulos監督の映画などからも感じることであるが。

萬仁監督の前作『超級大国民』は、3年前の東京国際映画祭で、やはりコンペティションで観ている。50年代の白色テロで投獄されていた主人公が、処刑された仲間の墓を探すというもので、かなりの傑作になりそうなストーリーながら、ちょっと期待外れの出来だった。役者に魅力がないのと、撮影がよくないせいだろうと思ったが、今回は両方ともずっとよくなっていた。特に暗めのトーンの撮影は非常によくて、頻繁に出てくる雨のシーンなど素晴らしかった。出演者も、主演のふたりを演じているのがプロの俳優ではなく、有名なミュージシャンである蔡振南と張震嶽だというのも成功だったと思う。

ティーチイン

(概要はここ↑をクリック)

ティーチインはふつう椅子があるものだが、この会場では用意されておらず、1時間近くも立ちっぱなしで気の毒だった。萬仁監督は非常に精力的な人で、質問をふくらませながら多くのことを語ってくれたので、かなり中身の濃いティーチインになった。蔡振南さんの話ももう少し聞けたらよかったと思う。

☆☆☆☆☆

今日は、タイプの異なる(客層の違う)映画を3本観たが、どれも見ごたえがあり、かなり充実した一日だった。


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作成日:1998年11月4日(水)
更新日:2004年12月11日(土)