第15回東京国際映画祭

シーディンの夏 ティーチ・イン

ゲスト 鄭有傑(監督)
黄健瑋(出演者)
高野寛(音楽)
司会 伊藤さとり
北京語-日本語通訳 鄭有傑
日本語-英語通訳 佐々木?


■司会(日本語):さて今回はびっくりすることがあるんですが、なんと監督が日本語も達者ということなので、北京語の通訳もしていただきます。よろしくお願いいたします。それではさっそく鄭有傑監督、ご挨拶をお願いいたします。
◆鄭有傑(日本語):皆さん、こんばんは。鄭有傑です。この前渋谷を訪れたときはちょうど1年前くらいで、そのとき東京映画祭の旗を見て、僕の映画もここで上映できたらいいなぁと思いつつ、それがこんなに早く実現するとは思わなかったです。だからこの映画を手がけてくれたすべての人たちと、観に来ていただいた観客の皆さんに本当に感謝しています。
◆司会:続きまして主演を果たされました黄健瑋さん、よろしくお願いします。
◆黄健瑋(日本語):皆さん、こんばんは。はじめまして。私は黄健瑋です。
◆司会:そして音楽を担当されました高野寛さんです。よろしくお願いします。
◆高野寛(日本語):こんばんは、高野です。監督とは本当に縁があったという印象が僕の中にはあって、実際エンディングの曲も映画ができる前からあった曲なんだけれど、あまりにぴったりだったりとかそういうことがいろいろ重なって。ちょうど1年前ぐらいに、完成したばかりの映画を台湾のゴールデン・ホース・フィルム・フェスティバルで観たんですけれども、1年経って、こんなに立派な会場でまた観ることができて、会場で観て自分で感動しました。映画のサウンドトラックをやるのが前から夢だったんですけど、初めて手がけた作品がこういう形で皆さんの目にふれることができてとても光栄です。ありがとうございます。

■観客1(日本語)[→高野寛、鄭有傑]:まず高野さんがこの映画のサウンドトラックを手がけることになったきっかけと、監督には高野さんのことを以前からよく知っていたのか、それからどんな印象をお持ちかということを聞きたいと思います。
◆高野寛:きっかけは、僕の事務所の社長が台湾に仕事に行ったときに、監督が通訳のアルバイトをしてたんですね。あまりに語学が達者だということと、すごく興味深い人だということで、「何をやっているの?」って社長が聞いたところ、「映画を撮っている」。その作品を社長も観たんですけれども、そのとき社長がひらめきで僕の音楽が合うんじゃないかということで僕も観たんですが、さっきも言ったとおり、あらかじめできていた曲もあまりにはまってたりということがあって。僕が音楽をやったということになってますけれど、全部じゃないんですね。僕がやっているNathalie Wiseというバンドも何曲かあったり、そのNathalie Wiseのメンバーの斎藤君の曲とこの三者です。不思議と最初から用意されていたような印象があって、そのNathalie Wiseの曲も、監督が日本に来て打合せをしているときにたまたまCDをかけたら、これは合うんじゃないかと言ってヴィデオと一緒に再生したらすごく合ってたりとか。それが1曲目。1曲目と最後の曲は最初から曲があったんですね。だからすごく不思議なつながりがあったんじゃないかと僕は思っているんですけど。
◆鄭有傑:僕は実は日本の音楽はあまり聴いていなくて、初めて高野さんに出会ったのは最後のエンディング・テーマで。そのときにびっくりしたんですけど、「あっ、この人だ」という感じがして、ファイブディーの社長さんに、この人に是非会ってみたいとお願いして、日本に来たときに初めて会って、もう前から知っているような感じで、打合せもほとんど言葉は必要なかったです。
◆司会:先ほど高野さんが、初めて会ったとき通訳をしていたというのは、実は24歳なんです、まだ。若いんです。びっくりしました。

■観客2(日本語)[→鄭有傑]:今日の映画の話からちょっとはずれちゃうんですけどいいですか。夏の映画祭で『BABYFACE』という映画を観まして、どうしても気になっていることがあって、今日監督が来日されるということで、こういう機会もあまりないのでお伺いしたいんですけれども。映画の中で、主人公が無理やりお金を渡されて返すっていう場面があったんですけれども、そのときにベッドの上に載っていたかばんの中からちょっとはみ出ていた本が、今日持ってきたんですけど、三島由紀夫の『仮面の告白』でしかも新潮文庫のよう見えたんですけれども。ほんとにちらっとしか出ていなかったので、確かじゃないんですけれども、もしそれが本当だったらあの映画のテーマをすごく象徴しているような内容で、「あっ、すごいな」と思ったんですけれども、果たしてこの本かどうかを確認したかったのと、映画を撮られるときに、そういう観ている人がわからないくらいの効果をわざと狙って映画の中に取り込んでいらっしゃるのかどうかっていうことをお伺いしたかったんですけれども。よろしくお願いします。
◆鄭有傑:まさにそのとおりです。『BABYFACE』は僕の初めての映画で、それを観ていただいたことにまず驚いていて、その次にそれを発見したのを、画面の隅っこなんですよ、すごく驚いています。そのとおりです。
◆司会:なぜ三島由紀夫さんの本を『BABYFACE』の中で。
◆鄭有傑:その脚本を書いているちょっと前に、その本を読んでいて、別に特別な理由はなかったけど、「ここでこれを出したほうがいいかな」というような感じで。何かを出そうと思って、そこでこの本を出したほうがいいかなと。
◆司会:そういった小物を映画の中で効果的に使ったりするのは考えていらっしゃることなんでしょうか。
◆鄭有傑:はい、狙っています。

