天気はいつのまにか快晴になっている。
Video CDを買いにSim Lim Squareへ行く。奥斯[上/下]録影私人有限公司(Osacar City Film & Video Pte Ltd)という店で、“阿飛正傳(欲望の翼)”と“射[周鳥]英雄傳之東成西就(大英雄)”を買う。1枚S$27.81(約¥2200)。
“阿飛正傳(欲望の翼)”は、日本盤のLDも持っているのだが、香港公開ヴァージョンと日本公開ヴァージョンでは結末が違うという噂があり、もしかしてこれは香港ヴァージョンかもしれないと思い、買ってみた。“射[周鳥]英雄傳之東成西就”は日本未公開で、ヴィデオのみ出ている。いつか映画館で観たいと思い、ヴィデオでもまだ観ていない。すぐに観るかどうかわからないけど、とりあえず持っていると安心ということで、買っておくことにした。
Arab Street(アラブ・ストリート)界隈に行く。Murtabak(ムルタバ)というイスラム風お好み焼きを食べようと思い、North Brige Rd.のインド風イスラム料理の店が3軒並んでいるところに行くと、店の前にいる客引きのおじさんが、「お好み焼、お好み焼」と日本語で声をかける。興ざめだったが、そのうちの1軒のVictoryという店に入る。エアコンのある2階席に案内されて、ますますがっかりする。
鶏のmurtabakとミルクティ(各2)を注文(S$10、約¥400/人)。Murtabakは、rotiの中に肉や玉ネギなどの具を入れたもの。おいしいことはおいしいけれど、刺激がなくてちょっと飽きる。量も多いので、murtabakはひとつにして、おかずになるものと組み合わせて頼んだ方がよかったと思った。
近くの両替屋で両替する。レートは1S$=¥78.43と、よくない。
西友とPARCOが入っているBugis Junction(ブギス・ジャンクション)に入り、西友でトイレに行く。これまでの体験では、シンガポールのトイレはふつう有料で、かつお金を払ったからといって綺麗だったりトイレットペーパーがあったりするわけではないという、通称「おフランス方式」だった。しかしここは日本のデパートなみに綺麗でタダだ。午前中行った東急のトイレもタダだったし、シンガポールでは「日系デパートはトイレがタダの法則」というのがあるのだろうか。ちなみに、KLの伊勢丹はタダではなかった。
ドリアン・マーケットを見つけて足を止める。Chinatownより大規模で、ドリアンのレヴェルごとに屋台が出ている。おなかいっぱいなのだが、席もあるようなので、 S$1の安いドリアンでも試してみようかと思い、屋台の人ごみに混じる。
みんなS$1のドリアンを買うのにも非常に真剣で、次から次へと物色してはめぼしいものを自分の足元に置いていく。時折大きな籠に入った新しいドリアンが到着するが、みんながいっせいに集り、めぼしいものを取ってしまう。まず外見を見て、持って重さを調べ、それからヘタのところの匂いを嗅いで判断しているようなのだが、これらをほとんど一瞬のうちにやっている。私には判断基準がよくわからないし、屋台に並んでいるのは、みんなが取らなかったカスだと思うと、選ぶのにも熱が入らない。新しい籠に群がってはみるものの他の人のパワーに圧倒されるばかり。
それでもなんとか1つ選び、「向こうで食べるから切って」と言ったが、駄目だと言われた。何度言っても駄目の一点張りで、買うのを諦める。席で食べるのには、高いのを買わないといけないのだろうか。
『幻のシンガポール』[SG2]に、次のような記述がある。
ある日、小津は珍しく斎藤を一人誘ってチャイナ・タウンに出かけた。テロック・アイエルと呼ばれる通りに体育館のような屋根をかけた食品市場がある。屋根の下は吹きぬけで、放射状の道が走り、屋台のめし屋が犇き合っている。その中に、一軒、小津がこの店がきわめつきと絶讃した中国人のカレー屋があった。(p378)
ここが、「俺は豆腐を作る」という有名な台詞を言った場所らしい。ここに出てくる「体育館のような屋根をかけた食品市場」であるが、これは次の2つの引用中の市場ではないかと思われる。
もっとも有名な市場は独特な八角形の建物のテロック・アエアで、1820年に最初に建てられ、1894年にスコットランドから輸入された鋳鉄で飾られた。また、清潔なことでも有名だった。
(『シンガポール 都市の歴史』[SG31-1], p50-51)
シンガポールが開港すると、最初にやってきた中国人はペナンやマラッカなどの商人であった。その一人に陳送がいる。彼は十五歳のときに広東を出て、リアウからペナン、マラッカと移り住んだ。そこでラッフルズと知り合いになった。一八一九年にシンガポールにやってきた彼は倉庫を建て、中国人貿易船の代理店をひらいて大金持ちになった。また一八二二年にはシンガポールで最初の市場を開いた。それは八角型の建物で肉や野菜、魚などを買い求める人でたいへん賑わったという。
(『知っておきたい東南アジアII◆シンガポール・マレーシア・ブルネイ・インドネシア◆』[SG34], p30)
◇Lau Pa Sat Festival Market◇ |
また、前述の[SG31-1]には、「1821年から1822年には、テロック・アエアは海に面していた」と書かれており、[SG38-1]では、Lau Pa Sat Festival Marketは“Telok Ayer”と表記されている。
これらを考え合わせると、1820年代前半(文献によって多少年が前後している)にTelok Ayer St.に八角形の市場が造られ、それが移築されて現在Lau Pa Sat Festival Marketになっているのではないかと考えられる。
そういうわけで、MRTに乗り(Bugis→Raffles Place)、Lau Pa Sat Festival Marketを見に来た。現在ここは改装中で閉鎖されているため、外から外観を見ることしかできなかった。
Telok Ayer St.にあるThian Hock Keng Temple(シアン・ホッケン寺院)へ行く。ここは、1820年から22年にかけて福建人によって建てられた、シンガポール最古の中国寺院である。Telok Ayer St.は当時海に面しており、無事な航海を感謝して海の神、天后聖母(媽祖)などがまつられている[SG31-1][SG8]。
歴史を感じさせる落ち着いたたたずまいの美しいお寺だが、人影はまばらだ。このあたりは福建人街で、寺の前には福建會館があった。