東京国際ファンタスティック映画祭2003

映画秘宝スペシャル ギロチンまつり ティーチイン

開催日 2003年11月2日(日)
場所 新宿ミラノ座
ゲスト 王羽(監督・出演者)
司会 筒井修
北京語-日本語通訳 錢行


司会(日本語):まずはミスター王羽ジミー・ウォンさんにひと言お願いしたいと思います。
王羽(日本語):皆さん、はじめまして。よろしくお願いします。

司会:こういう舞台に出られるのは久しぶりだと思いますけれども、この客席は1300近くあるんですが、立ち見が出ているんですね。今日見てどう思われますか。
王羽(日本語):本当にありがとうございました。日本の皆さん、どうもありがとうございました。

司会:皆さん、『片腕カンフー対空とぶギロチン』をご覧になっていかがでしたか。すごく面白かったでしょう? 実を言うと、18年前に松竹富士という会社の宣伝部にいたんですけれども、そのときに『ファーストミッション』という成龍ジャッキー・チェンの映画を宣伝する担当で、本当に新人の頃だったんですけれど、香港の現場に行きましたら、王羽ジミーさんがいらっしゃるわけですよ。マネージャーのプロデューサーが王羽さんを見て、成龍と写真撮るより王羽さんと写真撮っちゃったということがありました。それで今回、縁があって『片腕カンフー対空とぶギロチン』の宣伝をさせていただいているんですけれども、昨日王羽さんとお会いしてその話をしたら、「きみ、その当時、痩せてなかった?」っていきなり言われたんですよね。すごく記憶力がいいなぁと僕はびっくりしたんですけれども。『片腕カンフー対空とぶギロチン』も本当に古い作品なんですけれども、当時王羽さん自体は俳優をやりながらプロデューサーだとか監督だとか脚本家という形で、当時としてはそういう形でされている方って多分王羽さんが一番最初になるかと思うんですが、この映画を撮ったときの苦労話とか、監督やりながら主演もやっていて、どんなエピソードがありましたでしょうか。
王羽(北京語):いろいろな苦労がありましたけれども、やはりヒットを飛ばしましたよね。苦労した甲斐があるなぁと今でも思っています。それから、私は若い頃から日本と深い縁をもっておりまして、学生の頃からずっと日本の映画を観ておりました。映画界に入ってからは、三船さんや勝新太郎さんと共演したこともあります。30数年前から本当にいろいろな人にお世話になりました。特に今回、30年以上経ってもこれだけ多くの方に暖かく迎えていただいたことは、非常に感動しております。自分自身もう60歳を超えているんですが、本当にありがとうございました。
司会:全然60歳なんてとてもっていう感じだったんですけれども。
王羽:どうもありがとうございます。

司会:この『片腕カンフー対空とぶギロチン』の前に『片腕ドラゴン』という映画がありまして、王羽さんの十八番のキャラクターなんですけれども、観た側から一番興味があったのは、あの片腕を撮影中にどうやって隠しながらやったのかというのがまずひとつ。これはもう本当に気になったことだったんですけれども、当時はどういうふうな形で撮影にのぞまれたのでしょうか。
王羽:布か何かを使って右手を体に縛るんですけれども、前に縛るときはそれほどでもないんですが、後ろに縛ってアクションを撮るのが非常に難しかったですね。すぐにバランスを崩して、走り出すとだいたい転んでしまいます。もしどなたか私が今言ったことを信じなければ、自分自身で試してみるといいと思います。絶対に50m以上走れないと思います。
◆私はもともと左利きではなかったんですが、映画のおかげで食事もできるようになったし、何でもできるようになりました。
司会:もちろんアクション・シーンは片腕で戦うんですけれども、そのときはどっちに隠して撮影していたんでしょうか。相手と戦うシーンのときは、前に隠していたのか後ろに隠していたのかが気になるんですが。
王羽:前に隠していました。
司会:そうですか。長時間撮影していると、すごく腕がきつくなったりとか、そういうことはあったんでしょうかね。
王羽:2時間以上経つと、けっこう麻痺してしまいますね。

司会:それからやはりびっくりするのは、いろんなキャラクターが出てきて戦うこと。『片腕ドラゴン』のときも、一番最初にいろんなキャラクターが出てきましたが、今回も格闘技戦があったりして、非常に今っぽいというか、当時はこういうアイデアは誰も考えられなかったんじゃないかと思うんですけれども。どういうところからアイデアを出してきたんでしょうか。
王羽:中国には武侠小説という長い物語がたくさんありまして、武闘大会というのはどの本を読んでもかなり記述がありました。やはり小説で読んでいても楽しくないと思うので、なるべく映画の中で再現して、皆さんと一緒に楽しもうというのが最初の思いだったんですね。それから、いろいろな流派のアクションがあるわけですが、それを一緒に描いて同じスクリーンの中で楽しめるというのは、何よりも面白いことだと思います。
司会:中でもインド人のキャラクターの手が伸びるというのは、今子供が観ても…。
王羽:皆さんに笑っていただけないかなと、当時も狙っていたんです。

