ドゥ・マゴで逢いましょう2003

2003年11月1日(土)


11月1日、土曜日。くもり。

さらば、龍門客棧 ◇ 不散 ◇ Good Bye, Dragon Inn

映画祭初日である今日の鑑賞予定は3本で、会場はすべてシアターコクーンである。1本目は、蔡明亮の新作『さらば、龍門客棧』。アジアの風部門のオープニング作品である。

休館が決まった映画館の最後の上映時間を、超豪華キャストで描いたもの。最後にかかっている映画は、胡金銓監督の『龍門客棧』1。蔡明亮監督の最も好きな武侠映画であると同時に、映画が娯楽の中心だった頃を象徴する映画でもある。その映画がかかっているのが古びた映画館で、観客はごく僅かしかいない。これだけで、映画の黄金時代からこれまでに流れた長い年月と、現在の台湾で映画が置かれている状況がひと目でわかる。私たちが観ているのはある一回の上映だが、その背後には、「かつて『龍門客棧』が上映された時」があり、様々な映画が上映された時の堆積がある。この映画を観ている私たちは、そのような多くの時間の記憶を共有する。

一方、監督にその意図があったのかどうかはわからないが、『龍門客棧』は、「これぞ武侠映画」という武侠映画の代名詞であり、これを見せることは、若い観客や外国人に対してそのすごさを示す意味がある。武侠映画は『龍門客棧』と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明』と『楽園の瑕』に尽きると思っている私は、胡金銓も『龍門客棧』も知らずに『グリーン・デスティニー』や『HERO』に大騒ぎしている人たちにちょっと辟易している。ここで『龍門客棧』を出してくれて、うちもう胸スウッとしたわ。胸すかし飲んだみたいや。

映画の中で『龍門客棧』が上映され、私たちはそれを観ている人を見るのだが、なかでも感動的なショットがふたつある。ひとつは、石雋を観ている石雋のショットだ。概してお行儀の悪い観客の中で、彼は微動だにしない。スクリーン上では若い石雋が躍動し、キャメラは年老いた石雋を遠慮がちに映し出す。泣ける。もうひとつは、上官靈鳳を凝視する陳湘琪のショットだ。このときの彼女の美しさはどうか。足の悪い女性従業員を演じる彼女は、その美貌を全く前面に出さない役柄であるだけに、その美しさはいっそう際立つ。

蔡明亮映画で常に主人公を演じてきた李康生は、今回も主演ということになっており、一番最初にクレジットされている。しかし、彼が姿を現すのは、『龍門客棧』の上映が終わったあとで、果たして主演なのかという疑問が浮かぶ。しかし、彼が『龍門客棧』を上映する映写技師であること、そのことは彼が登場するずっと前から予測され、その不在によってかえって動かしがたい存在感を示していることを考えると、やはり彼は主演なのだと思う。

古びた映画館の雰囲気は、映像と音とで非常にリアルに捉えられている。その空気が、単に感じられるというだけではない。自分がそこにいるとしか思えない、ものすごくリアルな臨場感。キャメラは、蔡明亮作品のほとんどを担当してきた廖本榕である。前作『ふたつの時、ふたりの時間』のBenoit Delhommeのキャメラは、透明感があってクールで、それ自体は悪くはないのだけれど、蔡明亮映画としては違和感があった。今回は、『龍門客棧』の最初のクレジットが流れたあとの、雨の降る、古びた映画館の入口を映したショットから、もう蔡明亮ワールド全開である。映画館は前作と同じところだと思われるが、その長い廊下のたたずまいも、前作とは全く違うように感じられる。

