北京の春
prologue
上海、東北につづく三度めの中國は、いよいよ首都、北京へ乗り込む。胡同というものを見てみたい。北京が印象的な映画も観た。熊猫パンダもいる。その程度の理由である。
北京といえば秋である。‘北京秋天’という言葉もある。『北京の秋』[B368]というBoris Vianの小説もある(内容は北京とは関係ないが)。あるいは、北京といえば夏である。王家衛が撮らなかった映画のタイトルは“北京之夏”だった。姜文の“陽光燦爛的日子”[C1995-65]は、夏の北京が舞台だった。
しかしながら、秋の旅行は難しい。長期休暇はない。東京国際映画祭もある。夏はどうか。パンダは屋内にいて、生きたれぱんだになっているだろう。必然的に春になった。
北京の春は、柳絮[liu3 xu4][1]と呼ばれる綿状の柳の実が、雪のように降るらしい。まるで「春の雪」だ。風流である。であるのだが、鼻に入ったりして大変らしい。生まれて初めて花粉症マスクを買い、少ない荷物に加えた。
魯迅は書いている。
私はしかし北京には春と秋がないような気がしていた。北京に長くいる人は、地気が北転した、ここは以前はこんなに暖かくはなかった、という。だが私にはどうも春と秋がないように思える。冬の末と夏の初めがくっついていて、夏が去ると、すぐ冬がはじまる。(『家鴨の喜劇』[B375]p145)
Edgar Snowはまた、書いている。春は暖かく鮮明で、秋は影が長くのび、冬の陽は雪にうもれた樹木や、凍りついた湖の上に輝く。(『目ざめへの旅』[B338]p117)これから見る北京は、暖かく鮮明な春だろうか。あるいは冬の終わりだろうか。それとも夏の初めだろうか。日本の黄金週間の頃、中國も大型連休である。それを知ったのは、北京行きを決めた後だ。全国の人民が北京に集結するのだという。ただでさえ人の多い中國、徹底的に人の多さを楽しもう。そう開き直った。
これは、胡同を歩きまわり、ロケ地を探し、熊猫を追いかけ、人民にもまれた、11日間の北京の春の記録である。
- [1] 柳絮(りゅうじょ)
- 白い綿毛をもった柳の種子。また、それが雪のように散るさま。[季]春。
- 雪の形容。(大辞林 第二版より)
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作成日:2001年6月9日(土)
更新日:2002年6月12日(水)