童年往事 ◇ The Time to Live and the Time to Die
[侯孝賢・1985]
侯孝賢の長編第6作かつ最高傑作で、監督の家族をモデルにした自伝的映画。 阿孝(=侯孝賢)の記憶というフィルタを通したエピソードは、 日々の些細な出来事と肉親の死が同じ重さで存在し、決定的瞬間よりもその周辺に重点が置かれる。 各エピソードは、徹底して客観的な視点から見つめ直され、 それらの断片的な積み重ねによって描かれるのは、家族の物語というよりも、ある場所、ある時代の空気である。 |
■ 作品情報 ■ | ||
映画の舞台とロケ地 | ||
映画の舞台は、1954年から1966年くらいの鳳山。当時の行政単位はわからないが、現在は高雄縣鳳山市である。 鳳山には当時の面影がほとんど残っていなかったため、別の場所で撮影された。主なロケ地は嘉義(嘉義市)とのことだが[B51]、ほかに、大湖(苗栗縣大湖郷)、銅鑼(苗栗縣銅鑼郷)、淡水(台北縣淡水鎭)、竹崎(嘉義縣竹崎郷)などで撮影されている。 主人公の阿孝の一家が暮らす家と、町の中心らしき広場が、この映画の主要な舞台である。阿孝の家は、複数の場所で撮影されているようだが、そのうちのひとつは大湖である。広場は銅鑼で撮影されている。 | ||
ロケ地紹介 | ||
● 大湖の旧・電信電話局 (1) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 銅鑼の広場 (1) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 銅鑼の広場 (2) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 銅鑼郷復興路の煉瓦塀 (1) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 銅鑼郷復興路の煉瓦塀 (2) | 【new 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 復興路の電信柱附近 (1) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 復興路の電信柱附近 (2) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 銅鑼の広場 (3) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 銅鑼郷復興路 | 【new 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 淡水鎭公明街 | 【updated 26/12/04】 | 台北縣淡水鎭 |
● 銅鑼の広場 (4) | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 竹崎の踏切の見える通り | 【updated 26/12/04】 | 嘉義縣竹崎郷 |
● 竹崎車站近くの線路 | 【updated 26/12/04】 | 嘉義縣竹崎郷 |
● 竹崎車站近くの踏切 | 【updated 26/12/04】 | 嘉義縣竹崎郷 |
● 銅鑼の広場に面した廟 | 【updated 26/12/04】 | 苗栗縣銅鑼郷 |
● 大湖公車站 | 【updated 05/02/06】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 公車站脇の通り (1) | 【updated 31/12/04】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 公車站脇の通り (2) | 【updated 31/12/04】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 永安接骨所があった通り | 【updated 31/12/04】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 大湖の旧・電信電話局 (2) | 【updated 31/12/04】 | 苗栗縣大湖郷 |
● 鳳山車站月台 | 【updated 31/12/04】 | 高雄縣鳳山市 |
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