日常の音がリアルに捉えられているのはいつものことだが、今回はさらに磨きがかかっている。全体を通して、ほとんどいつも3種類の音が聞こえている。外の雨の音、『龍門客棧』の中の音、そして登場人物がたてる音だ。登場人物がたてる音は、雨や映画の音の中でも聞こえるように、少し誇張されているが、それが効果を上げている。客席では、映画の音が大音量で響いているにもかかわらず、ものを食べる音や出入りする音がかなりうるさく響く。一方、上映中の切符売り場はしーんとしていて、カップを置くかすかな音も、びっくりするほど響く。これらが身におぼえのある体験を鮮やかに想起させ、いかにも「あるあるある」という感じなのだ。

最後の上映であることは、最後になって初めて明らかにされる(閉館ではなく「しばらく休館」であること、次週上映のポスターまで貼ってあることから、この休館にSARSの影を見たのだが、それは深読みしすぎだろうか?)。“不散”というタイトルとは裏腹に、観客は去り、映画館は休館し、二人の従業員は言葉さえ交わさずに別れていく。桃饅頭を見つけた李康生が陳湘琪を追いかけ、ものかげから見守っていた陳湘[王其]がひそかに去っていくラストもいい。誰もいなくなった映画館をロングで捉えたラスト・ショット。陳湘[王其]が去って人気のなくなった街角。滝のように降る雨。この長い不在のショットは、こぎたない風景であるにもかかわらず、とてつもなく美しい。古い映画館が休館してしまうことも、人々が映画を観なくなったことも、李康生と陳湘琪が二度と会えないかもしれないことも、とても切なくやるせないけれど、それでもなぜか心暖まるラストシーンである。

上映後は、蔡明亮監督、主演の李康生、プロデューサーの梁宏志をゲストに、ティーチ・インが行われた。途中から三田村恭伸も登場。まだ配給が決まっていないらしいが、ぜひとも公開してほしい映画である。ユーロスペースさん、よろしくお願いします。

今年から、「一般のお客様の写真撮影は禁止」だそうだが、そういうことを言うからには理由を明らかにしてほしい。司会は昨年と同じく伊藤さとりという人で、この人は「映画パーソナリティ」なんだそうだ(なんだそれ?)。そんなけったいなものを呼んで来ずに、ディレクターの暉峻さんが司会をするべきだと思う(市山さんの頃はやっていたので後退である)。英語通訳の松下さんは、日本人の名前も姓、名の順で言っていて好感がもてた。

ティーチ・イン詳細

◇◇◇

今年は「レッド・カーペット」なるものがあり、そのために文化村の入口から外に出られなくなっていて迷惑はなはだしい。お祭り気分を盛り上げるにはいいのかもしれないが、そもそもこんな渋谷の真ん中でやることなのか。映画を観る人はレッド・カーペットを見られないというのも変な話である(「映画はどうでもよくてスターが見たい人は、チケットは買わないでこっちに来てね」ということならいいかも)。時間がないので、近くのタイ料理屋で昼食を食べる。

不見 ◇ 不見 ◇ The Missing

2本目は、やはりアジアの風部門の台湾映画『不見』。李康生の監督第一作である。期待半分、不安半分という感じだ。初監督だということもあるし、蔡明亮の影響が強すぎるのではないかというおそれもある。

映画は、公園で孫とはぐれたおばあさんと、おじいさんがいなくなった少年の一日を描いたもの。ファースト・ショットは金魚鉢ごしに見た応接間。蔡明亮映画に出てきたような部屋だなぁと思っていると、そこに入ってくるのは苗天である。私はちょっと不安になる。少し話が進むと、公園のトイレが出てくる。そのトイレに入っているのは陸奕静だ。私はまたも不安になる。想定も蔡明亮っぽい。『さらば、龍門客棧』がいつもの「小康もの」とは異なっていた一方、こちらのほうが『ふたつの時、ふたりの時間』の続編っぽい。陸奕静は夫を亡くしているし、息子の名前は李康生だ。もっともその息子は姿を見せず、死んだ苗天は別の家のおじいさんになっていて、その孫が小康の分身ともいえる存在である。蔡明亮映画の小康一家がふたつに分かれたような感じだ。『ふたつの時、ふたりの時間』で小康を追いかけていた太った青年まで出てくる。

