第12回東京国際映画祭

アパートメントティーチイン

参加者(敬称略)
ゲスト●Viet Linh(監督)
司会●大竹洋子
ヴェトナム語-日本語通訳


■監督:この映画は低予算で、たいへん厳しい状況で作った。映画にはたくさんの部屋が出て来るが、実際はすべて、はりぼてで作ったひとつの部屋で撮っている。

■観客1:この映画のような状況、すなわち解放戦線の人が街に戻ってきて、ホテルなどを住居として住んだというのは、実際によくあったことなのか?
◆監督:解放後によくみられたことで、自分自身も経験している。解放戦線で戦っていた人々は農村出身の人が多く、都市の生活に慣れていなかったため、いろいろな混乱があった。

■観客2:戦争中は物資がなかったが、人々が助け合って暮らしていた。最近ではお金が生活を支配しており、貧富の差が広がっている。このことについてどのように考えるか? 仕方のないことだと思うか?
◆監督:世界中どこでも同じだと思うが、戦争直後は生活が苦しく、しばらくすると物質が溢れてくる。人間の本質を見つめ、人とのつながりを守ることが必要であると思う。科学技術によって便利になるのはいいが、人間関係も大事にしたい。

■観客3:ヴェトナムでは、そのような人間関係を大事にするような文化を意識的に育てようとしているのか? 映画だけではなく他の業界を含めてどうか?
◆監督:文化界の人間は皆、そのことに関心をもっている。現在は、ヴェトナムやアジアの価値観の中に西洋文化が入り込んでいる。この映画では、革命の成果でアパートを得られたが、気をつけないと失くしてしまうということが言いたかった。
■観客3:そのような文化界の努力は、若い世代にはどのように受け止められているのか?
◆監督:他の国と同じように、若い世代は伝統を忘れがちである。政府は忘れてはいけないと訴えている。自分は中間の世代なので、状況を客観的に見られると思っている。

■観客4:映画では、タムさんとサウさんが同郷という設定だが、彼らの出身地の村はどういうところか?
◆監督:タムさんとサウさんではなく、タムさんとトアンさんが同郷である。彼らの故郷のカマウというところはヴェトナムの南端にあり、抗米戦争が激しかったことで有名。また景色が美しいので、ロケをしたくてこういう設定にした。自分も戦争中にいたことがある。
■観客4:タムさんが悲しいときにだけ弾くと言っていた月琴という楽器はカマウで弾かれている楽器なのか?
◆監督:カマウのものというわけではなく、ヴェトナム南部で広く弾かれている楽器である。伝統を受け継ぐ人がいないので、最近では弾ける人が減っている。

■観客5:昨日、この映画祭でフィリピンの『ホセ・リサール』という映画を観た。この映画では、スペインやカトリックの支配に対抗するものとしてのナショナリズムが描かれていた。ヴェトナムにおいても、フランス統治時代にカトリックの精神的な支配があったか?
◆監督:カトリック教会はあったが、フィリピンのような過酷な支配はなく、もっとゆるやかなものだった。

■観客6:出演者とのエピソードや撮影中苦労したことは?
◆監督:撮影中のおもしろい話はたくさんある。例えば、カマウは遠くて実際に行って撮るのは大変なので、ホーチミン近郊にあるジャングルのようなところでカマウのシーンを撮った。ここにはお店がなく、朝の5時から水を汲んで撮影をしたが、それでもカマウに行くよりは安上がりだった。
◆アパートのシーンはひとつの部屋で撮ったと言ったが、映画では向かいの部屋が見えるシーンが幾つかあり、どちらから見るかによって扉が左だったり右だったりする。これは、その都度15分の休憩をはさんで、美術の人が付け替えて撮影を行った。

映画人は語る1999年11月3日ドゥ・マゴで逢いましょう'99
ホームページ
Copyright © 1999-2004 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日: 1999年11月8日(月)
更新日:2004年12月11日(土)