- この建物について
- 1932年から1936年にかけて建設された台北公會堂(Wikipedia)。場所は清朝の台灣布政使司衙門の跡地。昭和天皇の即位を記念して建設されたものだが、当時の台灣は、演劇や展覧会などの文化活動の場所を必要としてもいた。
- 東京、大阪、名古屋に次ぐ大規模な公会堂。大ホール、宴会場、画廊があり、それぞれ個別の出入口をもつ。
- 1935年の台灣始政40周年記念大博覧會では、完成前にもかかわらず使用された。1945年10月25日、陳儀行政長官と安藤総督により、中國戰區台灣省受降典禮(日本の降伏式)が行われた。
- 光復後、中山堂(公式)と改称。二二八事件後は事件処理委員会の会合が行われた。また、長期にわたって國民大會に使用された。
- 1998年から2001年に修繕が行われた。以前はすぐ前を延平南路が通っていたが、現在は広場になっており、孫文の銅像や抗日戰争勝利曁台灣光復紀念碑がある。
- 内部は一部が無料公開されている。また、二階に堡壘咖啡館(公式)というカフェがある。
- 建築
- 鉄骨鉄筋コンクリート造四階建て。
- 折衷主義で、様式建築から現代建築への過渡的な様式。中軸対称な平面、破風をもつような正面の形状など古典的なところもあるが、水平線、垂直線の多用、オーダーをもたないポーチなどは、現代建築の影響を受けている。内部の装飾はアール・デコ調。
- アラブ・イスラム風など、西洋古典様式以外のいろいろな建築が取り入れられている。日本風の窓や中國式の瑠璃瓦など、東洋的なデザインも見られる。
- 1930年頃の国防色建築の代表的なもので、外表面には国防色の北投産タイルが使われていた(現在は薄茶色)。
- ここが登場する映画
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撮影時の名称 |
登場する映画 |
製作年 |
映画での設定 |
as films go by - 台灣篇 - |
中山堂 |
金門島にかける橋 |
1962 |
楊麗春(華欣)と劉少尉(武家麒)の結婚式の会場。 |
中山堂 |
**牯嶺街少年殺人事件 |
1991 |
コンサート会場。 |
記載なし |
猫をお願い[C2002-34] |
2002 |
前の広場で、ブラスバンドの人たちがたむろするところ。 |
記載なし |
- 訪問記
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