第14回東京国際映画祭

ふたつの時、ふたりの時間 ティーチイン

- 参加者(敬称略) -
ゲスト●蔡明亮(監督)、李康生陳湘琪(出演者)
司会●?
北京語-日本語通訳●小坂史子
日本語-英語通訳●?


■司会者(日本語):まず、観客の皆さんに挨拶を。
◆蔡明亮(北京語):たくさんの方に観に来ていただいてとても嬉しい。自分のファンが増えてきているように思う。一方、古くからの友人や第1作からずっと観てくれている人の顔もある。観客と一緒に映画が育ってきたような気がする。ありがとう。
◆陳湘琪(北京語):こうした機会があって皆さんにお目にかかれるのを嬉しく思う。忘れられない一晩になることを願っている。
◆李康生(北京語):日本に来るのは2年ぶりくらいで、久しぶりである。支持してくれて嬉しい。自分も大分育って大人になった。

■観客1(日本語)[→蔡明亮]:監督は今まで一貫して台北を舞台にしてきた。ところが今回は、台北も出てくるけれどもパリも舞台になっている。これはどういう心境の変化か?
◆蔡明亮:作品には、いつも自分の生活が反映されている。映画を撮りはじめて10年になるが、徐々に招かれたりして海外に行く機会も増えた。中でもパリは、最もよく訪れるところである。違う場所を訪れるたびに、新しい自分を発見する。それは、旅先では自分がリラックスしているからだと思う。しかし以前フランスに1か月間滞在したときに、自分はただ一人だけであり、どの自分も同じ自分だと気づいた。
◆今回の映画は、「死」というものがきっかけになっている。死と向き合うのは恐ろしく、逃れたいと思うものである。死から逃れるためにパリに行ったというのが、パリを舞台に選んだ理由のひとつである。

■観客1:Jean-Pierre Leaudが1シーンだけおいしい役で出ている。蔡明亮映画にすっかりとけ込んでいると感じたが、演技指導はどのようにしたのか?
◆蔡明亮:Jean-Pierre Leaudは自分にとってアイドルである。この作品を観るたびに、本当に彼を起用できたということが信じられない気がする。
◆彼はたくさんの優秀な監督と仕事をしてきたが、それらの作品ではちゃんと脚本があったのではないかと思う。ところが今回は脚本がなかった。本来は台詞もなかったが、それは彼にとって難しかったようで、現場では自分も彼も非常に緊張した。結局彼は、自分で台詞を用意してきた。
◆自分としては、彼が自分の作品に出てくれるだけで十分だと思っていた。これまで彼が出演した名作を観てきた人たちの中にも、彼が自分の作品にちょっと出ているだけで満足してくれる人がたくさんいると思う。最後に彼にそう言ったら、抱きしめて「ありがとう」と言ってくれた。

■観客1:苗天はもう小康のお父さん役で出ることはないのか?
◆蔡明亮:すでに彼が小康のお父さん役で出るプランがある。乞うご期待。

■観客2(日本語)[→李康生]:一貫して小康を演じているが、彼は、まともな仕事をしていなくて、すぐロクでもないことをしてしまう役柄という印象がある。小康という役で成長していくことについて、どのように考えているか?
◆李康生:映画に出演するようになって10年になる。その間に演技のしかたが変わってきた。最初は演技の方法にばかり目が行って、よさそうな演技をしている人がいると真似をしたりしていた。ここ2、3年でポイントをつかみ、自然な演技ができるようになった。