しかし結局のところ、全体としてはそんなに蔡明亮的とは感じなかった。それはおそらく、蔡明亮に比べて、キャメラが対象に寄り添っている感じがするからだと思う。特に公園で孫を探すシーンで、パンしながら陸奕静を追うところは、ドキュメンタリー・タッチでありながら、キャメラの陸奕静への密着度、同化度が高く、焦燥感が直接こちらに伝わってくる。登場人物の描き方がより直接的であると思う。『さらば、龍門客棧』と同じスタッフだが、空気の感じも蔡明亮映画とは違っていた。

SARSの影は、『さらば、龍門客棧』よりも色濃い。ラストに忽然と現れる苗天と陸奕静の孫は、それまで『龍門客棧』を観に行っていたんですよね?

李康生監督と、製作の蔡明亮、梁宏志をゲストにティーチ・イン。この映画がコンペティションの審査で落選したことについて、蔡明亮が怒り、映画祭の商業主義を批判していた2。もう少し理由を明らかにしてほしかったが、完成作で落とされたのならここまでは言わないと思うので、書類選考で落とされて、その理由に商業性が絡んでいたと推測する。数年前に、コンペティションとヤングシネマが一本化されたが、名前はコンペティションになっても、その内容はヤングシネマのものが引き継がれた。ところが今年は、応募資格から年齢やこれまでの監督本数の制限が消えている。このことは、私も今年のコンペのラインナップを見たときから気になっていたことだ。ヤングシネマに比べてコンペティションの質が低いというのが一本化の理由だと思っていたのだが、無名の監督ばかりでは客が入らないということなのだろうか。蔡明亮が自身の経験もふまえて「最初の方針に立ち戻ってほしい」と訴えたのもこのことを指していると思うが、私も同感である。

ティーチ・イン詳細

アイアン・プッシーの大冒険 ◇ The Adventures of Iron Pussy

3本目は、やはりアジアの風部門のタイ映画(でもヴィデオ)『アイアン・プッシーの大冒険』。

ファッショナブルに女装して、悪人をやっつけるアイアン・プッシーの冒険譚。極彩色の色づかい、レトロでヘタウマな歌、そしてアクションと、盛りだくさんで楽しい。アイアン・プッシーが颯爽と現れて若い娘を救う冒頭のシーン、タクシン首相のそっくりさんをまじえたミュージカル・シーンと、導入部分はインパクトの強いシーンの連続である。

話が本題に入り、アイアン・プッシーがメイドに化けて潜入捜査をするところから、ちょっと失速する。話がだんだん非現実的になってきていまいち面白くないし、しがないスキンヘッドのおじさんが華麗に変身するのが魅力だったので、ずっと女装していると楽しみがない。政府に頼まれて「お国のため」に働くのも気になるし、悪い外国人をやっつける反面、米帝企業(7-Eleven)で働いているのも気になる。とはいえ、メイドがどう見ても女装の男にしか見えないのに、まわりからは絶世の美女に見えているらしいところや、メイドからアイアン・プッシーに変身しても全然違いがわからないのに、まわりには全く違うように見えているらしいところなど、笑えるところはたくさんあって楽しめる。

監督兼主演のアイアン・プッシーことMichael Shaowanasaiが客席にいて、上映後に喝采を浴びていた。

◇◇◇

目黒のとんきでとんかつを食べて帰る。


1]これまでロードショウや映画祭で、『血斗竜門の宿』、『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』、『龍門客棧』のタイトルで上映されている。ここでは『龍門客棧』を使用する。
2]予想通り、このティーチ・インは公式サイトのデイリーニュースには載らなかった。心が狭いよね。


↑ドゥ・マゴで逢いましょう2003→11月2日
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作成日:2003年11月23日(日)
更新日:2004年11月29日(月)