北京の春

2001年4月26日(星期四)


4月26日、木曜日。鎌倉。くもり。

昨日は仕事の打ち上げをパスした[注1]ので、荷物に入れるものの準備は終わっている。しかし頭に入れるものの準備が終わっていない。天安門廣場を見る前に、張元の“廣場”[C1994-58]を観直しておきたいのだ。しかし結局、時々早送りすることになり、十分な予習はできなかった。

旅行初日の定番となりつつあるイワタのホットケーキで昼食をすませ、12時すぎのエアポート成田に乗る。ゴールデン・ウィーク2日前の成田空港は、まだそれほど混雑していなかった。

UA853便(定刻17:05-19:50)は少し遅れて離陸。米国人と中国人と意外にも南米人が多く、日本人は少ない。機内食はいつになくまずい。『紫禁城の黄昏』[B372]など読むうちに、ほぼ定刻どおりに北京首都國際機場へ到着。

空港からホテルへは公共交通機関を使うのが私の主義である。乗り場を探し、切符を買い、適切な場所で下車し、ホテルにたどり着く。この一連の行為が適度な緊張感を呼び起こし、気分を旅行モードに切り替え、ささやかな達成感が旅の始めの漠然とした不安を取り除く。そして少しだけ新しい場所に馴染む。旅の始まりの重要なプロセスであり、初めての街ではなおさらである。ところが今回は、宿泊予定の竹園賓館の送迎サーヴィスを利用することになっている。理由は単純だ。「無料」に目が眩んでしまったのである。乗り場の情報がなかったので、多少の不安を抱えながらゲートを出ようとした途端、連れのJ先生の名が書かれた紙が目に飛び込んできた。

空港のゲートには、名前を書いた紙を持って見知らぬ客を待つ人が大勢いる。出張先の人だったり現地ガイドだったり事情は様々だろうが、私はこれらをひどく恥ずかしい、しかし自分とは無縁のものと思ってきた。ところが突然、心の準備もないままにその当事者になってしまった。動揺に追い討ちをかけるように、客は私たちだけで、車での送迎であることがわかる。さらに道中、高速代15元(=約230円)を払わされる。民航班車の16元(=約246円)/人2人分に比べれば半分以下で、もちろん安い方がいい。しかし安ければいいわけではないのだ。車の後部座席で、私は送迎サーヴィスを頼んだことを激しく後悔していた。やはり移動は公共交通機関に限る。

竹園賓館は、広い庭園に建物が点在する中国風のホテルである。もとは清末の大臣、盛宜懐の邸宅だったということだが、ほとんどの建物は新しく建てられているようだ。今日から6泊するのは一番安い部屋なので、端のほうの建物にあり、ちょっと狭いふつうの部屋である。

北京の夜はけっこう寒い。寒いのが何より嫌いな私は、どこへ行っても寒さに苦しめられる。好んで行くのは暑いところだが、暑いところの冷房はギンギンに効いている。台灣や香港には冬でも暖房がない。その点、北京なら暖房もあって安心と思ったのが大間違いで、すごく寒いところでは電気の暖房など使わないのだった。暖房はスチームで、その季節はもう終わっている。部屋にあるエアコンの、字の書かれていないリモコンの意味不明なアイコンを睨みつつ、いろいろなボタンを押して部屋を余計に寒くした結果、それはただの冷房であることが判明した。安い部屋にはドライヤーもなく、仕方がないのでクローゼットから布団をひっぱり出して団子になって寝た。


←prologue↑北京の春→つづく ■


[1] 休暇前日の飲み会
私の休暇を考慮して日程を決めてくれたボスには申し訳なかった。しかし、長期休暇(ふつうは旅行に行く)の前日に飲み会に参加できる状況であることは奇跡に近い。



大陸的假期しゃおがん旅日記ホームページ
Copyright © 2002 by Oka Mamiko. All rights reserved.
作成日:2002年6月12日(水)