第16回東京国際映画祭

ホームラン ティーチ・イン

開催日 2003年11月9日(日)
場所 シアターコクーン
ゲスト 梁智強(監督)
司会 伊藤さとり
北京語-日本語通訳 樋口裕子
日本語-英語通訳 松下由美


司会(日本語):さて、今回のこの『ホームラン』の監督、梁智強ジャック・ネオさんなんですけれども、昨年、アジアの風で『僕、バカじゃない』が上映され、昨年に引き続いての来日になっております。この作品も大ヒットになりまして、シンガポールに50ある小学校で観に行ったという作品になっております。それから、12月に発表になる金馬奨の最優秀新人賞に妹役の女の子がノミネート、さらにラストで流れるナンバーがありますが、これが最優秀主題歌賞にノミネートされています。作詞は梁智強監督です。それではさっそくお迎えしましょう。梁智強監督です。どうぞ。
梁智強(日本語):こんばんは。
梁智強(北京語):今まで残っていただいてありがとうございます。この東京国際映画祭に参加させていただくのは2回目です。今回、私の作品はコンペ作品ではありませんが、東京に来られて、こうして皆さんとまたお会いできるということで、本当に嬉しく思っています。

観客1(日本語):これは『運動靴と赤い金魚』のリメイクということなんですけれども、タイトルは『ホームラン』でした。野球の話に変わったのかと思ったんですけれど、タイトルの意味を教えていただきたいと思います。
梁智強:ラストシーンを観ていただくとおわかりのように、ひとりひとりが勝利をするという意味で『ホームラン』としました。このホームランは野球のホームランではなくて、みんなが勝利していい関係になるという意味をこめてつけました。
◆ただし、中国語のタイトルは『走れ子供たち(跑吧孩子)』としています。これは、「前に向かって一生懸命走って行け、あとから追いかけてくるけれども、それを振り切って一生懸命走って行け」という激励の意味がこめられています。

観客2(日本語):この映画は「1965年」と出ますので、1965年という時代設定になっていると思うんですね。この映画のメッセージからすると、1965年と明確に特定しなくても、数十年前の話としても撮れたと思うんですけれども、そこを1965年に特定なさったのは何か意図がおありなんでしょうか。
梁智強:それにはふたつ理由があります。ひとつめは、今のシンガポールの子供たちというのはもう本当に幸せで、ひとつの靴のために喧嘩をしたり、必死にいろいろやったりはしません。この時代は私の小さな頃であり、私も靴が破れてしまうとああいう気持ちを抱いたものです。1965年というのは特別な思い出を回顧させるところがあるので、この時代設定を選びました。
◆ふたつめの理由は、1965年というのはイギリスの植民地だったシンガポールが独立した年で1、靴はシンガポールという国を象徴しています。ひとつの靴のためにみんなが苦労するのは、シンガポールの独立のためにみんなが心をひとつにして必死にがんばったという思いがあるんです。そしてその靴に託しているのは、シンガポールという国の未来、前途です。
司会:シンガポール独立記念日に、首相のスピーチの中でこの作品についてのお話が出たと聞いたんですが。
梁智強:はい。ご紹介していただいたように、独立記念日に首相がこの映画についてお話しくださいました。実は去年も、私の映画『僕、バカじゃない』について話してくださったんですが、今年も『ホームラン』について、スピーチの中でふれてくださいました。特に今年は、私と一緒に映画を観てくださいました。隣に呉作棟ゴー・チョクトン首相が座って観てくださったので、もうヒヤヒヤものでしたが、とても嬉しかったです。