■観客3(日本語)[→鄭有傑]:Elisaが和服を着ますよね、真っ赤な。あそこでチャイナドレスも出てきているのに、なぜわざわざ和服を着せたのかというのが気になるんですけど。たぶんあの和服は日本統治時代の名残でおばあちゃんがずっととっていたものだろうなとは思うんですけれども、なぜ2つ出てきたのに和服を着たのかというのがすごく気になるのでお願いします。
◆鄭有傑:今から50年ほど前まで台湾は日本の植民地だったんです。おばあちゃんは日本時代に育った設定で、その時代のある部分の年寄りは、日本時代のほうがよかったなぁと、そういうように思う人もいるんです。そこでチャイナドレスと和服があって、日本の和服を着せたのも、そういうような感じがあるのかなぁって。それとチャイナドレスがちょっと古かったという設定でもあります。
◆観客3:チャイナドレスが古かったというのは、ファッションとして古いというふうに言われたのか、質が着れるようなものじゃなかったという意味なのか。
◆鄭有傑:年代が古いという意味で、それは、そのチャイナドレスは、おばあちゃんのお母さんがおばあちゃんにあげたという設定で、昔から伝わってきた服ですから、本当に着るよりも象徴的な意味が大きくて。和服は、おばあちゃんの旦那さん、おじいちゃんが生きているときにプレゼントしたという設定で、そっちのほうがまだ着れるんじゃないのかな。

■観客4(日本語)[→鄭有傑、黄健瑋]:この映画の黄さんとElisa役の女性の方とおばあさん役がとても生き生きと描かれていたんですが、まず監督がこの3人をキャスティングしていかれた過程を聞きたいということと、黄さんに関しては、この映画が初めての映画だったのか、あと監督が映画の撮影の最中にどういう形で演じなさいという指示、アドバイスみたいなものがあったのかなというのが聞きたかったんです。
◆黄健瑋(北京語→鄭有傑が日本語に通訳して語る):僕(鄭有傑)が彼(黄健瑋)にこの役をあげると言うのを決定したきっかけは、彼がビリヤードで僕に勝った。
◆司会:本当ですか?
◆鄭有傑:そうです。未だに勝ったことありません、僕が。この主人公のキャスティングの時に、台湾の俳優で戴立忍という方がいらして、彼が「今すごく実力があって素晴らしい俳優がいるよ」って黄健瑋を紹介してくれたんです。そこでオーディションの代わりに彼とビリヤードをして、ビリヤードをやっているうちに黄健瑋の人間性みたいのを…。実を言うと負けたところで、なんか気が合ったんですね。
◆司会:何か監督からアドバイスされたのかを黄さんに聞いていただけますか。
◆黄健瑋:まず彼(黄健瑋)が言ったのは、僕(鄭有傑)がいい監督って。彼が言ったんです。それと…(監督、続きを忘れて黄健瑋に訊ねる)。
◆撮影が始まる1ヶ月前からずっとリハーサルしていたんです。で、僕は彼に演技の方法を任せたんです。撮影の最中には、時々僕の予想と違った演技も出てくるけど、無理矢理彼にこういうふうに演じなさいとは言わなかったんです。彼とコミュニケーションをとって、彼が一番自然で演じやすい方法を見つけ出しました。
◆鄭有傑:特にこだわってはいませんでした。僕はキャスティングのときに、俳優と脚本を両方ちょっとずつ近づいていかせるような、そういうような感じ。

■観客5(日本語)[→鄭有傑]:一番ラストのすごく美しい天灯が気になるんですけど。まず石碇という土地は台湾のどのあたりにあるかということと、それからこの天灯という行事は石碇だけの風習なのかということと、これが夏の風物詩なのかお盆の風物詩なのか、ちょっとそのあたりを。今度台湾に行ったら是非見てみたいなと思って伺いたいんですが。
◆鄭有傑:石碇は台北の近くにある小さな田舎町で、台北から車で20分くらいの距離にあります。天灯は、実は石碇の名物じゃなくて、石碇のもうちょっと山の上にある平溪というところの名物なんです。旧暦の1月15日に毎年そこでたくさんの天灯を放つそういう祭りがあるんです。実はそれは冬の季節です。

映画人は語る2002年10月26日ドゥ・マゴで逢いましょう2002
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作成日:2002年10月30日(水)
更新日:2004年11月29日(月)