司会:『片腕ドラゴン』のときは、わりと復讐というのがテーマになっていて、今回はギロチンを持っている人と戦うということで、シリアスな部分と笑いの部分が両方入っていると思うんですけれども、それも演出上狙われたところがあったんでしょうか。
王羽:最初から最後までずっと激しいアクションばかり観ていると、観ている人もかなり疲れてしまうので、やっぱりユーモアのセンスを適当に取り入れながら、映画の全体の流れを作ることが非常に大事じゃないかと思います。

司会:監督として映画を撮っているときにすごく気をつけたことは?
王羽:やはり何よりもリズム感覚だと思います。観ている方に、どこを観て緊張してもらえばいいのか、どこを観て笑ってもらえばいいのか、そういうリズムをもたせること、テンポがないといけないと思います。そのあたりを一番気をつけていました。

司会:逆さになったりとかいろいろしてるんですけれども、やっぱり自分で監督しながらそういうことやるのはすごく大変なことだったと思うんですけれども。
王羽:バランスをとるのがすごくたいへんだったんですが、やっているうちになれてしまいました。

司会:ここ数年海外で、王羽さんが出演している作品を観て映画に取り入れたりとか、最近でいうと、Quentin Tarantino監督の『キル・ビル』なんかには『片腕カンフー対空とぶギロチン』も入っているんですけれども、そういう形で海外に出ていくことについてはどう思われるでしょうか。
王羽:いい作品でしたら、真似されることはそれほど悪いことではないと思います。私も若い頃に日本映画を観ていて、かなり日本映画からヒントを貰ったことがあります。だから私の作品も、もしもこれから若い監督に何かヒントを与えることができれば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。ただ、やはり若い世代が撮った映画は、我々の世代の映画を超えないといけない。超えられるような撮り方をしてほしいと思います。

司会:では、最近の香港映画をどう思われていますか。
王羽:ますますいい方向に向かっていると思いますね。香港の映画スタッフの皆さんがかなり勤勉であるということで、いろいろなアイデアが出るのも早いと思います。特にアクション映画に関して私の意見を言わせてもらえば、日本スタイルというか、例えばかつて交流のあった勝新太郎さんとか、日本のアクション映画のスタイルを我々はもう一度振り返ってみたらいいのではないでしょうか。香港のアクション業界の人も、そういうのをもう一度振り返る必要があるのではないかと思います。
司会:本当に嬉しいことですね、そう言っていただけるのは。つい最近、『新座頭市 破れ!唐人剣』もDVD化されたのも…。
王羽:これは社交辞令ではなくて、本当のことです。

司会:王羽さんは60年代から香港映画界で活躍されたんですけれども、その当時王羽さんと関わった人たちがいまだに香港映画界で活躍していると思うんですが、王羽さんが俳優として君臨していたときに、成龍さんとかはどういう人だったのかお聞きしたいと思うんですけれど。
王羽:成龍は、映画だけではなく人間としても立派になっていると思いますね。私も昔からそのように教えてきたつもりです。人間として立派になるというのはどういう基準かといえば、例えば友情を重んじるとか、親孝行するとかいったことが非常に大事な要素だと思います。そういう意味で、彼は十分立派になっていると思います。

司会:王羽さんとお会いして一番びっくりしたのは、60歳だと言われても全然そういうふうには見えないんですよね。何かトレーニングとかそういうのを毎日されているんですか。
王羽:日課としては、毎朝起きたら重量挙げ1時間、ジョギング20分。それからお酒を毎日1本。
司会:今度会ったときは、本当にすごい飲まれる方なんだなってびっくりしちゃったんですけれども。
王羽(日本語):日本酒大好き。
司会:昨日はお食事会で、本当にもう王羽さんすごいなぁと思ったんですけれども、今日は大丈夫ですか。
王羽(日本語):大丈夫です。

王羽:最後になりますけれども、本当に皆さん、ありがとうございました。本当のことを言うと、自分はもう半分リタイアしておりまして、映画にはもう二度と出ないと心の中に決めていたんですが、これだけの皆さんに暖かく迎えていただいて、もう一回いい脚本を見つけて、多少私の出番があってもいいかなと思いました。

司会:このあとに『怒れるドラゴン/不死身の四天王』を上映するのでひとつお聞きしたいんですけれども、当時の四大スターという形で、こういう形で撮ったフィルムは多分初めてだと思うんですが、4人が主役というのを、主演しながら監督されるのはけっこう大変だったと思うんですが。
王羽:本来だったらけっこう難しいことだったんです。というのは、当時4人とも、映画に出演すればその映画は絶対大ヒットという大スターだったので、それぞれたくさんの契約を抱えていたんですね。スケジュールの調整も大変だったし。ただ、我々4人の間はお互いに尊敬しあう堅い友情に結ばれた関係でした。そのうえですばらしい脚本に出会ったから、みんなで「やりましょう」ということになりました。
司会:これから上映しますけれども、ぜひ楽しんでいってください。今日は本当にお忙しい中ありがとうございした。
王羽(日本語):どうもありがとう。

映画人は語る2003年11月2日ドゥ・マゴで逢いましょう2003
ホームページ
Copyright © 2003-2004 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日:2003年11月20日(木)
更新日:2004年11月29日(月)