観客3(日本語):ぼろぼろの靴をシンガポールになぞらえたというお話があったんですけれども、初めてMajid Majidi監督の『運動靴と赤い金魚』を観たときに、そのような解釈で作りなおすことができる作品だとお感じなったのかということと、私は去年もここで『僕、バカじゃない』を拝見しているんですけれども、同じ子供たちを今回も使っていらしたので、彼らの成長ぶりなどについて伺いたいんですが。
梁智強:まずひとつめのご質問ですが、イランの作品は子供の純粋さを語っていました。子供の求めるもの、大人の求めるもの、その道のりはいろいろと違うところもありますが、ラストシーンで泥の道を見ていただいたように、ハッピー・エンドではなく、これからの道もまだまだ厳しいということを表したかったのです。幸せを求めれば、お金を得たいとかいろいろな欲望があるわけですが、そういうものにぶつかっていくには泥の道もあるというメッセージをこめました。いろいろなメッセージをこめることにより、形をいろいろ変えていけるのが映画のすばらしさだと思います。
◆子役の子供たちを覚えていてくださってありがとうございます。『僕、バカじゃない』から時間が経ちましたので、彼らは本当に大きくなって、声もすっかり変わってしまいました。ちょっと太目の男の子も背が高くなりまして、今フィルムの中で見ていただいたのよりも大きくなっています。子供たちがどういうふうに成長しているか見たい方は、ぜひ私たちのホームページをご覧ください。2

観客4(日本語):イランの映画と違って、労働争議が出てきました。それからヤクザだと思いますけれども、「ショバ代を出せ」と、そういう当時のシンガポールの暗部と言いますか、恥部ですね、労働争議は恥部ではなく当然だと思いますけれども…。当時の社会情勢の中で労働運動なども盛んだったのか。ちょっと登場のしかたが無理やりと言いますか、どうしても描きたいという監督の意図が出ていたんじゃないかと思うんですけれども、そのへんはどうなのか。それから学校の制度が二部教育なのか、男女が共学ではないのか。それから大分鞭などで叩いていまして、今の日本では禁止されている行為なんですけれど、当時のシンガポールでは当然だったのかどうか。教育問題ですね。以上お聞きしたいと思います。
梁智強:まず、1965年当時の社会背景を描くためには、そういうシーンは挿入しなけれはならないものだと思いました。シンガポールの独立のための混乱とか、ヤクザの出現とか。当時のシンガポール社会は、政治的にも非常に乱れておりましたので、そういう混乱の時代を描くためには、やはりそういうシーンを入れないとわかりにくいということで入れました。そしてまた、そういう混乱した社会状況から、我々はもうマレーシアから完全に独立したんだということを、我々がもう一度確認するためにあのシーンを入れました。しかしながら、最後にまた泥の道を映したということは、まだ曖昧模糊としている、不安な感情を表しています。
◆次のご質問については、兄の通う学校と妹の通う学校が時間的に差があるということなんですが、1965年当時、シンガポールはまだ非常に貧しかったので、学校の数自体が非常に少なかったわけです。それで1年、3年、5年が午前中、2年、4年、6年が午後というように、分けて校舎を使っていたのです。妹のほうは午前班にいて、7時から12時半くらいまで授業があります。午後班は1時から6時半くらいまでですね。30分くらいの時間があるので、妹は必死に走って靴を兄にパスします。そのようにしてこういう状況が作り出されたのです。
◆次に体罰についてなんですが、1965年当時は、お尻を鞭で打つようなことは通常のことであったと記憶しています。それだけではなく、顔をぶったり、髪を引っ張ったりということも多々見受けられました。ただし、今のシンガポールの学校では、そういう状況はもう改善されています。
司会:男女が別々の学校だったということなんですけれど…。
梁智強:男子校も女子校も男女共学も、いろいろありました。
司会:今回は男子校と女子校だったと…。
梁智強:そうです。

梁智強:皆さん、どうもありがとうございました。また来年もぜひお会いしたいと思います。

記録者注
1]1965年は、のちほど梁智強が正しく述べているように、シンガポールがマレーシア連邦から分離独立した年である。シンガポールのイギリスからの独立は、マラヤ連邦との合併によってマレーシア連邦が結成された1963年である。
2]監督が言っていたURLはよく聞き取れなかったが、『僕、バカじゃない』がhttp://www.inotstupid.com/、『ホームラン』がhttp://www.homerunthemovie.com.sg/だと思われる。


映画人は語る2003年11月9日ドゥ・マゴで逢いましょう2003
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作成日:2003年11月30日(日)
更新日:2004年11月29日(月)