屏東の夏休み

屏東の夏休み

1998年7月21日(星期二)


7月21日、火曜日。台東。晴れ。

早朝の自強號で南へ。南廻線の景色は、青い青い海と長いトンネル。

屏東注1到着。
“牯嶺街少年殺人事件”のなかの、60年代の台北だ。

[東星大飯店]

“牯嶺街少年殺人事件”の撮影時、スタッフが滞在していた[B100]という東星大飯店に宿をとる。
窓の下に見えるのは、飛機の家として使われた駐車場映画

[肉圓]

午前中のみの営業だという屋台で、昼食には早すぎる屏東肉圓を食べる。
食べ終わったお碗に、スープを入れてくれるのが嬉しい。

台糖注2の製糖工場、屏東糖廠の広大な敷地内は、開放されていて公園のようだ。
木が多く、小都会の駅前あたりとはまるで別世界である。
ここで“牯嶺街少年殺人事件”のいろいろなシーンが撮られたらしい。

[屏東糖廠]

縦横に走る広い並木道の、木漏れ日が美しい。
冒頭の小四とお父さんが自転車で走るシーン映画そのままの風景だ。

古い日本家屋が散在する、日據時代からの工場。戦後そこに建てられた中山堂。
この国の歴史が垣間見える光景である。

[冷飲部]

冷飲部の建物は、ライヴで“Why”や“Angel Baby”を唄っていた小公園冰菓室映画だった。
小四と小明が向かい合って座っていたテーブル映画で、ここの名物の冰棒を食べる。
一本十元の素朴で懐かしい味に、買いに来る人が絶えない。

似たような薄暗い木立のなかを歩き回り、薮蚊にたくさん刺されながら、
ふたりが根元に座って語り合っていた大木映画を見つける。

[工場站]

工場站という駅があった。
もう使われていないようだが、さとうきびを運ぶための鉄道の線路が、ところどころに残る。

[鳳山車站]

電車で鳳山注3へ行ってみる。
“童年往事”C1985-34に出てくる鳳山のプラットホーム映画は、どうやら偽物だったらしい。

賑やかな屏東夜市で鶏肉飯を食べ、日據時代からあるという屋台で愛玉氷を買った。



[1] 屏東[Ping2 Dong1]
屏東縣屏東市。
屏東縣の中心都市で、高雄市のベッドタウン。
[2] 台糖
台灣糖業公司。日據時代の大日本製糖、台灣製糖、明治製糖、塩水製糖などが合併したもの。
[3] 鳳山[Feng4 Shan1]
高雄縣鳳山市。
高雄市のベッドタウン。

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作成日:1999年4月6日(火)
更新日:2004年5月29日(土)