■観客3(日本語)[→蔡明亮]:今回の作品は、これまでに比べて時間に重きを置いているように思う。台北にいる小康は時計をパリの時間に合わせているし、パリにいる彼女のほうは台湾の時間のリズムで生活しているように思える。監督の考えを聞きたい。
◆蔡明亮:自分の映画はどのように観てくれても構わない。
◆時間に対しては、自分を束縛するものという感じをもっている。旅に出ているときも、例えば他の国に電話をするときは、時差のことを考え、相手は今寝ているんじゃないかとか考える。時間に限らず、概念やものの考え方も自分を束縛するものである。この映画の最後で、娼婦が小康の時計、すなわち時間を盗んでいってしまう。小康はここで初めて、時間の束縛から解放されたのだと思う。
◆司会者:陳湘琪がパリにいながら台北の時間で生活しているように見えたということについては?
◆陳湘琪:それは監督に聞いてほしい。
◆蔡明亮:自分はその質問には答えられない。
◆陳湘琪:夜中にものを食べたりするのは、時差からくるところもあると思う。電話をかけるシーンは、自分の解釈では、彼女は台湾に電話をかけていて、せっかくパリに来ているのに台湾の時間に束縛されている。これは、彼女の心が台湾に留まっていることの表れだと思う。
◆蔡明亮:陳湘琪の役は、自分と彼女がコミュニケートして作り上げた役柄である。お互いの旅の経験を語り合ったりしながら作り上げた。自分の習慣で、いつもそういう方法をとるので、脚本を書くのに2年くらいかかり、その間ずっと俳優を煩わせることになる。

■観客3:この作品を作ろうと思ったのはなぜか?
◆蔡明亮:この映画は、自分にとって撮らなければならない映画だった。1997年、前作(『Hole』)を撮影する直前に、小康のお父さんが亡くなった。彼とは親しくしており、ロケ先として自宅を使わせてもらったり、出演してもらったりしていた。『愛情萬歳』のラストで、公園でヒロインが泣き続けているとき、近くで新聞を読んでいた人が小康のお父さんである。無事に『Hole』を撮り終えて、海外の映画祭に参加するために小康と一緒に飛行機に乗っていたとき、ふと小康の眠っている横顔を見たら、死を漂わせた辛そうな顔をしていた。自分も1992年に父を亡くしたが、その時の気持ちを思い出し、突然、肉親の死に関する映画を撮ろうと決めた。死が自分たちに何をもたらすのかを、映画を通してもう一度考えてみたいと思った。

■観客4(日本語)[→陳湘琪]:葉童と共演した感想を聞きたい。彼女は香港ではとてもキャリアのある女優なのだが。
◆陳湘琪:彼女とは気持ちがぴったり合っていて、一緒に仕事をするのはとても楽しかった。どのような気持ちかというと、コミュニケートもできないほど緊張しまくっていたということである。彼女とのシーンについて、撮影前に監督から、「激しいセックスをしてください」と言われていた。撮影が近づくにつれて、彼女は顔がどんどん白くなっていき、自分はあぶら汗が出てきて、とても激しいセックスはできそうになかった。ベッドに入って撮影の準備もできて、これから洋服を脱ぐというところで、監督の気が変わった。とても嬉しく、救われたと思った。
◆蔡明亮:本当はがっかりしたんじゃないのか(冗談)。ふたりの様子を見ていて、これはとてもできないと思った。結局、セックスによってはふたりの抱えている問題は解決できないという結論になった。自分があと数年若かったら、何がなんでもふたりにセックスさせていた。撮影が終わって、自分はもう若くない、年をとったという感想をもった。

■蔡明亮:最後に一言だけ言わせてほしい。自分の映画は、興行的な成功は困難であるが、数年前に、ユーロスペースが『河』を買ってくれた。そのときにユーロスペースの堀越さんに、「この映画には美しいヒロインは登場しない。主要な登場人物は男二人で、しかもひとりは70過ぎの老人である。そんな映画を何故買ってくれるのか?」と聞いてみた。堀越さんは「この映画は日本人に見せるべき映画だから」と答えた。ユーロスペースは、今回の作品も他の会社と一緒に買ってくれている。今日観てくれた皆さんは、またチケットを買って友人に贈ったり、知り合いに薦めたりして、堀越さんをサポートしてくれることを期待している。

映画人は語る2001年11月2日ドゥ・マゴで逢いましょう2001
ホームページ
Copyright © 2001-2004 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日:2001年11月15日(木)
更新日:2004年11月29日(月)